「ありがとう、レギュラー先生。さようなら、レギュラー先生」


イングランド銀行の新総裁に就任予定のマーク・カーニー(Mark Carney)に金融政策のノウハウを学ぼうとイギリスに向かわれたレギュラー先生岩田規久男*1が日銀副総裁に就任したとのニュースを今更ながら知って、ひとまず村はずれの庵に戻る決心をなされたようです。
これまでありがとう、レギュラー先生。・・・そして、さようなら。


岩田規久男氏が日銀副総裁だって!?

しかし、遊びすぎたワン。カーニーに尾の振り方を学びにわざわざイギリスまで来たはずワンのに、金髪のチャンネーのお尻ばっかり追いかけてたワンね。気持ちを入れ替えてカーニーのお尻を追いかける・・・じゃなくて、カーニーに尾の振り方=金融政策のノウハウを学ぶことにするワン。

ところで、岩菊先生が日本銀行副総裁に就任って本当だったワンね。こちらでも“Kuroda”って言葉はよく目にするワンけど、岩菊先生が副総裁とは知らなかったワン。

ちょっと前にイギリスで会った日本人の知り合いに「岩菊先生が日本銀行副総裁ですって」と言われたことがあるワンけど、「つまらん嘘はいいワン。ところであの件ワンけど・・・」と軽くスルーしちゃたワンね。申し訳ないことしたワンね。

『リフレが正しい。』の暗黒卿の解説に「黒田東彦総裁、岩田規久男副総裁」とあったワンね。あのマネーサプライ論争からおよそ20年ワンね。『日本銀行は信用できるか』という本の著者が日銀副総裁になる日がくるとはねえ(遠い目 ワン。

岩菊先生が副総裁ならたぶん安心ワンね。・・・心置きなくチャンネーのお尻を追いかけまわすことにするワン。

カーニーもいいワンけど、こっちも要チェックワンつ

黒田東彦日本銀行総裁量的・質的金融緩和と金融システム ―活力ある金融システムの実現に向けて―」(日本金融学会2013年度春季大会, 2013年5月26日)


◎スヴェンソン、失意の退任

セントラルバンカーマーケットも動きが慌ただしいみたいワンね。その中でも気掛かりなニュースは「スヴェンソン、失意の退任」ワンね。

まだ続けるんじゃないかという予測が大勢だったみたいワンけど、5月20日いっぱいでリクスバンク(スウェーデンの中央銀行)の副総裁の職を任期満了で辞したみたいワンね(pdf)。

リクスバンクの政策委員の間に広がる「低金利の副作用論」を打ち破ることができなかったみたいワンね。スピーチなんかでも折に触れて反論していたみたいワンけどね。つ 

●Simon Wren-Lewis, “Leading Macroeconomist Leaves Central Bank”(mainly macro, April 30, 2013)


「低金利の副作用論」っていうのは、低金利が続くことで家計がどんどん借金を重ねることになり、やがては金融危機につながるぞ、という話ワンね。ちょっと前に暇人さんも触れてらっしゃったワンね。

●himaginary, “中原伸之化していたスヴェンソン”(himaginaryの日記, 2012年11月18日)


このスピーチなんかすごいワンね。まさしく中原伸之化ワンね。「これまでの+現状の金融政策はタイト過ぎ(引き締め過ぎ)だ」

●Lars Svensson, “Monetary policy and employment – monetary policy is too tight”(January 16, 2013)


最後のスピーチかどうかはわからないワンけど、最新のスピーチも「低金利の副作用論」への反論ワンね(スライド)つ

●Lars Svensson, “Debt, housing prices, and monetary policy(pdf)”(April 25, 2013)


リクスバンクでのセントラルバンカーとしての経験を振り返って書かれたこの最新論文も要チェックワンねつ

●Lars Svensson, “Some Lessons from Six Years of Practical Inflation Targeting(pdf)”(May 31, 2013)


◎我、庵に戻るなり

少し気が早いワンけど、2013年上半期の3大ニュースの第1位は文句なしワンね。「岩菊先生、日本銀行副総裁に就任」ワンね。

第2位も文句なしワンね。「テラシマユフ、BiS脱退」ワンね。このニュースは全世界に衝撃を与えたワンね。

問題は第3位ワンね。かなり難航したワン。3日3晩寝ずに厳正な審査を重ねた結果、第3位は「ビーフジャーキーのおいしさを再確認」に決定したワン。去年の総合2位からワンランクダウンワンね。ビーフジャーキーの下半期の活躍に期待ワン。

未だに第2位のニュースの影響を引きずってるワン。しばらく引き籠るワン。


西部邁氏がこう述べているワンね。知識人とは村はずれの狂人のようなものだ、とつ

Toku, “西部邁「知識人の生態」読了”(想像的タナトスミイラミメーシス, 2012年6月2日)


日本経済は20年近くに及ぶデフレ不況に苦しめられてきたワンね。「村の生活が根本から動揺させられる」状況がずっと続いていたわけワンね。

しかし、今や岩菊先生が日銀副総裁に就任し、クリスティーナ・ローマーも指摘するように、黒い日銀の下でリフレの実現に向けて「レジーム転換」がなされつつあるワンねつ

●クリスティーナ・ローマー 「レジーム転換が必要:大恐慌のレンズをとおして今般の日本の金融政策の展開をみる


私は知識人ではないし、そもそも人間ですらなく、意見を求められもしていないのに自分からノコノコ出てきたわけワンけど、そろそろ村はずれの庵に戻る時ワンね。

それにしても長い道のりだったワン。こんなに村の中に長居するとは夢にも思わなかったワン。帰る場所=村はずれの庵が無事残っているかどうか心配ワン。

それにしても思い出されるワン。つい間違って「的を得る」とつぶやいたことがあったワン。そしたら次の日hicksianからこう言われたワンね。「レギュラー先生、銅鑼衣紋さんからメールがきてますよ。『レギュラー先生に伝えておいて。的を「射る」ですよ(笑』、と。」

こんな得体の知れない犬のtwitterまでチェックなさっていたワンね。銅鑼衣紋さんなくしてリフレがここまで広がることはなかっただろうワンし、もしかしたら黒い日銀が誕生することさえなかったかもしれないワンね。

銅鑼衣紋さんにはちょっと一足遅れたワンけど、私も村はずれの庵に向かうワンね(銅鑼さんは天国にある庵に向かわれたんだろうワンけど)。庵からもう二度と出てくることがないようにと切に祈っているワン。日本経済の今後に明るい未来が待っていることを願っているワン。それでワン。

*1:注;レギュラー先生は「岩菊先生」と呼んでらっしゃいます

『リフレが正しい。FRB議長ベン・バーナンキの言葉』


本日(5月24日)、中経出版より高橋洋一氏の監訳・解説で『リフレが正しい。FRB議長ベン・バーナンキの言葉』が出版されました。本書は、現FRB議長であるベン・バーナンキによる講演(理事時代の講演も含む)と議会証言、そしてFOMCによるプレスリリース(記者発表)を計7点集めて翻訳したものとなっています。それぞれの翻訳に対して高橋氏による簡単な解説もなされています。
収録内容に関してはoptical_frogさんのエントリーをご覧いただくとして、翻訳担当者の半数ほどは(これまたoptical_frogさんがつぶやかれているように)「道草」参加メンバーとなっております。
そうです。私も一部ですが翻訳に協力させていただきました。そこで私が担当した翻訳箇所に対するサポートの提供を意図しましてそれ用にブログを設けました。このサポートブログでは、誤植や誤訳の訂正(無いことを祈るばかりですが)や収録内容に関する解説めいた事などを提供できればと考えております。「バーナンキの講演」括りということでやや脱線して、本書とは直接的には関係のないバーナンキの講演をあれこれ取り上げることがもしかしたらあるかもしれません。
ともあれ、「デフレの何が問題なのか?」「インフレ目標とは何なのか?」「リフレ(リフレーション)とは何なのか?」「中央銀行の独立性とは何なのか?」「日本経済がデフレから脱却するための方策としてかつてバーナンキが推奨した『3本の矢』*1とは何なのか?」などといった問題にちょっとでも興味がある方は一度手に取っていただければ(そして望むらくは1470円程度の現金と交換していただければ)幸いです。


*1:『3本の矢』なんて表現はもちろん使われていませんが、日本経済がデフレから脱却するための3つの政策手段が提案されています。

「景気循環は椅子取りゲームみたいなもの」


●Scott Sumner, “The game of musical chairs, continued.”(TheMoneyIllusion, January 28, 2013)

景気循環を理解するのにDSGE(動学的確率的一般均衡)モデルなぞ必要ない。景気循環というのは基本的に椅子取りゲームみたいなものなのだ。

名目賃金は極めて粘着的である(変わりにくい)一方、名目GDPは極めて変動が激しい。それゆえ、名目GDPが下落するとその分労働者に(賃金として)支払い得るお金の量が少なくなる*1が、名目賃金が極めて粘着的であるとすると(労働者が名目賃金のカットを受け入れないとすると)、多くの労働者は床に座らざるを得なくなる*2。「床に座る」というのは、すなわち「失業を余儀なくされる」ということだ。

Britmouseがイギリスを例にとってこの点をグラフを用いて視覚化してくれている(ちゃんとした説明は彼のエントリーを見てほしい)。ここで使用されている名目GDPは税引き後の名目GDP(要素価格表示)である。それゆえ、この名目GDPは労働者への支払いとして利用可能な資金の量を表していることになる。以下のグラフによると、2008〜2009年における名目GDPの落ち込みを受けて、W/NGDP(名目賃金/名目GDP)として定義された労働者1人あたりの実質賃金が急騰するとともに、失業率も急上昇していることがわかるだろう。

ところで、ここ最近のイギリスにおける時間あたりの名目賃金は年率2.2%の穏やかな伸び率を記録しており(賃金のデータの所在を教えてくれたW. PedenとJohn Hallには感謝したい)、それゆえ今のところインフレは問題ではないことがわかる。仮にCPI(消費者物価指数)で測ったインフレ率が高い数値を記録するようであれば、それは金融緩和の行き過ぎによるものではなく、経済のサプライサイドに問題がある、ということになるだろう。

*1:訳注;椅子の数が少なくなる。

*2:訳注;椅子の数が少ないために、椅子に座ることのできない人が続出する。

「貨幣と生産 〜椅子取りゲームモデル〜」


●Scott Sumner, “Money and output (The musical chairs model)”(TheMoneyIllusion, April 6, 2013)

ここ最近の一連のエントリーでは、金融政策が長期的に物価にどのようなインパクトを及ぼすのかについて説明を行ってきた。その際に依拠した基本的なアプローチに名前を付けると、「ホットポテトモデル」(“hot potato model”)と呼ぶことができるだろう。その内容を簡単に説明すると次のようになる。人々は利子を生まない貨幣を一定量だけ需要する。その際Fedが人々の貨幣需要を上回るベースマネーを供給すると、人々は自らが欲する以上の現金を手にすることになるが、人々はその余分な現金残高*1をいち早く処分しようと試みる*2ことだろう。しかし問題は、個々人のレベルで見ると余分な現金残高を処分することは可能であるが、社会全体のレベルではそのようなことは不可能だ、ということである。このパラドックスは人々が余分な現金残高を処分しようと試みる過程で物価が上昇することによって解決されることになる。つまり、人々が余分な現金残高をそのまま手元に保有することを望むところまで物価が上昇するのである。

残念ながら、現実の世界においては賃金や価格の調整は緩慢であり、その結果として貨幣がもたらす短期的なインパクトは長期的なそれと比べてずっと複雑な様相を呈することになる。次のエントリーでは貨幣が資産価格に及ぼす短期的なインパクトを取り上げる予定である。ここから先は貨幣が産出量(実質GDP)に及ぼす短期的なインパクトについて考えることにしよう。

さて、これまでのエントリーでは次の式に依拠して物価水準がいかに決定されるかを問題としてきた。

P = Ms/(Md/P)

ここからは名目GDPの決定に焦点を合わせることにしよう。名目GDPは次の式を通じて決定されることになる。

P*Y = Ms/k

ここでkというのは、人々が名目所得のうちどの程度の割合だけ貨幣(ベースマネー)を保有しようと望んでいるかを表す変数である(k=1/V*3)。これまでと同様にここでも準備預金には金利が付かないとの前提で議論を進めることにしよう。上の式によると、kが一定の値をとる場合、ベースマネーが増えると名目GDP(P*Y)が上昇することになる。また、M(ベースマネー)の一度限りの変化はkに対して長期的なインパクトを及ぼすことはないと考えられるだろう。

時間あたりの名目賃金は粘着的であるために*4、金融引き締め(Mの減少)によって引き起こされる名目GDPの低下は産出量(実質GDP)と雇用(あるいは労働時間)の減少をもたらすことになるだろう。

この図の総需要曲線(AD曲線)は「名目支出」(“nominal expenditure”)曲線と呼ぶべきかもしれない。というのも、ここではAD曲線は一定水準の名目GDPを表すように描かれているからである(それゆえ、AD曲線は直角双曲線となる)。

上のAD-AS図にあるように、金融引き締めは名目GDPを減少させ*5、名目GDPの減少は産出量と雇用の低下をもたらすことになる。この図では貨幣の短期的な非中立性、すなわち、Mの変化は物価だけではなく産出量も変化させる様子が描かれている(ちなみに、次のエントリーでは、Mの変化がk(あるいは貨幣の流通速度)に及ぼす短期的なインパクトを話題にする予定である)。名目GDPの変化が物価(P)の変化と産出量(Y)の変化との間にどのように分解されるかは短期総供給(SRAS)曲線の傾きによって決定されることになる*6。そして、短期総供給曲線の傾きは賃金や価格の粘着性の程度を反映することになる。

賃金や価格の調整が完了する長期においては、労働時間も産出量も自然水準(自然失業率/自然産出量)に再び落ち着くことになる。確かにこの主張は現実の特定の側面を単純化したものではある−どのマクロ経済モデルに関しても言えることだが−。例えば、不況下において設備投資が先延ばしされ、労働者が労働市場から退出することになれば、産出量の永続的な損失が生じる可能性がある。しかし、例えば大恐慌後に経済が力強い回復を経験したことを思い出すと、そのような永続的な効果は比較的軽微なものだと個人的には考える。

労働者が「貨幣錯覚」(“money illusion”)を抱く―つまりは、労働者が名目賃金の変化と実質賃金の変化とを混同する―場合には別種の非中立性が成り立つ可能性がある。貨幣錯覚が存在すると、名目賃金の変化率の正規分布はゼロ%のところで非連続的なものとなる。つまり、労働者は名目賃金の(絶対水準の)カットを不合理にも受け入れたがらないのである。それゆえ、貨幣錯覚が存在すると、1人あたりの名目GDP成長率のトレンドが極めて低い場合には自然失業率の上昇がもたらされる可能性がある。

(ところで、労働者が名目賃金のカットを受け入れたがらないことを「不合理」と表現する度に次のような反応が返ってくる。「労働者が名目賃金のカットを嫌うことは不合理ではない。というのも、名目額で固定された債務を返済する必要性があるからだ」、と。残念ながらそのような主張は妥当なものだとは言えない。支出が債務の返済だけからなっているならまだしも、事実はそうではないからだ。)

こういった特殊な要因をひとまず脇に置いておくと、これまでにアメリカで生じた景気循環の大半はかなり単純な現象であると言える。というのも、景気循環は次のようなかたちで生じるものと理解できるからだ。過度の金融引き締めが生じると、名目GDP成長率は労働契約が結ばれる際に予想されていたよりもその伸びは低くなる。時間あたり名目賃金の伸び率の調整は極めて緩慢であるために、名目GDP成長率が急落するとW/NGDP(名目賃金/名目GDP)が上昇し、その結果雇用(あるいは労働時間)と生産の縮小がもたらされることになる。また、労働市場の調整が完了するまでには長い年月を要するかもしれない。

経済の不況を次のように椅子取りゲームのアナロジーで捉えることができるかもしれない。音楽が止まって椅子の数が減らされると、ゲームの参加者のうち何人かは(座る椅子を確保できずに)床に座らざるを得なくなる。(名目)賃金が粘着的な中で名目GDPの成長が低迷するということは、椅子の数が減らされるようなものだ。現行の名目賃金の水準の下で完全雇用を維持するに十分なだけの名目総所得(名目国民総所得)が存在しないために、「床に座る」(つまりは、失業する)ことを余儀なくされる労働者が現れてしまうのである。

金利のようなその他の変数もまた景気循環の過程で変動するのは確かだが、そのような変数が失業の増加をもたらすことはないだろう。雇用の動向を決定する上では名目GDP成長率と時間あたり名目賃金の伸び率こそが最も肝心なのである。


(追記その1)Mark Sadowskiが W/[NGDP/(pop)](名目賃金/1人あたり名目GDP)と失業率との相関を示す以下のグラフを送ってきてくれた。

誰か2012年の終わりまでデータを更新してくれないだろうか。データを更新した上で新しいグラフに置き換えたいのだが。


(追記その2)Ron Mがリクエストに応えてくれた。


これまで続けてきた貨幣経済学のショートイントロダクションも次のエントリーで最後である。最後のエントリーでは、貨幣が資産価格に及ぼすインパクトを取り上げる予定である。将来的には貨幣経済学入門のオンライン版にも踏み出してみたいものである。

*1:訳注;ホットポテト

*2:訳注;何か他の金融資産を購入するか、財を購入(消費)するかする

*3:訳注;kというのはいわゆる「マーシャルのk」であり、貨幣の流通速度(v)の逆数である。

*4:訳注;名目賃金が粘着的だと、以下の図にあるようにAS曲線は右上がりの形状を持つことになる

*5:訳注;AD曲線を左方にシフトさせ

*6:訳注;短期総供給曲線の傾きが急であるほど(垂直に近いほど)名目GDPの変化の多くは物価の変化として表れ、短期総供給曲線の傾きが緩やかであるほど(フラットであるほど)名目GDPの変化の多くは産出量の変化として表れることになる。

「ケインズ経済学をめぐる『7つの神話』」


●Mark Thoma, “Seven Myths about Keynesian Economics”(The Fiscal Times, May 7, 2013)

ケインズは独特な性的嗜好の持ち主であり、さらに子供がいなかった。ケインズが長期的な経済問題に無関心であったのはそのためだ」。つい先日、ハーバード大学歴史学者である二ーアル・ファーガソンNiall Ferguson)がこのような趣旨の発言を行い、その後謝罪に追い込まれる格好となった。ケインズ性的嗜好が云々といった話は脇に置いておくとして、「経済が短期的な問題に直面している状況においてはケインジアンはしばしば長期的な問題を無視する」といった見解は広く語られているところである。しかし、ケインジアンは長期的な問題に無関心だとの主張は、ケインズ経済学に関する多くの神話のうちの一つなのである。


【神話その1;ケインジアンは「長期的な」経済問題に十分注意を払わない】
この主張とは正反対に、「ケインズ経済学に反対の立場の保守派の人々は短期的な経済問題−特に失業−に十分注意を払わない」との主張が成り立つだろう。しかしながら、短期的な経済問題の対処に失敗すると長期的な損害がもたらされ得る、という点には注意が必要である。例えば、景気後退が長引くと多くの人々が労働市場からの永続的な退出を余儀なくされ、そのために経済の長期的な成長力(潜在成長率)が損なわれるおそれがある。ケインジアンは長期的な問題にもかなりの注意を払っている。ただ、短期的な経済問題を無視することが長期的な経済問題を解決する上で最善の方法だ、との考えには与しないのである。


【神話その2;ケインジアンは経済成長のことなど興味がない】
ケインジアンも経済成長の便益(あるいは価値)はちゃんと理解している。ただ、ケインジアンは、二酸化炭素の排出をはじめとした外部性を企業が十分考慮に入れるように望み、経済成長の成果がどのように分配されるかにも関心を払うのである。労働者の生産性が上昇しているにもかかわらず経済成長の果実が所得上位層にだけ集中するようであれば−近年そうなっているように−、ケインジアンは疑問を抱くことになる。経済成長は所得の上昇をもたらす上でキーとなる要因である。しかし、経済成長は少数のヨット(お金持ち)だけではなくすべてのボートを引き上げるようなものでなくてはならず、水質の汚染を避けるようなかたちで進められなければならないのだ。


【神話その3;ケインジアンは「大きな政府」の支持者だ】
ケインズ経済学に関する神話の中でもこれがおそらく最もひどく混乱したものであり、また最も広く受け入れられているものである。ケインジアン流の景気安定化政策は次のようなかたちをとる。景気後退に際しては経済を刺激するために政府支出の拡大ないしは減税が実施される一方で、その後に景気が上向くと政府支出の削減ないしは増税が実施されることになる。つまり、ケインジアン流の安定化政策においては政府支出や税金の変更はあくまで一時的なものであり、例えば、景気後退下で政府支出が増大しても景気回復後に政府支出が削減されれば、政府の平均的な規模は時を通じて変わらないままとなるのである。しかし、政治家が(経済を刺激するために政府支出を増大した後に)景気回復後に政府支出を減らすのではなく増税を行う決定をすれば、政府の平均的な規模は拡大することになるだろう。一方で、景気を刺激するために減税を実施し、景気回復後に政府支出を削減する決定がなされれば、政府の平均的な規模は縮小することになるだろう。しかし、政府支出や税金の変更がケインジアンが求めるように真に一時的なものであれば*1、政府の平均的な規模は一切変わらないままなのである。


【神話その4;ケインジアンは政府債務のことなど気にしない】
特定の状況下では政府債務も問題となり得ることがあり、長期的な政府債務の問題に取り組む必要があるという点についてはケインジアンも理解している。問題は、政府債務がもたらすコストと失業に伴うコストとの適切なトレードオフをいかに図るか、ということである。深刻な景気後退下にあり、また政府債務残高が現在のような水準にとどまっている場合には、失業に伴うコストは財政赤字に伴うコストよりもずっと大きいと考えられる。一方で、経済が回復するにつれてトレードオフのバランスには変化が生じることになり、財政赤字の縮小に伴う便益は景気回復とともにいっそう大きくなることだろう。しかし、今現在に関しては失業こそが最大の関心事であるべきなのだ。


【神話その5;ケインジアンはインフレのことなど気にしない】
ケインジアンは労働者の雇用と所得が高い水準で安定し続けることをまず何よりも重視する。その際にインフレーションが加速する場合には、当然インフレもケインジアンの関心の対象となる。ケインジアンが異議を唱えるのは、経済への政府介入にイデオロギー的に反対する人々がインフレに伴うコストと失業に伴うコストとのトレードオフを歪んで評価することに対してなのである。


【神話その6;ケインジアンは金融政策を信用していない】
金融政策が景気回復を後押しし得ることについてはケインジアンも否定しない。ただ、ケインジアンは、金融政策だけで深刻な景気後退を克服できるとの主張には与しない。財政政策もまた必要だとケインジアンは考えるのである。


【神話その7;ケインジアンは古びて流行遅れな劣った(低級の)モデルに頼っている】
経済が危機に襲われ、現代のマクロ経済モデルの失敗が明らかになったことを受けて、経済学者の多くは政策(あるいは問題理解)の指針を求めてオールドケインジアンのモデルに向かうことになった。オールドケインジアンのモデルは今まさに我々が直面している類の問題に答えることを意図して組み立てられたものであった。現代のモデルの欠陥が修正されるのを待っている時間的な余裕などなく、また、オールドケインジアンのモデルはその長所と短所をきちんとおさえてさえいれば有用であることが判明したのであった。今回の危機の過程でケインジアンは、モデルがいつの時代に作成されたかなど大して気にすることもなく、利用可能なモデルの中から最善だと思われるものを選んでそれに依拠した。現代のモデルが有用であったこともあれば、古いモデルが優れた洞察をもたらしたこともあった。つまりは、重要な疑問に答える上で最善だと思われるあらゆるモデルに頼ったのである。危機の過程で現代の「ニューケインジアン」モデルにも修正が加えられることになったが、修正されたニューケインジアンモデルがオールドケインジアンモデルから引き出される政策処方箋を一般的には支持する傾向にあるのは興味深いことである。

オールドケインジアンモデルならびに修正されたニューケインジアンモデルが勧める政策がもっと積極的に推し進められていたとすれば、長期失業のような問題は今ほどひどいことにはなっていなかった可能性がある。もっと言うと、過去に関してだけではなく現時点においても依然としてもっと積極的に推し進められる必要がある。人類が経験から学ぶ可能性をこれまでずっと個人的に望んできたが、上で触れた7つの神話が失業問題へのより有効な政策対応の前に立ちはだかり続けているのである。

*1:訳注;景気を刺激するために政府支出が拡大される場合にはその後の景気回復期に政府支出が削減される、あるいは、景気を刺激するために減税が実施される場合にはその後の景気回復期に増税が実施される、といったかたちをとるならば

ブランシャール 「複数均衡におけるアナウンスメントの役割 〜「悪い」均衡から「良い」均衡へ〜」


●Olivier Blanchard, “Rethinking Macroeconomic Policy”(iMFdirect, April 29, 2013)より一部抜粋訳。

<その6>目視での航海(Navigating by sight) 複数均衡とコミュニケーションMultiple equilibria and communication

複数均衡が成り立つ世界では、アナウンスメントは大きな重要性を持ち得る。例えば、ECBがアナウンスしたOMT(Outright Monetary Transaction;国債買い入れプログラム)のケースを考えてみてほしい。このプログラムのアナウンスメントは、ソブリン債市場において複数均衡の発生につながる源泉の一つを取り除く効果を持ったと解釈することができる。つまりは、コンバーティビリティ・リスク−投資家が「ユーロ圏周辺国はユーロから離脱するに違いない」と考えて、それら各国政府が発行する国債の購入に際してプレミアムの上乗せを要求し、その結果としてユーロ圏周辺国が実際にもユーロからの離脱を強いられることになる危険性−の除去に成功したと考えられるのである。それも実際にプログラムを実行に移す必要もなく、プログラムのアナウンスメントを通じてそのような効果が生じたのである。

この観点からすると、つい最近日本銀行が発表したアナウンスメントはなおいっそう興味深い。そのアナウンスによると、今後日本銀行はマネタリーベースを2倍に拡大する予定とのことだが、この政策がインフレに対してどの程度効果を持つかは、(この政策の結果として)家計や企業が抱くインフレ期待がどのように変化するかに大きく依存することだろう。仮にインフレ期待が上昇することになれば、家計や企業による賃金や価格の決定に影響が及び、その結果としてインフレの上昇につながることだろう。インフレの上昇はデフレ下にある日本においては望ましい結果である。一方で、インフレ期待の上昇につながらなければ、インフレが大きく上昇すると考えるに足る理由はないことになろう。

それゆえ、この劇的な金融緩和に向けた動きを支える主たる動機は、心理的なショックを与え、人々の認識と価格決定のダイナミックスにシフトを生じさせることにある、ということになろう。今回の日銀の決定は−日本の政府当局が実施するその他の政策と相伴うことで−うまく機能するだろうか? そうなることを祈ろう。しかし、(仮に日銀の政策が効果を持ったとしても)教科書で説明されているような機械的なかたちで効果を持つわけではないだろう。

「ウッドフォード・ピリオド 〜迎え酒にバーボンを〜」


●Bill C, “The 'Woodford Period': A Bourbon for Bernanke?”(Twenty-Cent Paradigms, February 21, 2013)

つい先日、セントルイス連銀総裁であるジェームス・ブラード(James Bullard)が「現状の金融政策のスタンス」をテーマに講演を行ったが、その内容を要約したニュースリリースによると、ブラードは講演で次のように語ったとのことである。

彼(ブラード)は今回の講演で次のように述べている。「セントルイス連銀の予測によると、失業率が閾値(threshold)*1である6.5%に達するのは2014年6月のことになると見込まれている」。しかしながら、彼は次のようにも指摘している。セントルイス連銀が予測する今後の失業率の推移をテイラー・ルール(Taylor(1999))にあてはめるとFF金利は2013年8月の段階で引き上げられるべきとの結果が得られる、と。すなわち、「閾値に達するまではFF金利を(現状のほぼ)ゼロ%に据え置くとのFOMCの決定は、通常であればFOMCFF金利を引き上げるはずの時点よりも長めにFF金利をゼロ%に据え置くことを意味している。つまり、FOMCによる閾値の決定は「ウッドフォード・ピリオド」(“Woodford period”)の設定を意味するものと見なすことができる。」

1950年代〜60年代にFRB議長を務めたウィリアム・マチェスニー・マーティン(William McChesney Martin)はかつて次のように語った。Fedの仕事は「パーティーが盛り上がっている最中に(お酒の入った)パンチボールを片付けることにある」、と。このマーティン・ルールから派生する(ブラードが語るところの)新しいコロラリー(corollary)は次のようになるだろうか。「Fedの仕事は、景気後退が終わった後もしばらくはゆっくりとバーボンをちびちびとやる暇を与えることにある」、と。「景気後退というのは金融危機に端を発する二日酔いのようなものだ」との意見があるが、仮にそうだとすればそれはおそらく迎え酒*2のようなものなのだろう*3

ニュースリリースの続きはこうなっている。

2013年8月から2014年6月までの期間が「ウッドフォード・ピリオド」(“Woodford period”)−ここで「ウッドフォード」というのはコロンビア大学の経済学者であるマイケル・ウッドフォード(Michael Woodford)を指している−ということになるだろう。ブラードは次のように付け加えている。「経済学界で広く受け入れられている理論によれば、ウッドフォード・ピリオドを設けて通常よりも長めにFF金利をゼロ%に据え置くことは、名目金利がゼロ下限制約に直面している状況において一層大きな景気刺激効果を持つとともに、おそらくは最適な金融政策でもある。」

おっと。「ウッドフォード」というのはInterest and Prices(『利子と物価』)の著者のことであって、バーボンウイスキーであるウッドフォードリザーブのことではないらしい。

しかし、やはりウッドフォードリザーブのことを指すようにした方がよかったかもしれない。というのも、バーボンを購入するためにFedが貨幣を刷ると蒸留所が予想したとしたら、それを見越して(メーカーズマークも含めた各メーカーの蒸留所が)バーボンの蒸留に乗り出す*4かもしれないからだ。ん〜〜〜。


【訳者による追加】


(出典)James Bullard, “Perspectives on the Current Stance of Monetary Policy(pdf)”(February 21, 2013)のpp.25より再掲

*1:訳注;ゼロ金利解除の基準となる失業率の値。2012年12月に開催されたFOMCで、失業率が6.5%を下回るかインフレ率が2.5%を超えない(+インフレ期待が安定している)限りは政策短期金利であるFF金利を現状のほぼゼロ%に据え置くことが決定された。

*2:訳注;二日酔いを解消するためにお酒を飲むこと

*3:訳注;おそらくこの文章は、景気後退に関する「二日酔い理論」を揶揄したものないし逆手にとったものと思われる。「二日酔い理論」によると、酒の飲み過ぎが悪いのだから(それ以前の浪費が現在の景気後退の原因なのだから)お酒をはじめとした贅沢は控えて堅実な生活を過ごしなさい→民間・政府両者に対する緊縮の勧め、といった結論が引き出されることになるが、ここでは「いや、二日酔いには迎え酒で対処すればいいのでは? ウッドフォード・ピリオドを設けて金融緩和(ゼロ金利)をちょっと長めに継続すればよい」との意味が込められているのだと思われる。景気後退の「二日酔い理論」については、例えば以下を参照のこと。 ポール・クルーグマン(1999)「日本の長引く不況は、バブル期の行きすぎのせいではない」/ Paul Krugman(1998), “The Hangover Theory ;Are recessions the inevitable payback for good times?

*4:訳注;次の記事も参照のこと。「バーボン「メーカーズマーク」、アルコール度数引き下げを撤回−一連の騒動に「心からお詫び」と経営者(タイム)