どマクロの世界では期待インフレ率の上昇はどのような効果を持つか?


今日もまた例の彼とランチ。いつにもましてのマシンガントークだったけれども、突然ナプキンの裏に何か図を描き出すものだから、「もしや新しい経済学が誕生する瞬間に立ち会っているのか」・・・と一瞬緊張してもみたり。

IS-LMとかAD-ASとかいった「どマクロ」(ミクロ的基礎付けのないマクロ経済学)の世界では、期待インフレ率の上昇はどのような効果を持つんだろうね?

例えば、Yamin AhmadさんのIntermediate Macroeconomics(中級マクロ経済学)の中間試験(pdf)の問4はこうなっているよね。

「問4. 期待インフレ率の上昇は、物価が一定の下で、総需要の水準と総需要の構成に対してどのような効果を持つでしょうか? 期待インフレ率の上昇が経済活動に対して何の影響も及ぼさない(中立的な影響しか持たない)のはどのような状況においてでしょうか?」

「答. この問いはマンデル=トービン効果に関する標準的な分析の検討を意図したものである。期待インフレ率の上昇は名目金利の上昇をもたらす。しかしながら、典型的なケースにおいては、名目金利の上昇は期待インフレ率の上昇には及ばない。そのため、結果的に実質金利は低下することになり、それに伴って投資需要・消費需要が増加し、生産が刺激されることになる。期待インフレ率の上昇が生産量に対して中立的な影響しか持たない(つまりは、生産を変化させない)のは、LM曲線が垂直な場合だけである。LM曲線が垂直な場合には、名目金利は期待インフレ率と同じ幅だけ上昇し(Δi=Δπe)、実質金利は変化しないことになる。LM曲線が垂直になるのは、貨幣需要金利に対して完全に非感応的な(=名目金利が変化しても貨幣需要は変化しない)場合である。」

縦軸に名目金利をとったIS-LMにおいて期待インフレ率の上昇あるいは期待デフレ率の上昇がIS曲線をどのようにシフトさせるか、という点を視覚的に捉えたい場合はChris Footeさんのこの講義スライド(pdf)のpp.84以降も参照してもらいたいよね。


LM曲線が垂直ということは、名目金利がいくら上昇しようが貨幣需要は減らないということだよね。期待インフレ率の上昇によるIS曲線の右シフト=総需要ならびに所得の増加を意味するけれど、所得の増加によって貨幣需要が増加すると(貨幣供給が変わらない限りは)貨幣の超過需要が発生することになるよね。貨幣の超過需要が発生する=手持ちの債券を売却して貨幣に変えようとする動きが発生するということだけど、そのようにして債券の売り圧力が生じると債券価格は下落=名目金利は上昇することになるよね。通常は名目金利の上昇に伴って貨幣需要は減少するけど(貨幣以外の資産を保有することから得られる報酬=名目金利が上昇するので)、LM曲線が垂直な場合は名目金利が上昇しても貨幣需要はちっとも減少しないよね。そのため債券の売り圧力は止まることを知らず、結局は期待インフレ率の上昇分と同じだけ名目金利は上昇することになるわけだね。はじめに「期待インフレ率の上昇によるIS曲線の右シフト=総需要ならびに所得の増加を意味するけれど」というところから話をはじめたけれど、実際のところはちょっとでも貨幣需要が増加する兆しを見せると(ちょっとでも所得が増加する兆しを見せると、とも言い換えられるけれど)名目金利が即座に期待インフレ率と同じだけ上昇することになるので結局のところは総需要ならびに所得は一切増えない(そのため貨幣需要が増えることもなく貨幣市場では均衡が保たれる(貨幣需要と貨幣供給が等しくなる)ことになる)わけだね。


(手書きバージョン)


反対にLM曲線が水平な場合は、IS曲線の右方へのシフトの効果は一切打ち消されないよね。LM曲線が水平な場合=経済が流動性の罠下にある状況として説明されることが多いけれど、この場合実質金利は期待インフレ率の上昇分と同じだけ下落することになるよね。LM曲線が水平である限りはIS曲線が右方にシフトしても名目金利は変化しないからね。


(手書きバージョン)


Ahmadさんの試験では「物価は一定」という仮定が置かれているけれど、物価の変化を考慮した場合にはどうなるだろうね? 物価の変化を考慮すると、LM曲線が垂直ではない場合でも期待インフレ率の上昇が何の影響も持たない、言い換えれば、期待インフレ率の上昇と同じだけ名目金利が上昇するケースは考えられるだろうね。

物価の変化を考慮するというのはAD-AS分析の枠内で期待インフレ率の上昇がどのような効果を持つかを考えるって話だね。期待インフレ率の上昇はAD曲線の右方シフトをもたらすけれど、AS曲線が右上がりであれば生産量の増加とともに物価も上昇するよね。

「物価が一定」という仮定は水平なAS曲線を想定してることになるよね。AS曲線が水平であれば、AD曲線がシフトした分だけ生産量が増えることになるよね。一方で、AS曲線が右上がりの場合は物価が上昇することでAD曲線のシフトの一部が打ち消されることになるよね。

物価が上昇することでAD曲線のシフトの一部が打ち消されるという点をIS-LM図に戻って考えてみると、まず期待インフレ率の上昇でIS曲線が右上方向にシフトするよね。これがAD曲線の右方シフトをもたらすわけだけど、AS曲線が右上がりだと生産量の増加とあわせて物価も上昇することになるよね。物価の上昇は実質的な貨幣量(M/P)の縮小をもたらすんでLM曲線が左方にシフトすることになるよね。このLM曲線の左方シフトがIS曲線の右方シフトの一部を打ち消すことになるわけだね。

言い換えると、物価の上昇を考慮すると(AS曲線が右上がりだと)、LM曲線が左方にシフトする分だけ、期待インフレ率の上昇が生産を刺激する効果が減殺されるということだね。実質金利は低下するけど、その低下の幅は物価が変化しない場合と比べれば小さくなるってことだね。LM曲線が左方にシフトするために(物価が変化せず、そのためLM曲線もシフトしない場合と比べて)名目金利の上昇幅が大きくなるためだね。


(手書きバージョン)


さて、物価の変化を考慮した場合に期待インフレ率の上昇が何の影響も持たない場合という話だけれど、それはAS曲線が垂直な場合だね。この場合、AD曲線の右シフトは物価を上昇させるだけで生産量は一切変化しないよね。

この時、IS-LM図においては、期待インフレ率の上昇によってIS曲線は右方にシフトするけど、物価の上昇によってLM曲線が左方にシフトしてIS曲線のシフトを完全に相殺してしまうよね。意図せざる金融引き締め(物価の上昇による実質貨幣量(M/P)の縮小)によって生産量は変わらずに名目金利が期待インフレ率と同じ幅だけ上昇することになるわけだね。

AS曲線が垂直ということは経済が潜在生産量の水準で稼働しているというわけだから需給ギャップがない状況だよね。需給ギャップがない状況では期待インフレ率が上昇しても名目金利も同じだけ上昇するので実質金利は変わらず、景気刺激効果も一切ないってことだよね。


(手書きバージョン)


逆に言うと、AS曲線が垂直ではなくて右上がりである範囲=需給ギャップが存在する状況では、名目金利は期待インフレ率ほどには上昇せず、それゆえ実質金利の低下→総需要の増加→生産の増加、ということになるってわけだね。

ただあれだね。LM曲線が垂直な場合は期待インフレ率が上昇してもAD曲線はシフトしないよね。Ahmadさんの試験でも触れられているように、期待インフレ率が上昇してIS曲線が右シフトしてもLM曲線が垂直なために名目金利が期待インフレ率と同じだけ上昇する=実質金利が変わらないために総需要ならびに生産量は増えないからね。

LM曲線が垂直な場合は、AS曲線が右上がりな範囲にある=需給ギャップが存在する状況でも、期待インフレ率の上昇は名目金利の同じだけの上昇をもたらすことになるわけだね(ただし、LM曲線が垂直な場合、LM曲線を右方にシフトさせるような金融緩和は大きな景気刺激効果を持つことになる。この点については先のChris Footeさんの講義スライドのpp.45を参照されたい)。


(手書きバージョン)


ついでにLM曲線が水平な場合についても言及しておくよね。IS曲線がLM曲線の水平部分と交わる場合、AD曲線は下図のようにヘンテコなかたちになるよね。物価が下落して実質的な貨幣量(M/P)が増加しても名目金利がそれ以上下がり得ず、そのために総需要が増えないからだね。ある特定の物価水準を境にして物価がさらに低下しても総需要の水準は変わらなくなるわけだね。そういうわけで特定の物価水準以下の範囲ではAD曲線は垂直になるわけだね。経済が流動性の罠に陥っている状況ではAD曲線が下図のような形状をとる点については例えばクルーグマンの次の論説も参照してほしいよね(Paul Krugman, “Thinking about the liquidity trap”/“Can Deflation Be Prevented?”)


(手書きバージョン)


期待インフレ率の上昇によってIS曲線が右方にシフトした後もIS曲線が依然としてLM曲線の水平な部分と交わり続ける場合は物価が変化しないケースと同じ議論が成り立つよね。つまりは、IS曲線の右方シフトによっても名目金利は変わらず、そのため実質金利は期待インフレ率の上昇分と同じだけ下落することになるよね。


(手書きバージョン)


IS曲線の右シフトによって流動性の罠から抜け出した場合、つまりはIS曲線がLM曲線の右上がりの部分と交わるようになる場合は、需給ギャップが存在する限りは(AS曲線が右上がりである限りは)、名目金利は上昇するけれど期待インフレ率の上昇には及ばない(=実質金利は下落する)よね。


LM曲線の形状だけではなくてIS曲線の形状にも目をやると、「期待インフレ率の上昇が同じだけの名目金利の上昇をもたらす」のはIS曲線が水平な時だね。IS曲線が水平な場合、期待インフレ率の上昇によってIS曲線は上方にシフトすることになるよね。そして(IS曲線とLM曲線が交わる)新たな均衡では名目金利IS曲線のシフト(期待インフレ率の上昇分)と同じだけ上昇することになるよね。

IS曲線が水平ということは金利が少しでも低下するとものすごい勢いで総需要が増えるってことだよね。総需要がものすごい勢いで増える=所得がものすごい勢いで増えるんで、それにあわせて貨幣需要もものすごい勢いで増えるよね(所得が増えると貨幣需要が増加するならば)。貨幣の超過需要の裏には債券の超過供給があるので、債券価格の低下=名目金利の上昇につながるよね。貨幣の超過需要が大規模なので債券の売り圧力もかなりのものになるわけで、そのため名目金利も急上昇することになるわけだね。IS曲線が水平だと名目・実質金利がちょっとでも低下すると総需要が止まることを知らずに増大することになるはずだけど、今指摘したようなかたちで名目金利が上昇することで総需要の増大にチェックがかかるわけだね。加えて、総需要の増大に伴って(AD曲線の右方シフトに伴って)物価が上昇することになるけど、そうすると実質的な貨幣量(M/P)が縮小するのでこれによっても総需要の増大にチェックがかかることになるわけだね。この場合、期待インフレ率の上昇は最終的には同じだけの名目金利の上昇をもたらすことになるけれど、景気は刺激されることになるよね。


期待インフレ率の上昇が景気刺激効果を持たないのはIS曲線が垂直な場合だね。IS曲線が垂直ってことは金利(名目・実質ともに)が変化しても総需要は変化しないってことだね。IS曲線が垂直な場合は期待インフレ率が上昇すると実質金利は低下するけど、実質金利が低下したところで総需要は増えないというわけだね(IS-LM図の縦軸が実質金利(r)である点に注意)。


まとめるとこういうことだね。期待インフレ率の上昇が景気刺激効果を持たないのは、IS曲線が垂直であるかLM曲線が垂直であるか需給ギャップが存在しないかのどれかが成り立つ時ということだね。

IS曲線が垂直な場合は期待インフレ率の上昇によって実質金利は低下するけれど、総需要が実質金利の変化に反応しないために景気刺激効果はなく、LM曲線が垂直であるか需給ギャップが存在しない場合は期待インフレ率の上昇と同じだけ名目金利が上昇するので(実質金利は変化しないので)景気刺激効果はない、ということなるんだろうね。

そしてAhmadさんの言葉を借りると、期待インフレ率が上昇した場合、上記の場合を除いた「典型的なケースにおいては、名目金利の上昇は期待インフレ率の上昇には及ばない。そのため、結果的に実質金利は低下することになり、それに伴って投資需要・消費需要が増加し、生産が刺激されることになる。」ということになるわけだね*1

以上、役立たずな「どマクロ」の世界のお話でした、だよねw


(追記)

完全にIS-LMついでだけど、つい最近ヒックスのいわゆるIS-LM論文を読み直したんだけど、そこでLM曲線(ヒックス自身はLL曲線と呼んでいたけれど)が水平な部分を持つ(あるいは名目金利にはこれ以上下がり得ない下限が存在する)理由について面白い指摘がなされているよね。ジョン・メイナード・ケインズ著/山形浩生訳『雇用、利子、お金の一般理論』(講談社学術文庫、2012年)に収録されているジョン・R・ヒックス著「ケインズ氏と「古典派」たち:解釈の一示唆」より引用するよね(原文はこちらを参照だよね)。

「つまりこの(名目金利の;引用者挿入)最低水準を実証するのがきわめて重要なこととなる。重要すぎるので、その証明を少し書き換えて、ケインズ氏の採用したものとはちょっとちがった形で示してみよう。
もしお金を保有する費用が無視できるなら、金利がゼロ以上でない限り、お金を貸すより保有するほうが必ず儲かる。結果として、金利は必ずゼロ以上でなくてはならない。極端な例として、最短期の金利はゼロ近くになれるかもしれない。でもその場合でも、長期金利はそれ以上でなくてはならない。というのも長期金利はその融資期間中に上昇するリスクの分を考慮しなくてはならないからだ。そして短期金利は上がるだけで、下がる可能性はない。これは、長期金利がその期間中にあり得る短期金利の平均のようなものだという話だけではない。もっと重要なリスクを考えなくてはならない。長期の貸し手が、予定の返済期日以前に現金を持ちたがるというリスクだ。そしてその間に短期金利が上がっていれば、その貸し手はかなりの資本損失に直面する可能性がある。この最後のリスクこそ、ケインズ氏の「投機動機」をもたらすもので、無限期間の融資金利(これはケインズ氏が常に「ザ・金利」として念頭に置いているものだ)がゼロにきわめて近いところまでは下がれないことを保証するものだ。」(pp.534〜535)

短期金利に関しては貨幣(名目で見てゼロ%の金利をもたらす金融資産)の存在がゼロ下限を設定し、長期金利に関しては、金利の期間構造に関する期待仮説+流動性プレミアム+資本損失のリスクによってゼロ(というかプラスの)下限が設定されるというわけだね。

*1:細かく言うと、IS曲線が垂直な時は実質金利は低下するが生産は刺激されない/IS曲線が水平な時は実質金利は変わらないが生産は刺激される