物語の効用
なぜ経済学を勉強するのか? 経済学は一体何の役に立つのか?
最初の質問に対しては、「面白いから」と身も蓋もない回答を寄せることになるけれども、経済学がどれだけ社会の発展に貢献しているのかとなると・・・。経済学が無くてもそれなりにうまくやっていけそうな気もするし、かといって自分のやっていることは社会的には無用なことだと言われてしまうのも納得いかないものがある。
経済学がこの世からなくなってしまったら一体全体どうなるんだろうか?
2ちゃんねる経済学板にその名もずばり、経済学がこの世から消えたら・・・というスレがある。その中で焚書坑儒ならぬ焚書坑経、つまりは経済学(ならびに経済学者)が社会から抹殺されたその後の事態が想像力豊かに描かれている。あくまでフィクションにすぎないのだが、どこかで見たことのある光景が広がっている。強いデジャブに襲われる。そう、70年前の日本、現在では昭和恐慌と呼ばれる時代の風景である。
「清算主義」・「金本位心性」と名付けられた時代精神(心性)(『昭和恐慌の研究』を参照)―経済学的な論理を超越した、道徳主義的で説教好きな口うるさい親父が好みそうな処世訓もどきの思想―に支えられ、浜口雄幸民政党内閣下、井上準之助蔵相は旧平価での金解禁・財界整理に乗り出す。デフレの影響で徐々に疲弊の色を濃くする1930年代の日本経済。産業合理化の名のもとに企業の集約化が進められ、経済の統制色がじわじわと強まっていく。デフレ不況の打撃をもろに受けた農村出身の若手軍人らの鬱積した感情は、その後の軍国主義的な時代を用意することになる。今でこそその存在が認知されている、石橋湛山を始めとした「新平価4人組」による経済学の論理に則った発言も当時は無視され、時代の趨勢に押し流されてしまう。経済学が無視された時代、経済学が消された時代。1930年代の昭和恐慌は、暗黙のうちに「焚書坑経」が実験された時代だったのかもしれない。
経済学をなぜ学ぶのか? 経済学は一体何の役に立つのか?
「経済学がこの世から消えたら・・・」スレを読むことでその回答も明らかとなるような気がする。1930年代の悲惨な経験を二度と繰り返さないためにも、経済学を学び続けていかなければならない。