利用されるクルーグマン


日々の喧騒にかまけてブログウォッチをサボっていたらその間にクルーグマン絡みであれこれ騒動があったようだ。このあたりの事情はhimaginaryさんが手際よくまとめてくださっている(感謝 m(_ _)m)。こちらこちらを参照。
koiti_yanoさんのエントリーを読んだ上で*1、それでもクルーグマンが心変わりしたと言い募り続ける方には以下の本をお勧めしたいと思います。


人は嘘なしでは生きられない

人は嘘なしでは生きられない


クルーグマン絡みではフリードマン=シュワルツの大恐慌解釈への批判も面白そうな話題だけど、この件ではちょっと前にも一騒動あったな。その時以来積読状態になっている以下の論文もこの機会に読んでおくことにしよう。


●Edward Nelson and Anna J. Schwartz, “The Impact of Milton Friedman on Modern Monetary Economics: Setting the Record Straight on Paul Krugman’s “Who Was Milton Friedman?”(pdf)”(Journal of Monetary Economics, May 2008, vol.55(4), pp.835-56;リンク先はワーキングペーパーバージョン)


(追記)

クルーグマンのブログエントリー“Hey, who you callin’ neo-Wicksellian? (wonkish)”(ryozo18さんによる邦訳も参照のこと)の最後のパラグラフ、

Now, maybe the central bank can do other things, like buying long-term debt or risky assets, which will have an effect. But that’s because the central bank is taking some risk off the private sector’s hands. It has nothing to do with increasing M, per se.

は、「金融政策は無効だ」という趣旨ではないであろう。ここで言わんとしていることは、Fedによる長期債券やリスク資産の買い取りはマネーサプライの増加につながらないということであって*2、長期債券やリスク資産の買い取りは効果がないということではない。長期債券やリスク資産の買い取りは民間部門が負担しているリスクをFedが肩代わりすることを通じて実体経済に影響を与えるのであって、この効果をマネーサプライ増加の効果と混同してはならないと主張しているだけであろう。


(追々記)

風の便りで知ったんだけれども、とある著名ブロガーが「クルーグマンが転向した(=「It's Baaack!」論文を全面否定した)」とまことしやかに語っているらしい。論拠は上でもリンクを貼った“Hey, who you callin’ neo-Wicksellian? (wonkish)”とのことで、どうも以下の部分がその証拠らしい。

But those of us who started worrying about liquidity traps in the face of Japan’s experience were well aware of that pitfall. In fact, I wrote down my original liquidity trap model starting from a firm belief that the liquidity trap was nonsense: even if the interest rate is zero, I thought, increasing the money supply must raise demand. So I set out to write a model with all the i’s dotted and t’s crossed, so as to demonstrate that point — and found, to my shock, that the model actually said the reverse.

What comes down to is this: once you’ve pushed the short-term interest rate down to zero, money becomes a perfect substitute for short-term debt. And any further increase in the money supply therefore displaces an equal amount of debt, with no effect on anything. Period, end of story.

この箇所はこちらの論文から「It's Baaack!」論文(あるいはこちら)へと至る意見の変遷*3を語っているだけじゃないの? 


クルーグマンが先のエントリーの1日前に投稿したエントリー“A quick response to Scott Sumner”では以下のような記述が見られる。

My view, which I thought was pretty clear, is that the liquidity trap is real: no matter how much the Fed increases the monetary base, it has no effect, because it just substitutes one zero-interest asset for another. If the Fed could credibly commit to inflation at rates higher than the 2-ish percent target it’s already believed to have, that would be effective. But right now I don’t see that as a realistic option, hence the emphasis on fiscal policy and bank recapitalization.

強調は私によるものだけれども、その箇所を訳すと「Fedがマネタリーベースをどれだけ増やそうが効果はない。なぜなら金利がほぼゼロ%である短期債を対象とする買いオペは無利子資産(=完全に代替的な資産)同士の交換に過ぎないからだ。もしFedが2%―現在Fedが暗黙のうちに政策目標にしていると考えられるインフレ率水準―以上のインフレ率の達成に信頼あるかたちでコミットできるのであれば、効果はあるだろうけど。」というようになるはずで、・・・まさに「It's Baaack!」論文の内容そのもののような気が。
「2%以上のインフレ率の達成に信頼あるかたちでコミット」できなければ、そしてクルーグマン自身はそのようなコミットメントを伴った金融緩和は現時点では財政政策や銀行への資本注入と比べて政治的に現実的なオプションではないと判断しているようだけれども、そうするとクルーグマンの念頭にある現実的な政策オプションは、①2%以上のインフレ率の達成にコミットしないかたちでの金融緩和、②財政政策、③銀行への資本注入、であって、この中から②と③の合わせ技で、という話になっているんだろう(ただしクルーグマンも長期債券やリスク資産の買い取りを通じた金融緩和は効果があると考えているらしいことは上で触れた通り)。


あとどうでもいいことだけれども、ここまで書いてやっとエントリーの内容とタイトル(=「利用されるクルーグマン」)とが合致したような気がするw

*1:悲しいかな、クルーグマンが心変わりしたと思い込みたい人はおそらく読まない、あるいは読んだとしてもなかったこととして無視することになるでしょうけど。自己欺瞞論(あるいは認知的不協和理論でもいいですが)の立場からすれば、自らの信念に反するような主張や事実に耳を貸さないことはその人自身にとっては合理的な振る舞いではあります。

*2:マネーサプライの増加につながらないというのは間違いだね(短期債を対象としたオペに関しては形式的にはマネーサプライは増加するけれども実質的にはマネーサプライは変化しない(=完全に代替的な資産の交換に過ぎないから)ということになるだろうけど)。正確には、長期債券やリスク資産の買い取りはマネーサプライを増加させるけれども、長期債券やリスク資産の買い取りによる景気浮揚効果とマネーサプライ増加による景気浮揚効果とは峻別せねばならないということになるんだろう。

*3:日本経済がデフレから脱却するためには貨幣をジャンジャン刷ればよい→現時点においてどれだけジャンジャン貨幣を刷ろうが、それが一時的なものと認識されている限りは効果はない。日本経済がデフレから脱却するためには現時点だけでなく将来にわたって恒久的にマネーサプライの供給が増え続けるとの信頼あるコミットメントを伴った金融緩和が必要である。