スキデルスキー「なぜ市場心理はあてにならないのか」


●Robert Skidelsky, “Why market sentiment has no credibility”(Financial Times, December 22, 2009)

ここでは「market sentiment」を「市場心理」と訳したけれども、hongokuchoさんのご指摘によれば、業界的には「市場の地合い」と訳されるようである。

第2次世界大戦後最も深刻な経済停滞に直面している現在のイギリス経済が、同時に平時における最大規模の財政赤字を抱えることになりそうだとしても驚くことはないだろう。本年度の終わりまでに、イギリスのGDPは経済危機に突入して以来約5%の減少を記録することになりそうな見込みである。同期間における財政赤字GDP比でみると5%〜8%程上昇する見込みである。財政赤字拡大の背後にある計算は簡単なものなので子供にも容易に理解できるだろう。「縮小するGDP、縮小する税収、拡大する財政赤字」(smaller output, smaller revenues, larger deficit.)。この系は以下のようになるだろう。「拡大するGDP、拡大する税収、縮小する財政赤字」(larger output, larger revenues, smaller deficit.)。
2009−2010年間におけるイギリスの財政赤字は、金額で1780億ポンド(2000億ユーロ、2870億ドル)、GDP比で約11%に達することになりそうだと予測されている。この財政赤字のうち、どのくらいが「構造的な」(“structural”)赤字であり、どのくらいが「循環的な」(“cyclical”)赤字であるのかに関して意見がたたかわされている。「構造的な」赤字は、歳入と歳出とのギャップのうちで増税か政府支出の縮小によって埋める必要のあるギャップ(赤字)を表すものである。「循環的な」赤字は、歳入と歳出とのギャップのうちで景気が回復すれば自然と埋め合わされることになるであろうギャップ(赤字)を表している。今次の景気後退の結果として財政赤字GDP比でみて8%分上昇―5%分の上昇ではなくて―したと主張する論者は、イギリス経済が経済停滞から脱したとしてもGDPは危機以前の水準にまで回復することはないだろうから、景気回復後においても依然として1320億ポンド―1000億ポンドではなく(景気後退の結果として財政赤字GDP比でみて5%分上昇した場合)―の(「構造的な」)財政赤字が残ることになるだろうと主張する。「構造的な」財政赤字の具体的な規模については意見の違いがあるだろうが、経済停滞から脱した後でも依然として厄介な財政問題が待ち構えていることには誰も疑いを抱いていないようである。
なぜ金融関係のメディアはこぞってアリステア・ダーリング(Alistair Darling )財務相が事前予算報告で発表した政策対応―民間需要の急速な落ち込みを前にして政府支出の規模を維持する判断を示した報告―を批判しているのだろうか? なぜ「マーケット」はまだ経済停滞から脱していない今のこの時期に「財政再建」(“fiscal consolidation”)―弱っている経済に対する財政面からのサポートを今すぐに引き上げること―を声高らかに要求しているのだろうか?
以上のような「市場心理」(“market sentiment”)を理解するためには、大半の金融アナリストたちの議論を無意識のうちに形作っている2つのアイデアに立ち返り、それに検討を加えてみる必要があるだろう。第1のアイデアは、「経済は常に完全雇用の状況にある」という信念である。第2のアイデアは、「経済は必ずしも完全雇用の状況にはないかもしれないが(この点は第1のアイデアとは真っ向から対立することになるのであるが)、政府が市場への介入(ベイルアウト)をやめさえすれば経済はすぐにも完全雇用の状況に回帰するだろう」という信念である。
おそらく最も広範な影響力を有しているのは第1のアイデアだろう。第1のアイデアは「産出ギャップ」(output gap)の存在を否定するものである。第1のアイデアによれば、現実の生産量(GDP)はいついかなる時でも経済が生産することが可能な上限の生産量(GDP)である(現実のGDP=潜在GDP)と見なされる。それゆえ、第1のアイデアによれば、政府が想像上の産出ギャップを埋め合わせるために財政赤字にうってでることは、民間部門によってヨリ効率的に使用されたであろう現金を政府が奪い取って無駄遣いすることを意味するに過ぎないか、あるいは、インフレを招くだけに過ぎない、ということになる(産出ギャップの否定論者の目には、常に大気中にインフレの病原菌が飛び交っているのが見えているようだ)。どちらにせよ、第1のアイデアによれば、財政赤字は悪であり、それゆえ今すぐにでも「財政再建」に乗り出す必要があるということになる。経済危機の初期の局面においては、「経済は常に完全雇用の状況にある」ことを疑わない第1のアイデアは一般的な常識(common sense)によって一時的に乗り越えられることになったが、世界最後の日(apocalypse)が到来するかもしれないとの恐れが弱まるにつれて、第1のアイデアの影響力は再び盛り返すことになった。
もう少し注意を要する「産出ギャップ否定論」のバージョンは、危機以前の高水準のGDPは銀行貸出によって無理やり上乗せされた見せかけのものであり、見せかけ部分の多くは望ましくもクレジットクランチとともに消滅することになった、と主張するものである。この見解によれば、政府は財政赤字を縮小するための手段として景気回復(に伴う税収の増大)に頼ることはできないことになる。というのも、生産の回復を待ったとしても、回復すべき生産量というものは(危機以前のGDPの多くは異常な銀行貸出の伸びに支えられた見せかけのものにすぎないのだから)そもそも存在しないからである。
いつもは冷静なマーチン・ウルフ(Martin Wolf)でさえもこの巧妙な「産出ギャップ否定論」の罠に陥っているようである (FT, December 16 2009)。ウルフは語っている。「危機以前のイギリス経済は「バブル経済」(“bubble economy”)であった」と。バブルのおかげでイギリスの生産量は実際よりも大きく見えたのだ、というわけである。このような見解は、古めかしいピューリタニズムの表れに他ならない。経済のブームは幻想であり、経済のスランプは現実への回帰である、とするあのピューリタニズムの見解そのものである。しかしながら、過去の景気後退の経験を振り返ってみれば、一度経済が不況から好況へと反転したならば、生産量は(価格の動向と同様に)スランプの状況から大きく回復を見せることがわかる。1933年から1937年にかけてイギリス経済はそれまでの趨勢的な成長率を上回る年率4%のペースで成長したが、歴史上最も深刻な不況の底の時期であった1931年時点において、主流派の経済学者たちは(今日のように)産出ギャップの存在を否定していたのである。
金融アナリストたちの思考を形作ってる第2のアイデアは、経済は予測せざるショックによって完全雇用から逸脱することがあるにしても、政府の行動によってさらなる撹乱要因が持ちこまれなければ、経済は速やかに完全雇用に回帰することができる、というものである。今秋における政府の大規模な介入のおかげでイギリス経済がもう一つの大不況(another Great Depression)に陥らずに済んだと考える一般的な常識とは反対に、第2のアイデアに囚われた(元気と自信を取り戻したばかりの)保守派のコメンテーターは、政府介入のおかげで経済の自然な治癒メカニズムがこれまでも妨げられてきたし、また現在進行形で妨げられ続けていると主張している。

以下続きでございます。といっても、すべてはsoulcageさんのご尽力によるものです。毎度毎度のことですが、深謝する次第です m(_ _)m

例えば、政府債の利回りが巨額な政府の借金のせいで高く保たれているという主張がある。この説によると、政府の支出刺激策には金利の自然な低下を遅らせる効果しかない。政府が借金を迅速に減らさなければ、いずれ"英国債不買運動(gilt strike)" ―投資家は政府債の購入にあたり一層高い利回りを要求する―が起きるはずだろう。ところが、政府の債務が増え続けているにも関わらず、英国債利回りは史上最低レベルなのが実態である。政府に批判的な者たちは、これをイングランド銀行による英国債買い入れのせいにする。イングランド銀行が政府債の買い入れをやめれば、金利はたちまちうなぎ登りになるであろうと。
これに並んで、財政赤字の拡大が為替レートの自然な低下を妨げていて、それで輸出が伸びないのだという説もある。まわりくどい話で、"財政を再建"すれば金利が下がり、金利が下がると為替レートが下がり、やがてはイギリスの輸出に対する需要が増えるというもののようだ。イギリスが最終的に金本位制を脱した1931年、似たことが起きていたのだと主張されることが多い。
実証的に言えば、財政赤字削減で為替レートが下がるというような因果関係はかなり希薄である。IMFの研究(1997年)によると、財政再建で為替レートが下がり景気が回復した例は、74例中たった14例でしかない。その他すべての事例では、財政政策の為替レートに対する影響は認められないか、あるいは、(「財政再建」論者の主張とは反対に)財政赤字の拡大が為替レート低下の原因となっていることが示されている。
このIMFの研究結果は、一般常識と初歩的なケインズ理論を知る人がたどりつく予想とも一致する。不景気の時に金利が自然に下がるなどという傾向は存在しない。人は景気が悪ければお金を貯めこもうとするからだ。だからこそ、金利や為替レートを下げたければ、彼ら"倹約の虫を満足させる"のに充分な量の紙幣を印刷するのが唯一の方法なのである。
しかし言うまでもなく、我々が頼ることになるのはいつも"市場心理"である。政府が支出を今すぐに減らさねばならないのは、"市場というもの"がそう期待しているからだ。そしてこの同じ市場は、 納税者の手を借りねばならぬほど金融システムを激しく傷つけることになった元凶でもあるのだ。今、市場は財政再建を求めている。政府の財政問題の多くは市場が原因だが、その市場が今後も政府とともにあり続ける見返りとして財政再建を求めているのだ。
一体全体どうして、「財政再建」を求める現在の「市場心理」を2007年の乱痴気騒ぎのもとになった「市場心理」以上に真面目に受けとめねばならないのだろうか? 市場は自らの言葉を理解していないかもしれないと言われることもある。しかし、政府は市場の声に耳を傾けざるを得ないのだ。まったく承服しがたい話である。政府の義務は、それを選んだ国民の利益を最優先することであり、シティ街の利益を優先することではない。市場心理という言葉が金融屋のはったりを意味するのなら、それだけのことなのだが。


スキデルスキー卿はウォリック大学経済学部名誉教授。最新の著書「Keynes: The Return of the Master」が9月に出版された。


「第2のアイデア」(=「経済は必ずしも完全雇用の状況にはないかもしれないが、政府が市場への介入(ベイルアウト)をやめさえすれば経済はすぐにも完全雇用の状況に回帰するだろう」)の位置づけがちょっと見えにくいかもしれないのでちょっとばかりコメントをば。といっても、soulcageさんのお見事な訳をお読みになれば一目瞭然なんだけども。
「第2のアイデア」に囚われている金融アナリストの主張をまとめると以下のようになるだろう。大規模な財政赤字により、(金融アナリストの主張が正しければ)利子率が高止まりし、また(利子率が高止まりしているために)為替レートも高止まりしている。利子率の高止まりは主には設備投資需要を抑制し、また為替レートの高止まりは輸出を抑制している。設備投資需要と輸出需要が抑制されているために総需要も抑制され、そのためなかなか完全雇用を実現する水準まで生産が伸びてこない。つまりは、大規模な財政赤字が総需要を抑制することを通じて経済の自然治癒メカニズム(完全雇用に回帰するメカニズム)を妨げているということになる。経済の自然治癒メカニズムが機能するようにするためには、大規模な財政赤字を縮小させること=「財政再建」に乗り出す必要がある。「財政再建」によって財政赤字が縮小すれば、(金融アナリストの主張が正しければ)利子率が低下し、また(利子率が低下する結果として)為替レートが低下(減価)することになる。利子率の低下と為替レートの低下とによって、総需要が刺激されることになり(利子率の低下は設備投資を、為替レートの低下は輸出を、それぞれ刺激することになる)、やがては完全雇用を実現する水準にまで生産が回復することになるだろう。
つまりは、「財政再建」=経済の自然治癒メカニズムを阻害する政府介入を取り除くこと、ということであり、「財政再建」を支持するアナリストの思考の背後には「第2のアイデア」が控えている、あるいは、「第2のアイデア」が「財政再建」を要求するアナリストの思考を形作っている、ということになる。