学習性無力感に囚われたマクロ経済学


●Paul Krugman, “Learned Helplessness In Macro”(Paul Krugman Blog, June 29, 2010)

マーク・ソーマ(Mark Thoma)とブラッド・デロング(Brad DeLong)がそれぞれ自分のブログでジェームス・モーリー(James Morley)の現代マクロ経済学批判(pdf)を取り上げてるね 。実のところ、僕自身もちょっと前に大体似たようなことを書いたことがあるんだ(訳者注;okemosさんによる訳はこちら)。その時書いたように、「現代」マクロ経済学は、以下のような基本的なストーリー展開に沿って変容を遂げてきたと言えるだろう。

1.ルーカスが先導した研究プロジェクトは、現実の経済はケインジアン的な振る舞いを見せる―つまりは、財政政策や金融政策は、明確な形で、生産や雇用に影響を及ぼす(=実質的な効果を持つ)ようである―という点には同意したものの、不完全情報を伴う均衡アプローチを用いれば、ケインジアンが説く政策的なインプリケーションを拒絶しながら同時に財政政策や金融政策が実質的な効果を持つ理由を説明できると主張した。こうしてルーカスとその一派はケインズ経済学をあざ笑ったのであった。

2. 1980年―なんと30年も前!―の段階で、既に、ルーカスが先導したプロジェクトは失敗に終わったことが明らかになっていた。実際のところ、不完全情報を伴う均衡モデルは、景気循環に関する重要な事実、特に、すべての経済主体が経済的な不況に陥っていることを認識しているにもかかわらずに不況が持続するのはなぜかを説明できずにいたのである。

3. しかしながら、(現在流行の表現を用いれば)淡水学派のマクロ経済学者らは、自分たちが間違った方向に進んでしまっていることを認めるよりも、ダブルダウン(double down)*1の賭けに出ることを選んだのであった。つまりは、彼ら淡水学派の学者は、総需要ショックの明白な諸効果についてそれまで知っていたはずのことを忘れ去るとともに、景気循環を実物的なショック(real shocks)の観点から説明しようとの決心を下したのである。

4. 淡水学派のアプローチはまたも期待通りの結果を生むことはなかった。この不満足な状況からモデルを救い出そうとして、モデルにさらなる周転円(epicycles)が付け加えられることになり*2、その結果として、それまでのモデルが備えていたかのように見える明瞭さが失われることになったのであった。

5. そして淡水学派のマクロ経済学者はこう宣言するに至る。「景気循環は多くの謎に包まれた現象である。我々マクロ経済学者は、政策提言を行い得るようになる前に、もっと多くの精力を注いで景気循環の研究に取り組む必要がある」と。

つまりは、1〜5までの道のりを辿ってきた一部の「現代」マクロ経済学は学習性無力感(learned helplessness)*3に囚われているということだ。1〜5までの道のりを辿ってこなかった経済学者、歴史の書き換えを意図して1936年〜1973年までに(訳者注;1以前の時期までに)蓄積された知識のすべてを投げ捨てようなんて考えを抱かなかった経済学者は、我々が今現在置かれている状況(訳者注;金融危機後の景気低迷)を前にしても特に慌てふためくことはないだろう。その反対で、そのような経済学者(訳者注;1〜5までの道のりを辿ってこなかった経済学者)には、今のこの経済状況はごくありふれた出来事の極端なバージョンのようなものとして理解されるだろうし、また、今のこの経済状況に対してどのような政策を提言したらよいかに関して彼(彼女)はこれといった困難を感じることもないだろう。

もし今のこの経済状況を前にして慌てふためくようなマクロ経済学者がいるとすれば、それはそのマクロ経済学者が失敗が明らかになっている研究プロジェクト― 一世代も前に誤りが判明したにもかかわらず、その誤りを認めようとはしなかったプロジェクト―に首を突っ込んでいるからに過ぎないんだ。

*1:ブラックジャックの戦術の一種。1枚しかカードを引かない代わりに掛け金を2倍にする戦術。

*2:はてブでのmaturiさんによる解説を参照。

*3:wikipediaを参照。本ブログでもかつて一度だけではあるが話題に取り上げたことがある(アリエリーのブログ記事からの引用に続く意味のわからないコメントは、おそらく厨銀の行動を指してのものだと思われる。当時何を考えていたのか自分自身でも忘れてしまった)。