流動性選好説、貸付資金説、ニーアル・ファーガソン(オタク系)


●Paul Krugman, “Liquidity preference, loanable funds, and Niall Ferguson (wonkish)”(Paul Krugman Blog, May 2, 2009)

ジョー・ノセラ(Joe Nocera)がさる木曜日に行われたイベント(このイベントには僕も参加したんだけれど、経済問題がテーマとなっていた。スポンサーはThe New York Review of BooksとPEN World Voices)について記事を書いてるけど、その記事ではこのイベントで僕が最もガックリさせられたことには触れられていないみたいだ。それは何かというと、僕らがマクロ経済学の暗黒時代−この暗黒時代においては、これまで苦労して獲得されてきた知識が忘れ去られてしまっている−のただ中に生きていることを示すさらなる証拠を目の当たりにしたことだ。

その証拠はだって? その証拠っていうのは、「財政拡張策は名目金利の上昇をもたらすだろうから、(財政拡張策は)現実には景気抑制効果を持つことになるだろう」っていうニーアル・ファーガソンNiall Ferguson)の「説明」。少なくとも、あのイベントで彼はこう発言したと僕は思う(何しろ有名人があまりにたくさんいたんで、どの発言が誰のものかを区別することが難しくてね)。ともかくも、こんな発言を耳にするというのは本当に悲しいことだ。というのも、自分自身のことを学問的に洗練されていると思っている今日の経済学者よりも1937年当時のジョン・ヒックス(John Hicks)(pdf)の方がこの問題についてずっとよく理解していたってことだから。

ここで、今現在僕らが直面している経済的な苦境は世界的な貯蓄過剰の結果だと考えられるっていう点を再度説明してみるのも有益かもしれない。だって、世界的な貯蓄過剰が続いている状況では、財政赤字が経済の拡張につながるまでは(財政赤字の結果として)名目金利が上昇することはないだろうから。

ファーガソンは頭の中でおそらくこう考えていることだろう。利子率の水準は、貯蓄の供給と貯蓄に対する需要とによって決定される、と。これは、いわゆる利子率決定に関する「貸付資金」(“loanable funds”)モデルと呼ばれるもので、どのテキストにも載ってるものだ−僕が書いたテキストにも載っている−。このモデルを図にすると以下のようになる。

Sは貯蓄を、Iは投資(実物投資)支出を、rは利子率を、それぞれ表している。

かつてケインズこう指摘した。経済が完全雇用の状態から乖離する可能性があることを認めると、この図は不完全だと。どうしてかって? それは、貯蓄も投資もともにGDPの水準に依存するからだ。例えばここでGDPの水準が上昇すると想定してみることにしよう。所得(GDP)の上昇の一部は貯蓄に回されることになるだろうから、GDPの上昇は貯蓄曲線(貯蓄の供給曲線)を右方向にシフトさせることになるだろう。GDPが上昇すれば投資需要も増加することになる(投資曲線が右方シフトすることになる)かもしれないけれど、通常は貯蓄の増加が投資の増加を上回る(貯蓄曲線のシフト幅の方が投資曲線のシフト幅よりも大きい)ことになるだろう。そうすると、GDPの上昇の結果として、下図のように、利子率は低下することになる。

つまりは、貸付資金の供給(貯蓄)と貸付資金に対する需要(投資)とに基づく貸付資金モデルはそれ自身では利子率の水準がどう決まるかを教えてくれないってことだ。貸付資金モデルは、GDPの水準が(外から)与えられてはじめて、利子率の水準がどう決まるかを教えてくれるわけであって*1、別の言い方をすれば、貸付資金モデルは利子率とGDPとの間の関係を定義するものであるとも見なせるわけだ。下図みたいな感じで。

これはEcon101(経済学入門)の授業でも教えられるIS曲線だ。通常はIS曲線はここで説明したのとは違ったやり方で導出される。通常の説明はこうだ。まず利子率が与えられる。すると、それに応じて投資需要(実物投資に対する需要)が決まる。そして投資需要の水準が決まると乗数の過程を通じてGDPの水準が決まる、と。しかしながら、上で説明した貸付資金モデルに基づくIS曲線の導出は通常の授業で習うことと同じ結論に到達するための別のアプローチに過ぎない。同じモデルを違った角度から提示しているに過ぎないんだ。

ところで、GDPの水準を、そしてひいては*2利子率の水準を決定するのは何なのだろう? その答えを得るためには、IS曲線が描かれている上の図に「流動性選好」(“liquidity preference”)−貨幣の供給と貨幣に対する需要−*3を付け加える必要がある。最近では、話をもっと単純化して、中央銀行は利子率を目標(ターゲット)とする水準に誘導するためにマネーサプライを調整すると想定されることが多い*4。このことは、中央銀行が任意にIS曲線上の1点を選ぶということでもある。

さて、ここまでの準備の下で、現在僕らが置かれている現実の状況に議論を移すことができる。今現在、Fedが選択できる利子率はゼロ%だ。でも、ゼロ金利完全雇用を達成するには十分じゃない。上の図で示されているように、完全雇用を達成する上でFedが望むであろう金利の水準はマイナスだ。ついでながら言っておくけど、これは僕だけの意見じゃない。フィナンシャルタイムズ紙が伝えるところでは、FedFF金利政策金利)をマイナス5%の水準に設定すべきであるとFed内部のエコノミスト自身が推計しているということだ。

この状況*5を貸付資金モデルを用いて描くとどうなるだろう? 経済が完全雇用下にあるとした場合の貸付資金の供給と(貸付資金に対する)需要とをそれぞれ図に描いてみよう。図は以下のようになるだろう。

実際のところ、僕らは(上の図に描かれているのと同じように)利子率がゼロ%の下で貯蓄が超過供給*6の兆候を見せつつある状況に置かれている。これこそが今現在僕らが直面している問題なんだ。

それでは、このような状況の下で、政府による借入れはどのような効果を持つだろうか? 政府による借入れは過剰な貯蓄の一部を吸収することになるだろう。政府による借入れが過剰な貯蓄を吸収する過程では、総需要が増加し、ひいてはGDPが拡大することになる。政府による借入れは、少なくとも過剰な貯蓄(あるいは貯蓄の超過供給)が完全に吸収(解消)されないままでいる間は、民間支出をクラウドアウトすることはない。「過剰な貯蓄(あるいは貯蓄の超過供給)が完全に吸収(解消)されないままでいる間は」というのは、「経済が流動性の罠から抜け出せないでいる間は」ということを言い換えたものだ。

確かに、大規模な政府借入れは深刻な問題を孕んでもいる。中でも特に問題になるのは、大規模な政府借入れが政府の債務負担に及ぼす影響だ。政府債務の負担にまつわる問題を軽んじるつもりはない。例えば、アイルランドのように、厳しい不況を前にして、緊縮財政を強いられている国もある。しかしだね、僕らが直面している真の問題は、世界規模での過剰な貯蓄−行き場を求めて彷徨っている過剰な貯蓄−の問題だっていう事実は変わらないんだよ。


(追記)文中において、貸付資金モデルの説明は「僕が書いたテキストにも載っている」とあるが、「僕が書いたテキスト」=『クルーグマン マクロ経済学』の該当箇所の内容をid:JD-1976さんがご自身のブログでまとめてらっしゃいます。是非一読あれ。

●JD-1976, “第9章 貯蓄、投資支出、金融システム(1)”(事務屋稼業, 2009年9月29日)

*1:訳注;GDPの水準が外から与えられれば、そのGDPの水準に応じて貯蓄曲線、投資曲線の位置がそれぞれ決まり、そして貯蓄曲線と投資曲線との交点で利子率が決定されることになる

*2:訳注;GDPの水準が決まれば貸付資金モデルから利子率の水準が決定されることになる

*3:訳注;つまりは、LM曲線

*4:訳注;つまりは、中央銀行が政策的に利子率を決定する、ということ

*5:訳注;完全雇用を実現するためには(名目)金利がマイナスの水準でなければならない状況

*6:訳注;貯蓄が投資を超過