ドル安恐怖症


●Paul Krugman, “Falling Dollar Phobia”(The Conscience of a Liberal, May 4, 2011)

世の経済・社会問題に熱意をもってマジメに取り組む人々(Very Serious People:以下、マジメな人々)のその見事な手腕、日常生活の中から我が国を苦しめている深刻な失業問題以外のありとあらゆる心配の種を見つけ出してくるその手腕には驚かされっぱなしだ。この2年ほどの間、彼らマジメな人々は、我らがアメリカ国民の足下にあるラグマットを今にも引っ張ろうと待ち構えている債券自警団(bond vigilantes)に対する警告を発し続けてきた。さて、直近の週ごとのデータによると、10年物国債の利回りは3.21%の水準にまで下落しているようだ*1

さてさて、ここ最近になって突然、マジメな人々の口から急激なドル安の可能性を警告する声が大音量で発せられているようだ。

よし、そういうことならまずはこれまでに為替レートの動きに実際に何が生じたのか簡単な見通しを得ることにしよう。以下の図は、1979年以降のドルの実質実効為替レートの推移を示したものだ。



上図の右端あたりのちょっとしたジグザグをご覧あれ。ここにきてドルの実質実効為替レートが危機以前とほぼ同じ水準にまで下落(減価)していることがわかる。マジメな人々はこれを大きく心配しているのだ。

さて、ここにきてのドル安の原因は何なんだろうか? その主な理由は、Fedアメリカ国内の失業を解消するために金利を低い水準に維持し続ける意向を示している一方で、21%の失業率を記録するスペインのことなどどこ吹く風でECBが金利引き上げに積極的であるかのような素振りを見せているためだ。ここにきてのドル安は、FedとECBとの経済哲学の違いを反映したものであって、帝国の凋落とかいう話とは関係がないことだ。

さて、それではドル安を心配の種として問題視すべき理由は何なのだろうか? ドル安は輸出の増加に貢献することになるだろうが、輸出ブームは一国経済が金融危機から脱出する上で通常辿る道でもある。過去に目をやると、ドル安は我が国に苦痛をもたらしはしなかった。1985年以降の大規模なドル安もブッシュ政権時に見られた継続的なドル安−この2つの時期のドル安と比べれば、最近のドル安なんて取るに足りないものだ−もカタストロフィーをもたらすことはなかった。実際のところ、この2つの時期は、カタストロフィーどころか、良好な経済成長とマイルドなインフレーションとが記録された時期だったのだ。

場合によっては、為替レートの減価が厄介なバランスシート問題をもたらすことがあるのも確かだ。ただし、為替レートの減価が厄介なバランスシート問題につながるのは、大規模なレバレッジを進める経済主体がその債務を外国通貨建てで負っている場合だ。今現在アメリカの家計は大量の借入を行っているが、あくまでその債務はドル建て(自国通貨建て)だ。

さて、となれば*2、どうしてマジメな人々はドル安を心配しているんだろうか? おそらくは、マジメな人々の間で突然大問題(big issue)として担ぎ上げられてきたこれまでの数々の問題のように、ドル安も失業の解消に向けて何かしらの手を打たないための理由の一つとして担ぎ上げられたってことなんだろう。 

おかしな話だよね。

*1:訳注;債券自警団がラグマットを引っ張る、つまりはアメリカ国債の大量売却に及べば、国債の市場価格に低下圧力がかかり、国債の利回りは下落するのではなくて上昇するはずである。つまるところ、債券自警団は仕事をしていないわけであり、マジメな人々の警告は現実のものになっていないというか当たっていないというか外れているというか・・・。

*2:訳注;ドル安を問題視すべきこれといった理由がないとすれば