Josh Hendrickson 「流動性の罠」


●Josh Hendrickson, “Liquidity Traps”(The Everyday Economist, May 9, 2011)

流動性の罠」の唯一の有意義な定義は、「流動性の罠=人々が貨幣に対して飽くなき需要を抱くような状況」というものである。この定義にしたがうと、「流動性の罠」の下では人々はある特定の水準を超える貨幣残高をいくらであってもすすんで保有しようと臨むことになる。このような状況の下では、金融政策は必然的に無力となることだろう。

ここで例えば、中央銀行FF金利(名目短期金利)をターゲットに据えて金融政策を運営しているものと考えることにしよう。この時もし(名目)短期金利がゼロ%の下限に達してしまうと、中央銀行はもはやこれ以上(名目)短期金利を引き下げることはできなくなってしまう。しかしながら、インフレーションを引き起こすことで実質金利を引き下げることは理論的には依然として可能である。標準的な貨幣理論によれば、中央銀行はマネーサプライを増加させることが可能であり、マネーサプライの増加の結果として、(マネーサプライの増加→)インフレ率の上昇→実質金利の低下→総需要の刺激、といった結果が生じることが予想されることになる。

ところで、ポール・クルーグマン(Paul Krugman)(1998)(pdf)(邦訳はこちら(pdf))とラルス・スヴェンソン(Lars Svensson)(1999)(pdf)は、名目金利がゼロ%の下限に達した状況において人々が貨幣に対して飽くなき需要を抱くようになるモデルを提示している。言い換えれば、一度名目金利がゼロ%の下限に達するや、人々は追加的に貨幣を手にしてもそのまますすんで退蔵(hoard)してしまうのである。その結果、中央銀行は物価水準に対するコントロールを失うことになり、金融政策は無力になってしまうわけである(念の為に指摘しておくと、クルーグマンは金融政策が再度その機能を取り戻す可能性について言及してはいる。彼は、もし中央銀行がインフレ期待の喚起に成功するようであれば、金融政策は再び有効に機能するようになる、と述べている。しかし、ここではこの点は脇に置いておくことにしよう)。

こうして「流動性の罠」が生じ得ることが理論的にも示されているわけであるから、本気で「流動性の罠」の問題と取り組むつもりであれば、「流動性の罠」が生じるのは一体どのような環境(状況)の下においてであるのか、という点について検討を加える必要があるだろう。さて、クルーグマンとスヴェンソンのモデルにおいて「流動性の罠」が生じるのはどうしてなのだろうか? その理由は、貨幣が純資産(net wealth)ではないためである。彼らのモデルでは貨幣は民間部門における純資産ではないためにマネーサプライが増加しても実質残高効果(real balance effect)が生じることがなく、それゆえに人々は新たに貨幣を手に入れてもそのまま退蔵してしまうのである。

ここで注目すべきはピーター・アイルランド(Peter Ireland) (2005)(pdf)の研究である。アイルランドは、クルーグマンの「流動性の罠」モデルに人口成長を組み込むようなかたちで拡張を行えば、実質残高効果が生じることになり、その結果として経済が「流動性の罠」に嵌らずに済むことを示している。言い換えると、人口の成長が貨幣を純資産へと転換するような分配効果を生み出すことになるわけである。この時、マネーサプライの増加は(民間部門における)純資産の増加を意味することとなり、そのおかげで(実質残高効果が働くことによって)経済が「流動性の罠」に陥ることが防がれることになるのである。

これまでに簡単に取り上げてきた種々のモデルから得られるインプリケーションはゼロ金利制約下における(=政策短期金利がゼロ%の下限に達した状況における)金融政策の役割を理解する上で重要な意味合いを持っているが、この関連でデイヴィッド・ベックワース(David Beckworth)の最近のブログエントリー(邦訳はこちら)には大きくうなずかされたものである。このエントリーでベックワースは、「流動性の罠」とポートフォリオバランス効果とは両立し得ない(=「「流動性の罠」は存在する」と主張すると同時に「金融政策によってポートフォリオバランス効果が生じる」と主張することはできない)と述べているが、まさにその通りである。経済が「流動性の罠」に陥っている状況では人々は貨幣に対する飽くなき需要を抱いているので、中央銀行による公開市場操作は何の効果も持たないだろう。というのも、中央銀行が債券の買いオペレーションを通じて貨幣と債券とを交換しても、人々は(債券と引き換えに)新たに手にした貨幣をそのまま退蔵するだけに終わるからである―この結果は、中央銀行がいかなる種類の債券を購入しようとも同様に成り立つ―。つまり、「流動性の罠」の下では、貨幣は他のあらゆる資産と完全代替的となるのである*1 (この点(=「流動性の罠」の下では貨幣とその他のあらゆる資産とは完全代替的となること)は、ブルナー=メルツァー(Brunner and Meltzer)によって既に1968年の時点で指摘されていたものである―この事実は経済思想の歴史を学ぶことがなぜ重要であるのか、その理由の一つを提供している)。

さて、Matt Rognlieがベックワースのエントリーにコメントを寄せているが、正直言って私はそれを読んで困惑させられてしまっている。Rognlieのコメントは以下のような申し立てをもってはじめられている。

まずはじめに、私は言葉の定義の問題には興味がないということを強調しておきたいと思う。もし「流動性の罠」ということで中央銀行金利に影響を与える手段を一切持ち合わせていない状況を意味するものとすれば、私もそのような意味での「流動性の罠」が存在するとは思っていない。これ以上細かな言葉の定義の問題に嵌り込んでしまうことを避けるためにも、私が主張する「流動性の罠」とは以下のことを意味するものと理解してもらいたいと思う。すなわち、ゼロ金利制約下での金融緩和は(そうでない場合と比べて)ずっとずっと困難なものとなり、名目金利がゼロ%以上の状況下での金融政策とはその性質上根本的に異なるものである、と。

どうやらRognlieは因果の向きを逆に捉えてしまっているようである。私もベックワースもともに、金融政策が無力であることを意味するように「流動性の罠」を「定義している」わけではない。金融政策の無力さは「流動性の罠」の定義から導かれる必然的な結果に過ぎないのである。私が冒頭で与えている「流動性の罠」の定義に同意しないとすれば、それは「流動性の罠」の存在を信じていないということである。「ゼロ金利制約下での金融政策は、名目金利がゼロ%以上の状況下での金融政策とはその性質上根本的に異なるものである」という主張と「流動性の罠」とは別物であり、ゼロ金利制約と「流動性の罠」とを同一視すべきではないのである(この点はベックワースのエントリーのポイントでもある)。

Rognlieはさらに次のようにコメントを続けている。

あいにく、量的緩和に起因するポートフォリオバランス効果がマクロ経済的に見て量的にどの程度有意味な効果を持つかに関してははっきりとしていない。エッガートソン=ウッドフォード(Eggertsson and Woodford)(2003)(pdf)は、特定の条件の下では、量的緩和ポートフォリオバランス効果を一切持たないという無関連命題を証明してさえいるのである。

確かにこのコメントには偽りはない。ただし、エッガートソン=ウッドフォードのモデルはクルーグマンの「流動性の罠」モデルに若干手を加えた拡張版である、という点を覚えておくことは重要である。エッガートソン=ウッドフォードのモデルでは(クルーグマンのモデルと同様に)人口の成長がなく、それゆえに分配効果も生じない。つまりは、エッガートソン=ウッドフォードのモデルでは、仮定によって、貨幣は純資産ではなく、それゆえに実質残高効果が生じないことになっているのである。次のように語る時、実はRognlieも暗黙のうちにこの点を認識していることになるのである。

(本質的には、エッガートソン=ウッドフォードによる無関連命題はリカードの等価命題のヴァリエーションの一つである。政府のバランスシートのリスクを最終的に引き受けるのは消費者であるので、証券(債券)の持ち手が民間部門から政府に変わったところで何の違いも生じないのである)

この指摘はフィリップ・ウェイル(Philippe Weil)(1991)(pdf)が行っているアナロジーと非常に似たものである。しかしながら、ウェイルも指摘しているように、かような結論は(民間部門において)貨幣が純資産ではないという事実から導かれるのである。貨幣が純資産ではないのは分配効果が存在しないためであり、エッガートソン=ウッドフォードのモデルでは分配効果は仮定によって排除されているのである。

流動性の罠」とは何であるのか、「流動性の罠」の存在を示すモデルにおいて「流動性の罠」が生じるのはどのような状況の下においてであるのか、といった点に関して広く誤解が見られるようである。ゼロ金利制約と「流動性の罠」とを結びつけて論じることが一般的となっているが、両者は必ずしも同じものではない。金融政策を論じるにあたっては、両者の違いに意識的であること(あるいは、少なくとも言葉遣いにもっと慎重になること)が重要である。

*1:訳注;金融政策によってポートフォリオバランス効果が生じるのは経済が「流動性の罠」に陥っていない証拠である。というのも、ポートフォリオバランス効果が生じるのは、貨幣と不完全代替である資産が少なくとも一つは存在するからである。