Jennifer Roback 「ジョージ・オーウェルの経済思想」

●Jennifer Roback(1985), “The Economic Thought of George Orwell(JSTOR)”(American Economic Review, Vol.75, No.2, Papers and Proceedings of the Ninety-Seventh Annual Meeting of the American Economic Association (May, 1985), pp.127-132)


分量も少ないので、余裕があれば訳したいところ。

・・・と予定(それも、おそらく実現しないであろう予定)を伝えて終わりというのも寂しいので、以下、論文の流れに沿って簡単に内容のポイントをまとめておこう。

第1節(Ⅰ. Orwell's Economics)では、オーウェルの経済観が取り上げられている。「経済学者」としてのオーウェルは、資本主義は経済的な面で難点を抱えていると考えていた。当時のイギリスのインテリ全般に言えることだが、オーウェルもまた、マルクス主義経済学の影響を強く受けており、資本主義は非効率的で(=過剰生産や不況、独占に向かう傾向を有しており)、不公平な(=所得の不平等をもたらしがちな)経済システムであると考えていた*1。一方で、オーウェルは、資本主義が抱える経済面での上記の難点を解決し得る経済システムとして、社会主義に望みをかけていたが、社会主義にシンパシーを感じていた当時の一般的なインテリ(中でも、特にユートピアンな社会主義者)とは異なり、社会主義もまた別の難点を抱えている点をも認識していた。その難点というのは、社会主義全体主義へとつながりやすい性質を備えている、ということである。オーウェルがそのように考えたのは、①当時のソ連の現実が明らかに全体主義的な特徴を示していたこと、②計画経済を運営するにあたっては、中央計画を立案・施行する必要があるが、中央計画を立案・施行するためには、特定の人物ないしはグループに権力が集中されざるを得ず、権力の集中が独裁ないしは全体主義へとつながる可能性があること、の2つの理由に基づいていた。経済的な面で難を抱える(=非効率的で不公平な)資本主義と、政治的な面で難を抱える(=全体主義につながりやすい)社会主義。このジレンマに対して何らかの解決策を見出そうとはせずに、ジレンマをジレンマとしてそのまま引き受けた悲観主義者、それがオーウェルであった*2

第2節(Ⅱ. Orwell's Views on Technology)では、テクノロジーに対するオーウェルの見解が取り上げられている。オーウェルは、テクノロジーそれ自体に対して賛成したり反対したりという立場をとるのではなく、「テクノロジーが一体誰のコントロール下にあるか?」という点を問題にしていた。オーウェルは、個々人が自由かつ手軽に(あるいは、安価に)テクノロジーを利用できるような状況(テクノロジーの分権的な利用)こそが望ましく、テクノロジーが政府だったり特定の人物なりグループなりの手にのみ握られるような状況(テクノロジーの中央集権的なコントロール)は避けるべきであると考えていた*3オーウェルの『1984年』は、テクノロジーそれ自体に対する批判、あるいは、飛躍的な発展を遂げた未来のテクノロジーがもたらしかねない災厄に関する予言の書というよりも、テクノロジー全体主義が結びつくことに対する警告の書として理解すべきなのである。

そして、第3節(Ⅲ. Orwell's Era and Its Mood)では、オーウェルが生きた時代背景や当時のムードに目を向けることを通じて、オーウェル悲観主義的な見解を抱くに至った理由が探られている。オーウェルが生きた20世紀前半は、2度にわたる世界大戦の勃発や大恐慌の発生、ファシズムの台頭など暗いムードに覆われた時代だった。特にオーウェルは、第1次世界大戦を経験した「失われた世代」("Lost Generation")(第1次世界大戦が勃発したのは、オーウェルが10代の頃)として、同世代の人々とともに、悲観主義的な見解を共有していた。さらに、戦争の勃発*4と、大恐慌の発生*5によって、オーウェルは、古典的自由主義(Classical Liberalism)に対して幻滅を感じるに至ったのだった。

最後に第4節(Ⅳ. Flaws in Orwell's Economic Vision)では、オーウェルの資本主義ないしは市場に対する診断に対して、経済学的な観点から批判が加えられている――大恐慌(Great Depression)はレッセフェールないしは自由な市場の機能不全の結果であるというオーウェルの判断に対して、フリードマン&シュワルツの研究等を挙げて、大恐慌は政策(特に、Fedによる金融政策)の失敗の結果であったという見解を紹介+価格メカニズムないしは自生的秩序に対するオーウェルの無理解に対する批判――。


(追記)オーウェルとは直接関係ないけれど、Jennifer Roback女史の以下の本にも興味を惹かれるところ(早速アマゾンで注文)。


(追々記)発展したテクノロジー全体主義が結びつくことに伴う危険性を取り扱った論文として、以下のカプランの論文がある。

●Bryan Caplan(2008), “The Totalitarian Threat(doc)”(in Nick Bostrum and Milan Cirkovic(eds)Global Catastrophic Risks, Oxford: Oxford University Press, pp. 504-519)

*1:この点に関連して、オーウェルの『1984年』(それも、エマニュエル・ゴールドスタインの発禁の書の中)から、以下の文章が引用されている。なお、以下の引用はこちらのサイトでの翻訳をそのまま利用させていただいた。「十九世紀の終わりから消費財の余剰が引き起こす問題は工業化された社会において潜在的に存在していた。・・・(略)・・・これはおおよそ一九二〇年から一九四〇年の間の資本主義の最終段階に置いて大規模におこなわれた。多くの国の経済は停滞状態に置かれ、土地は耕作放棄され、資本設備には新たな追加がなされなかった。人口の大部分が職を失い、国からの施しによってなんとか生き延びている状態だったのだ。・・・(略)・・・問題は世界の実際の富を増加させずにいかに産業の両輪を回転させつづけるか、ということなのだ。商品は生産しなければならないがそれを流通させてはならないのだ。」(「第2部 第9章」)

*2:この点に関連して、F・A・ハイエク著『隷従への道』(ならびに、K・ジリアーカス著『過去の鏡』)に対するオーウェルの書評から、以下の文章が引用されている。「資本主義は失業手当の列、市場での奪い合いと戦争をもたらす。集産主義(≒社会主義)は強制収容所、指導者崇拝と戦争をもたらす。」(「30. 書評」, pp.112, in 『オーウェル著作集 第3:1943-1945』(平凡社, 1970年7月〜1971年3月)

*3:この点に関連して、オーウェルが1945年に書いた「あなたと原子爆弾」というエッセイから、その一部が引用されている。「原爆がまだ単なるうわさに過ぎなかった数ヶ月前には、核分裂は物理学者にとって一つの問題に過ぎず、彼らがそれ(核分裂の問題)を解決した暁には、恐るべき新兵器がほとんどだれであれ手の届くものになるだろうと広く信じられていた(いつなんどき実験室の孤独な狂人が、花火を爆発させるのと同じくらいやすやすと、文明をこなごなに吹き飛ばすかしれたものではない、といううわさだったのである)。それが事実だったら、歴史の流れはそっくり急激に変えられていただろう。大国と小国の区別は払拭され、個人に対する国家の力は大幅に弱められていただろう。・・・(略)・・・疑いもなく例外を持ち出すことはできるであろうが、次の通則はおおむね正しいとみなされるのではないかと私は思う。すなわち、支配的な武器が廉価で簡単な時は庶民も希望をもてるということである・・・(略)・・・原子爆弾が自転車やめざまし時計のように安く手軽に作れるものだということになっていたら、それによって我々は野蛮な昔に連れ戻されていたかもしれない。他方また、国家主権や高度に中央集権的な警察国家の終焉を意味していただろう。」(「2. あなたと原子爆弾」, pp.6〜9, in 『オーウェル著作集 第4:1945-1950』)

*4:戦争の勃発は、自由な貿易(free trade)と自由な移民(free migration)によって国家間の平和が保たれるとみなしていた古典的自由主義に対する反証である、とオーウェルの目には映った。

*5:大恐慌は、大規模な「市場の失敗」の結果として生じたものであり、レッセフェール政策の誤りを示すものである、とオーウェルの目には映った。