「デレバレッジ・ショックと財政乗数」


●Paul Krugman, “Deleveraging Shocks and the Multiplier (Sort of Wonkish)”(The Conscience of a Liberal, October 9, 2012)

ジョナサン・ポルテス(Jonathan Portes)−来週ロンドンで行われる予定の財政政策に関する討論の場では私と彼とは共同戦線を張ることになるだろう−が財政乗数の推計をめぐるIMFの懺悔にコメントを寄せている。彼(+IMF)の指摘によると、これまで世界中の多くの政策当局者は財政引き締めの乗数は1を大きく下回るとの前提に立って行動してきたが、実際の経験に照らすと現時点において財政乗数は1より大きい値をとることが示唆されている、とのこと。

財政乗数が大きくなるロジックと危機の発生をめぐるロジックとの間には非常に密接なつながりがある、という点はここで指摘しておく価値があるかもしれない。つまりは、信用バブル後の時期においてこそ財政乗数が大きくなると予想されるのである。また、それだからこそバブル(崩壊)後のあきらめ*1―もっとまずいことには、財政緊縮の要求―はひどく破壊的な結果をもたらすことになるとも考えられるのである。

現在我々が置かれている混乱状況を説明するシンプルだが概して正しいストーリーは次のようになるだろう。レバレッジに関する過度に強気な(自信満々な)態度がしばらく続いたかと思うと突然その態度に終止符が打たれる。過度に強気な態度に支えられて家計債務が急速に膨れ上がり、(その強気な態度の終焉に伴って)突如として債務水準が過剰であると認識されるに至る*2


マクロ経済的な観点からして重要なポイントは、レバレッジとデレバレッジ(債務の圧縮)はその(景気あるいは総需要に対する)効果の面で非対称的な性質を持つ、という事実である。レバレッジの上昇(債務の増加)―他の事情が一定とすれば―は総需要の高まりをもたらすが、この総需要の高まりは中央銀行によって相殺可能であるし実際にも相殺される傾向にある−中央銀行はいつでも金利を引き上げることができる−。一方で、デレバレッジ(が経済を冷え込ませる効果)はレバレッジ(が経済を刺激する効果)ほどには容易に相殺することはできない。確かに中央銀行による金利の引き下げによってデレバレッジの効果を相殺することはできるが、金利はゼロ%までにしか引き下げることができず、また非伝統的な金融政策に関しては多くの論争があり、その効果も不確かな面がある(ただし、だからといって非伝統的な金融政策には手を出すべきではないと言っているわけではない)。

つまりは、急速なレバレッジから急速なデレバレッジへのサイクルが生じるケースにおいては通常の金融政策によっては解決し得ない総需要の持続的な不足−私が「不況の経済学(depression economics)」と呼ぶ状況−が発生する可能性があるわけである。

さて、ここで注意を要するポイントだが、デレバレッジへの対処を困難とする要因が通常の状況においてよりも財政乗数を大きくする要因としても働くことになる。通常の状況であれば、拡張的な財政政策は金融引き締め(金利の引き上げ)によって相殺される一方で、緊縮的な財政政策は金融緩和(金利の引き下げ)によって相殺されることになる。過去の経験(通常の状況にある経済の経験)に基づいて導き出された財政乗数の予測が小さい値をとるのもそのためである。しかし、デレバレッジの圧力のために経済が流動性の罠に追いやられるや、財政政策の効果を相殺するものは何もない状況となる。

それでは、そういった(デレバレッジの圧力のために経済が流動性の罠に陥っているような)状況において財政乗数はどの程度の大きさになると予想されるだろうか? 答. 1より大きい。

どうしてそう言えるのだろうか? その理由を探るために、まずはじめに摩擦のない世界ではどういうことになるか考えてみることにしよう。つまり、消費者は将来のことを完全に見通すことが可能であり(完全予見の仮定)、資本市場に誰でも自由に(同じ条件で)アクセスできるとしよう(資本市場の完全性)。この場合、財政乗数は1ということになるはずである−政府支出が変化しても消費需要は増えも減りもせず、政府支出の変化は同規模のGDPの変化をもたらすことになる−。というのも、政府支出の増加は現在所得を増加させることになるが、同時に将来における税負担の増加も意味することになり、これら2つの効果*3は完全に相殺し合うことになる*4だろうからである。

ここで話を現実に近付けるために摩擦を加えてみることにしよう。家計は流動性制約下に置かれている(資本市場の不完全性)とともに/あるいは家計は現在の所得に依存して消費水準を決定するように経験則(rules of thumb)に従って振る舞うものしよう(ところで、エッガートソン(Gauti Eggertsson)との共著論文でも指摘したことだが、債務/デレバレッジモデルを使用するということは実質的に多くの家計が流動性制約下にあると想定していることになる)。こういった摩擦が存在する場合、財政政策の実施に伴って現在所得が変動すればそれと同じ方向に消費も幾ばくかの変化を見せることになるだろう*5。つまり、財政乗数は1より大きくなるのである。

「ところで、信頼(confidence)の問題はどうした」との声があるかもしれない。確かに、現在の政府支出の変化が将来における(政府支出の)もっと大きな変化の前兆であると人々が信じるとすれば、先の結論はひっくり返されることになるだろう。しかし、財政刺激策に関して人々がそのように信じるという理由は一切ないし−これまでのところ財政刺激策は一時的なものであったことがはっきりとしている−、財政パニックに応じるかたちで急ごしらえで実施された財政引き締めに関しても人々がそのように信じるかどうか疑わしいと言えよう。

そういったわけで、財政乗数が大きいとしても驚くべき理由などないのである。財政乗数が大きくなる*6というのは我々が現在置かれているような危機の下では予測可能な事態であったのであり、小さな*7財政乗数という正当化し得ない想定を受け入れたことで世界各国の政策当局者は危機の深刻化に手を貸すことになったのである。

*1:訳注;金融危機の後には長くて深刻な景気後退が到来するのが必然的な流れ(変えることのできない運命)なのだから何をやっても無駄である、とあきらめの態度をとること

*2:訳注;その結果として多くの家計が一斉にデレバレッジに向けて動き出すことになる。

*3:訳注;現在所得の増加と将来における税負担の増加

*4:訳注;つまりは、政府支出が増加しても現在の消費は変化しない

*5:訳注;現在所得の増加(減少)→現在消費の増加(減少)

*6:訳注;1を上回る

*7:訳注;1を下回る