Neil Irwin 「ケチャップ発言を巡るミステリー 〜あの発言の主は噂通りの人物? それとも・・・?〜」


●Neil Irwin, “The mystery of Ben Bernanke and the Japanese ketchup is solved!”(Wonkblog, May 12, 2013)

つい先日私は中央銀行をテーマとした著書を上梓するに至ったが、その中でFRBの現議長とケチャップならびに日本銀行三者を巡るちょっとしたミステリーについて言及している。しかし、今やそのミステリーは解かれた、と個人的には考えているところだ。

遡ること10年前の2000年代初頭、アメリカの政府高官ならびに経済学者らは日本政府、中でも日本銀行に対してひっきりなしに次のようなコメントを寄せていた。日本経済がデフレから脱却するために日本政府(中でも日本銀行)はもっと積極果敢に行動する必要がある、と。当時FRBの理事であったベン・バーナンキ(Ben Bernanke)もそのように発言していたうちの一人だった。

長年にわたり日本銀行の役員の間で流布し、またリチャード・クー(Richard Koo)が繰り返し自らの著書の中で取り上げている次のようなストーリーがある。それはバーナンキが2003年の5月に訪日した際のエピソードに関するものである。当時バーナンキは次のように語ったと言われている。「中央銀行はいつでもインフレの上昇をもたらすことができるはずだ。市中に貨幣を注入する上で金融資産を購入するだけでは十分ではないようなことがあっても、日本銀行はそれ以外に何でも−それこそトマトケチャップでも−買うことができるし、そうすることを通じて経済に流通する貨幣の量を増やし、物価の上昇をもたらすことは可能なのである。」

ケチャップとは何とも面白い例である。しかし、ここに問題が控えている。バーナンキ自身はケチャップを例に持ち出した覚えがないばかりか、果たして本当に自分がそのように発言したのか極めて懐疑的なのである。先にも触れた私自身の本では日本をテーマに1章を割いているが、その箇所を執筆している最中、このケチャップ発言を巡るエピソードに関して確信が持てないでいた。バーナンキの記憶違いなのだろうか、それとも日本銀行の役員の間で噂が広まるうちに話が事実とは違うかたちで伝わってしまったのだろうか、と。かつて東京に滞在していた際に日銀の元スタッフからこのエピソードを耳にしたことはあったものの、バーナンキのケチャップ発言を直接聞いたという人は誰一人としていなかった。そういう事情もあって、拙著ではバーナンキがケチャップあるいはそれと類似のモノを例として持ち出したかどうかについては真偽不明の未解決問題として取り上げる格好となったのであった。

しかし、今やその答えが明らかになったと言えるかもしれない。当時財務省の役人であったトニー・フラット(Tony Fratto)から次のような話を聞いたのである。彼の記憶によると、現在スタンフォード大学に籍を置く経済学者であり、当時は財務次官(国際経済担当)を務めていたジョン・テイラー(John B. Taylor)とともに日本銀行を訪れたことがあるという−新聞の切り抜きから判断すると、彼らが日銀を訪れたのは2002年10月のことだと思われる−。その際にテイラーがケチャップ発言をしたのを聞いたというのだ。

フラットはメールで次のように答えている。「私たちが東京を訪れたのは、不良債権の処理をもっと速やかに進めるとともに、量的緩和をもっと積極的に実施するように日本の政策当局を鼓舞するためでした。あの時のジョン(テイラー)はぶっきらぼうな調子で意見を開陳していましたが、ケチャップ発言を含むコメントはそのようなざっくばらんな雰囲気の中で語られたものでした。ジョンは長い間日本銀行(金融研究所)の顧問を務めており、そこで働く人々全員と大変良好な関係を築いていました*1。当時のエピソードは非常によく覚えています。」

加えて、例として持ち出されたのは抽象的な「ケチャップ」というわけではなかったようである。フラットの記憶では、テイラーはケチャップの具体的な銘柄まで口にしたらしい。

「当時私たちは二人ともピッツバーグに住んでいて、日本への移動中はピッツバーグのあれやこれやについて情報を交換し合ったり語り合ったりしていました。ジョンは単に『ケチャップパケット』とだけ述べたわけではありません。『ハインツのケチャップパケット』*2と述べたのです。」

どうやらこれが真相のようである。テイラーこそがあの何とも愉快なケチャップ発言の主だったのである。このエピソードが語り継がれる中で、テイラーと同じく高い評価を得ているアメリカ出身のマクロ経済学者であり、また彼と同じくその後公職の座に就くことになり、また彼とほぼ時期を同じくして日本を訪れた別の人物*3の発言として入れ替わってしまったのであろう。

テイラーによると、当時日本銀行を訪れた際にケチャップのメタファーを用いたかどうかまでは詳しくは覚えていないものの、大学の講義で学生に金融政策のことを説明する際の助けとしてケチャップを例に持ち出してきたことは確かだということだ。テイラーはメールで次のように述べている。「これまで長年に(何十年にも?)わたってスタンフォード大学での経済学入門の講義で公開市場操作のエッセンスを説明する際に、『ケチャップが十分に存在するようであれば、Fedはケチャップを買うことができる』といったような調子でケチャップを例に持ち出してきました。学生が金融政策の働きを理解し、そのことを記憶に定着させるよう促すための教育上のジョークの一種としてですが。」

さて、ここにもう一つのアイロニーがある。テイラーとバーナンキが日本を訪れ、日本銀行に対してもっと積極的な金融政策に打って出るよう発破をかけてから10年以上が経過しているが、ついにここ最近になって、安倍晋三首相率いる新政府と黒田東彦新総裁率いる日本銀行アメリカの政府高官がかつて推奨していた積極的なアプローチに踏み出すこととなった。インフレ率を2%にまで引き上げるために必要なことは何でもすると誓ったのである。これまでの動向を観察する限りでは、新たに刷った貨幣で債券を無制限に購入する姿勢を見せるなどしており、日本の政策当局は前進を続けているように思える。

しかしながら、巷間伝えられるところでは、日本銀行が新たに刷った大量の円でトマトケチャップ−ハインツあるいはその他の銘柄のケチャップ−を購入する予定はないようである。


The Alchemists: Three Central Bankers and a World on Fire

The Alchemists: Three Central Bankers and a World on Fire


(追記)アダム・ポーゼンが↑のIrwin本(『The Alchemists: Three Central Bankers and a World on Fire』)の書評をしているようだ。

●Adam S. Posen, “The Myth of the Omnipotent Central Banker”(Foreign Affairs, July/August 2013)

*1:訳注;テイラーが打ち解けた調子で意見を述べたのもそのためであった。

*2:訳注;ハインツの本社はピッツバーグに居を構えている。

*3:訳注;バーナンキ