流動性の罠の下における名目賃金と失業との関係
●Paul Krugman, “NOTES ON NOMINAL WAGES AND EMPLOYMENT(pdf)”
総需要曲線(AD曲線)が通常の形状をとる(=右下がりのAD曲線)ならば、名目賃金の上昇は失業を増加させるということになろう(名目賃金の上昇は総供給曲線をAS1からAS2へとシフトさせるため)。しかしながら、流動性の罠の状況下においては、ケインズ効果*1は働かず、またピグー効果*2とフィッシャーの負債デフレ効果*3とが互いに相殺し合うとするならば、総需要曲線は垂直な形状を持つ可能性がある*4。もし総需要曲線が垂直な形状を持つとすれば、名目賃金の上昇による総供給曲線のシフト(AS1からAS2へ)は物価を上昇させるだけで失業には何らの影響も与えないということになろう。
1930年代の大不況(Great Depression)下におけるニューディール政策(中でもNIRAによる名目賃金の維持)はその意図に反して失業の悪化に手を貸す結果となったと主張する論者は暗黙のうちに右下がりの総需要曲線を想定していることになるが、当時のアメリカの状況(=流動性の罠の状況にあったと考えられる)を勘案するならば総需要曲線は通常のように右下がりではなく垂直な形状を持っていたと考えられるのではなかろうか。そうだとすれば(=当時のアメリカにおいては垂直な総需要曲線のケースが妥当していたとすれば)、「名目賃金の維持・引き上げを目的としたNIRAは不況を後押ししたに過ぎない」という判断は誤ったものであるということになろう。
(付記;12/5)
政策的に名目賃金を引き上げることが可能だとしても必ずしも実質賃金も同時に上昇するとは限らないという点は注意すべきであろう。総需要曲線が垂直なこのケースでは、名目賃金の上昇前と後(AS曲線がAS1からAS2へとシフトした後)とで産出量水準は変わっていないのだから雇用量も変わらないし、それゆえ実質賃金も変化なしとなるんじゃなかろうか。つまりは、名目賃金の上昇は物価の上昇によって完全に相殺されるということになるんじゃなかろうか。
- 作者: ジェイムス・トービン,浜田宏一,藪下史郎
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 1981/11
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(追記)トービンの本だけじゃなくてパティンキンの以下の論文も参照したいところ。AD-AS分析の枠組みは用いてないけれども。
●Don Patinkin(1948), “Price Flexibility and Full Employment”(American Economic Review, vol.38, pp.543-64)
(追々記)
●Greg Mankiw, “AS, AD, and the New Deal”(Greg Mankiw's Blog, December 3, 2008)
●Paul Krugman, “Even more on nominal wages”(The Conscience of a Liberal, December 3, 2008)
●Paul Krugman, “Real balance effects (wonkish)”(The Conscience of a Liberal, December 4, 2008)
●David Beckworth, “Paul Krugman and the Vertical Aggregate Demand Curve”(Macro and Other Market Musings, December 3, 2008)
●Tyler Cowen, “The AD-AS model with a vertical AD curve”(Marginal Revolution, December 4, 2008)
Beckworth氏がツッコんでるようにAD曲線が全域にわたって垂直であるという点は問題。ちなみにトービンの本では総需要曲線は後方に屈折(backward-bending)した形状を持っている(記憶が正しければ)。
(さらに追記)okemosさんによる邦訳が登場ですよ。あっしの要約がいかに頓珍漢か、これで一目瞭然ですねw
●okemos, “クルーグマン:名目賃金と雇用について”(P.E.S, 2008年12月5日)
*1:物価変動が実質貨幣残高の変化を通じて総需要に影響を与える経路。物価下落→実質貨幣残高の増加→(貨幣需要の利子弾力性がマイナス無限大でなければ)利子率の下落→総需要の増加。
*2:物価変動が実質資産価値の変化を通じて総需要に影響を与える経路。物価下落→実質資産価値の上昇→総需要の増加。
*3:物価変動が実質負債価値の変化を通じて総需要に影響を与える経路。物価下落→実質負債価値の上昇→総需要の減少。
*4:ピグー効果>フィッシャーの負債デフレ効果(ピグー効果がフィッシャーの負債デフレ効果を凌駕する)ならばAD曲線は右下がりとなるが、ピグー効果<フィッシャーの負債デフレ効果ならばAD曲線は右上がりとなる。詳しくはトービン著『マクロ経済学の再検討』第1章を参照。