大学は建物ではない

 その東畑博士が草された一文を何気なくよんでいるとき、そこでついに上述の疑問を解消する注目すべきくだりに遭遇した。曰く、シュムペーター文庫の贈呈「式が行われた一橋大学の本館の特別応接室は、昭和6年1月末、厳冬の時に、同大学に講演にきたシュムペーターを迎えて、多くの人が氏を中心として歓談のひとときをもった室でもあって、故教授[シュムペーターのこと]の思い出などが自ら列席者によって語られた。序にいうが、その時に講演の題は『経済学徒の科学的装備』というのであった。あの時の室の寒さはシュムペーターを少しばかりたじろがせたかもしれなかったが、氏はそれを気にしている当時の教授たちに『大学は建物ではない』と云ってのけた。そして例えばイタリアのボロニア大学とかその他の例をひいて、その貧弱な大学の建てもののなかで、いかに見事な研究の成果が挙げられたかを物語った」(「由来記」―“The Catalogue of Prof. Schumpeter Library” 1962)と。
 「大学は建物ではない」という言葉を上記の文脈で読めば、それがシュムペーターをかこむ会合の部屋の寒さに気をつかう人びとへの慰めの言葉であることは明白。ボローニア大学のような襤褸(ぼろ)?!の建物であっても、立派な研究成果があがればそれで十分なので、寒いことなど大学の本質とは無関係ではないかとの暖かい思いやりのこもった励ましの言葉でさえあって、けだし至言である。日本人ならいざ知らず、西欧人で、しかも芸術の都といわれるウィーンで成人したシュムペーターにとっては、一橋大学の建造物の形態にさしたる関心のあろうはずはなく、したがって彼の発言は、東畑博士の文脈によって理解されるのが妥当である。・・・知恵者あって、都心からの都落ちにガックリきている一橋人を励ますべく、シュムペーターもひがむほどの学舎で研究ができるではないかと、彼の発言を意識的に転用したのが伝説の始まりだったのではなかろうか。(三上隆三著『経済の博物誌』 「第1章 伝説の種まく人−シュムペーター」、p14〜p16より引用)

引用者注;引用文中にある「伝説」とは、神田一ツ橋の都心部から現在の国立市へと都落ち(?)した一橋大学の新校舎(伊東忠太東大教授の手になるロマネスク様式建築)を見たシュムペーターが、「建造物の美麗さにうたれたあまり、その反動として大学の本質は学問の研鑽にこそあれ建築物にあるのではない」(p11)との意味を込めて「大学は建物ではない」University is not building と口走ったとの言い伝えのこと。三上先生が抱いた「上述の疑問」とは、文中にもあるように「芸術の都といわれるウィーンで成人したシュムペーターにとっては、一橋大学の建造物の形態にさしたる関心のあろうはずはなく」、「ベルサユー宮殿の影もうすくなるような、ハプスブルク王朝の粋をあつめた建造物のたちならぶ首都ウィーンで教育をうけた「教養ある旧派のオーストリアのジェントルマンであり、ハプスブルク末期の貴族社会の雰囲気を終生もった人」(ハーバード大学編『追憶記録』)といわれるシュムペーターにとっては、学舎としての一ロマネスク建造物に魅了されることはないはず」(p12〜p13)であり、「伝説」の信憑性は疑わしいということ。シュムペーターが講演をした会場、つまりはその寒さによって「シュムペーターを少しばかりたじろがせたかもしれな」い、ある意味風通しのよい部屋とは兼松講堂 (訂正;一橋大学本館の特別応接室。ご指摘ありがとうございます)のこと。