強迫観念としての大不況


●J. Bradford DeLong,“The Shadow of the Great Depression and the Inflation of the 1970s”。


1970年代にアメリカ経済を苦しめた加速するインフレ(高率のインフレ率の持続)の背後に1930年代の大不況(the Great Depression)の影(政策決定の場において一つの桎梏と化した記憶)を垣間見ることができる。物価安定よりも失業率の抑制(“完全雇用”)を優先する政策決定者の態度―ニクソン大統領は失業率を高める恐れがあるインフレの抑制には否定的であり("control inflation without a rise of unemployment";アイゼンハワー前大統領は反対にインフレの加速を許しかねない(過度の)景気刺激策には否定的であり、ニクソンは1960年の自らの大統領選での敗北の責任を彼のそのような(インフレ抑制を容認した)態度に求めている(八つ当たりです))、アーサー・バーンズFRB議長はインフレ期待の持続が構造化された(とバーンズが考える)戦後世界において政策的にインフレ率を操作することはできないと考えた(あるいは懐疑的な態度を示した)―が中央銀行に対する信認(credibility)―物価の番人としての中央銀行に対する信頼―をそぐかたちとなり(物価安定へのコミットに失敗したわけです)、その結果(民間経済主体が高率のインフレ期待を抱くことになってしまったがために)インフレ率は高い水準に止まり続けることになったからである。


DeLongは1970年代にインフレの加速をもたらした原因(の候補)を3つ挙げている。

1.until the 1980s no influential policymakers-until Paul Volcker became Chairman of the Federal Reserve-placed a sufficiently high priority on stopping inflation(インフレの抑制に高いプライオリティをおく政策決定者が存在していなかった―1980年代になってポール・ヴォルカーがFRB議長となるまでは―)

2.bad cards coupled with bad luck made inflation in the 1970s worse than anyone expected it might be(1に不運(石油ショック等特定商品の急激な値上がりを引き起こした防ぎようのないサプライショック)が重なったため)

3.the shadow cast by the Great Depression(大不況の記憶が政策決定に歪みをもたらしたため)


2はおいといて(DeLongは、ある特定商品の急激な値上がりが消費者物価自体をも上昇させることを必然と考えるのは相対価格と絶対価格を混同したものである、というフリードマンの議論(中国デフレ説を否定する議論として持ち出されるアレです)などをあげて1970年代の長期にわたってインフレの加速を招いた要因としてはサプライショックの影響はそれほど大きなものではないとしている)、1の背後には3が控えている。つまりは大不況の記憶によって政策決定者がインフレの抑制をそれほど重要視しなくなった(失業者の救済(失業率を低く抑える)のためにはインフレの招来も辞さなくなった(追記)ちょっと不正確。失業率を低下させることに躍起となったばかりにインフレ抑制に対する注意(関心)が弱まった。くらいの感じが適当か)のであり、根本的な原因は3であるということになる。

Why did the political consensus to reduce inflation not exist until the end of the 1970s? And why did makers of economic policy during the 1960s watch with little concern as inflation crept upward, and as expectations of rising rates of price inflation became embedded in labor contracts and firm operating procedures?

The source of these attitudes and frames of mind is, in a strong sense, the most profound cause of the inflation of the 1970s. And that source is the shadow cast by the Great Depression.


4人に1人が失業するという事態(遊休設備がそこら中にあふれかえっている事態)を迎えるや、経済は趨勢的な成長線(潜在GDP成長率)の周りを変動するものだという考え(経済は、不況→好況→不況→好況・・・と趨勢的な成長線に沿って(何もしなくとも)サイクルを描く)はもはや受け入れられるものではなくなり、経済はいつまでも(政策的な処置に乗りださなければ)潜在GDP以下の水準に居座り続けることがあると当然視されるようになった。デフレギャップを埋めることが財政金融政策の役割であり、可能な限り失業率を低く抑え資源の有効活用を実現せねばならない。

不況を前にしては座して待つべきではなく、総需要喚起策によって積極的にデフレギャップの縮小に取り組むべきではある。が、果たしてデフレギャップの水準はどれほどのものなのか。実現可能な最小の失業率水準は何パーセントなのか。大不況という悪夢から逃れるためにはそんな問いにかかずらっている暇はない。失業率を低めること。限りなく0%に近い失業率(この場合は4%以下の失業率)を実現すること。失業者の救済という正義を実現するためには(または大不況という不幸を二度と繰り返さないためにも)景気を刺激し続けねばならず、そうすることによって(コストもかけずに)失業率は下がり続けていくことだろう。悪夢から覚めるためには楽観的になる(失業率が低下していっても(4%以下になっても)インフレ率はそれほど上昇しないはずだ←デフレギャップを過大に推計しているとも言える)しかない(Neither economic theory nor economic history gave guidance, so there was a strong tendency to rely on hope and optimism.;人間は自信のない時、希望的観測や楽観的な予測に基づいて行動するものだ)。

Only after the experiences of the 1970s were policymakers persuaded that the minimum sustainable rate of unemployment attainable by macroeconomic policy was relatively high, and that the costs-at least the political costs-of even moderately high one-digit inflation were high as well.

Only after the experiences of the 1970s were policymakers persuaded that the flaws and frictions in American labor markets made it unwise to try to use stimulative macroeconomic policies to push the unemployment rate down to a very low level and to hold it there.


現実に平手打ちされて正気に戻る。フリーランチは存在しない。失業率を限界以上に(自然失業率以下にといってもよい)低めようとすればインフレの加速を伴う。政策によって実現可能な最小の失業率は予想以上に高いものであり(自然失業率は想定していたよりも高い)、インフレ(1桁台のインフレ率でさえも)のコスト(庶民?からの反発など)は思った以上に大きい。(追記)自然失業率の水準自体を引き下げようとするならば、財政金融政策ではなく労働市場構造改革によらねばならない(政策の割り当てに留意する必要(総需要喚起策の限界を知る必要)がある)。1970年代にインフレの加速という代価を払うことによってアメリカの政策決定者らが気づかされたことである。

大不況の経験が強迫観念となって失業率の抑制が至上課題となる。現実に大きな犠牲を蒙ることによってしか誤った観念(行き過ぎた考え)の間違いに気づくことはできない。観念なるものの厄介さ(加えて中庸を得ることの難しさ)を改めて思い知らされるものだ。しかしながら、DeLongの次の言葉には素直には納得できないところがある。

Thus there is a strong sense that something like the inflation of the 1970s was nearly inevitable. Had macroeconomic policy been less stimulative in the 1960s, and had inflation been lower at the end of that decade, there still would have been calls for increasing efforts to reduce unemployment in the 1970s.


もし1960年代のマクロ政策が現実よりも景気刺激的でなかったとしても(1960年代の終わりにおけるインフレ率がヨリ低かったとしても)同じような1970年代を迎えたことだろう。失業率の引き下げを要求する声は鳴り止まず限度を超えた総需要喚起策が採られたに違いない。我々が体験した1970年代は不可避的なものなのである・・・。説得によって観念の誤りをただすことはできない(現実に痛い目見ないと間違いに気づかない)、と言っているも同然のような気が・・・(追記;観念の呪縛から逃れることはなかなかに難しいものだということならば納得)。う〜ん。