4つのマネタリズム


●J. Bradford DeLong、“The Triumph of Monetarism?


同じくDeLongの手になる“The Monetarist Counterrevolution: An Attempt to Clarify Some Issues in the History of Economic Thought”(ニューケインジアン? ニュークラシカル(あるいはマネタリスト)? 戦前の素朴な貨幣数量説論者や清算主義者(Liquidationist)から見れば同類だよ、というような話)を読むため(というかこっちを先に読んだんだが)の下準備。学習帳らしい話題かと。


マネタリズムと一口に言っても、その立場から主張されていることは時代により人により微妙に違う。マネタリズムの歴史的変遷をたどってみると、その議論展開の特徴に基づいてマネタリズムを大まかに4つ(の時代)に分けることができるのではないか、とDeLongは語る。以下DeLongによるマネタリズムの4分類。


1.First Monetarism

代表的な論者はアーヴィング・フィッシャーや『貨幣改革論』以前のケインズ(「In the long run, we are all dead」というケインズの言葉はFirst Monetarismからの決別を象徴するものであった)、ロビンズ、シュンペーターなど。(ロビンズ、シュンペーターがFirst Monetarismの一員だったというよりは彼らの手によってFirst Monetarismがあたかも政策の無効性を主張する議論であるかのようにカリカチュアされた、とした方が適当ですね)。
物価や利子率の決定因、景気変動を生み出す要因としてマネーストックに着目し、貨幣数量説を物価水準やインフレ率、利子率の数量的な分析や予測の道具として初めて明示的に利用したのはフィッシャーである。精緻な経済分析(analysis)は存在するものの全体として理論(theory)体系は未発達であった(フィッシャーのデットデフレ理論なんかもあるが)。特に後二者に見られる特徴であるが(素朴な貨幣数量説の信奉者―貨幣量が二倍になれば物価水準が二倍になるだけで実体経済には何の変化も生じない―も含まれるかもしれない)、不況からの脱却を目的とする財政金融政策の有効性に懐疑的な見方を示す(monetary and fiscal policies were bound to be ineffective--counterproductive in fact--in fighting recessions and depressions because they could not create true prosperity, but only a false prosperity that would contain the seeds of a still longer and deeper future depression.;“The Monetarist Counterrevolution〜”において(清算主義者としてのシュンペーターについて論じている箇所で)詳細に取り上げられているが、総需要喚起策は実体経済に何の効果も及ぼさないと考えているわけではなく、むしろ効きすぎる結果として将来の経済発展(企業家によるイノベーション)を阻害するために総需要刺激策に否定的な見解を有する。「空景気」を無理やり生み出す総需要喚起策は根本的な処方箋ではない!!)。その結果、First Monetarismは政策無効を支持する議論として受け止められるに至る(フリードマンにすればこの見方はFirst Monetarismを“atrophied and rigid caricature”したものとなる。アービング・フィッシャーはこの意味でのFirst Monetaristではないということになりますかね)。


2.Old Chicago Monetarism

代表的な論者はViner, Simons, and Knight。いわゆるChicago School oral traditionのこと。

(1)景気動向(好況/不況)や物価動向(インフレ/デフレ)が経済主体の貨幣保有インセンティブに影響を与える(貨幣保有機会費用が変化すると言い換えてもよい)結果として貨幣の流通速度は一定にはならず(=変化しやすい)、(2)預金準備率や現金・預金比率は変化しやすく(整備された預金保険制度を伴わない準備預金制度下においては、預金返済の確実性の程度が劣るためにちょっとしたきっかけで預金保有者による取り付け騒ぎが引き起こされる可能性が高く、取り付けを恐れる銀行の行動は預金準備率を、預金の安全性に疑念を持つ預金保有者の現金選好は現金・預金比率を大きく変動させることになる)、そのため貨幣乗数の値も予測困難なものとなるためにマネーサプライを思うままにコントロールすることは難しい、との認識を有する。(Old Chicago Monetarism (a) did not believe that the velocity of money was stable, and (b) did not believe that control of the money supply was straightforward and easy.)。また、大不況(Great Depression)期にはデフレ(あるいは不況)を放置する政策当局を批判し、積極的な金融緩和や財政赤字の拡大も辞さない大幅な政府支出増により不況がもたらす痛みを緩和すべきと政策当局に訴えた実績があり(この点についてはR.E.パーカー著『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』フリードマンが触れていたと記憶)、この点は(atrophied and rigid caricatureされた)First Monetarismとの大きな違い(Old Chicago Manetaristは財政金融政策は不況対策として有効であり、また実施すべきであると考えていたため)と言える(先に挙げた二つの特徴((1)と(2))は素朴な貨幣数量説への疑問を呈しているわけで、この点も違いと言えるかもしれない)。

(おまけ)パティンキンやハリー・ジョンソンによればChicago School oral traditionなんてものは存在しない、フリードマンの創作に過ぎないということになる(In Patinkin and Johnson's view, Old Chicago Monetarism was a retrospective construction by Milton Friedman (1956). In their view, Friedman used "Keynesian" tools and insights to provide a retrospective post-hoc theoretical justification for policy recommendations that had little explicit theoretical base at the time, and to construct for himself some intellectual antecedents.)。手元にあるジョンソン著『ケインジアン-マネタリスト論争』にはこう書いてある。

・・・一つの伝説を作り出すことでした。すなわち、ケインズ派独裁の暗黒時代に少数の先駆者のグループが存在し、貨幣数量説が根本的事実を伝えるものとしてシカゴ大学における口伝えの奥義として守ってきたというものです。・・・シカゴ学派は、次のような伝説を作り上げました。すなわち、ミッドウェイ(シカゴ市内にあるシカゴ大学の所在地)にある秘密の神社には孤高の光が燃え、光を求めた信者たちをよび集め、おびやかされることなく真実が大衆に明示される日が来るのを待つようにはげましつづけた。そしてそこでともされたローソクは、その光が遠く広くひろがり、古い宗教からの改宗者をひきつけるチャンスが到来したときにわざわざ作られたものでした。結局、この伝説は根拠がなく後から作られたものにすぎませんでした。(p168〜170)


3.Classic Monetarism

代表的な論者はFriedman、Brunner、Meltzer、 Cagan・・・etc。
多くの(現在においても)有益な研究成果―ハイパーインフレ下では貨幣需要関数は極めて安定的なものとなる、マクロ政策の限界−ラグや政策効果の不確実性−についての認識、ルール型政策の重要性(←ファインチューニングの弊害(=政策実施のタイミングの誤りやら経済の現状分析の誤りやら)を避けるための手段としてのルール)、フリードマン=シュワルツによる大恐慌研究などなど―を生み出しており、ニューケインジアン陣営においてもClassic Monetarismの研究結果は重宝されている(あるいは確かなものとして受容されている)。本来のマネタリズムと言うべきか。

Classic Monetarismには、①Old Chicago Monetarismによって把握されていたマクロ経済の不安定性を生み出す根源−変化する貨幣の流通速度/不安定な貨幣乗数−の除去を目指して貨幣・金融制度の改革を提言する動きと、②リバタリアン的な政治思想へと合流する動き、が複雑に絡み合っていた。
①の流れは、民間の銀行に100%の預金準備率を課すことにより貨幣乗数を安定的なものにしよう(そしてマネーサプライの制御可能性(controllability)を高めよう)との試み(預金準備率が100%であれば民間部門による預金準備率の操作の余地はなくなり、また預金保有者も自分の預金が完全に保全されるため現金・預金間の資産選択が一時の動揺(=風評)により左右されることはなくなる=現金・預金比率の安定化)や名目貨幣成長率を一定に保つ(=k%ルールってやつです)ことでインフレやデフレによって貨幣ストック成長率が変動することを防ぎ(=受動的金融政策からの離脱)、もって貨幣乗数を安定化させよう(そしてマクロ経済の変動を安定化させよう)との提言を生む。
②の流れは、k%ルールを選挙時における過度の金融緩和(=政治的景気循環)の可能性を絶ち(あるいは特定の政党ないし利益集団を益するために金融政策が利用されることを防ぎ)、中央銀行の裁量の幅を狭める手段として、つまりは政府の権力を縮小させる手段として看做すことにより、政治思想的な観点からのk%ルールの正当化根拠となった(The monetarist policy recommendations of a stable growth rate for nominal money and a constrained, automatic central bank were then seen as having an added bonus: they were tools to advance the libertarian goal of the shrinkage of the state.)。

Classic Monetarismはフリードマンフェルプスによる予測―短期的なフィリップス曲線の妥当性への疑問(これまでの安定した(失業率-インフレ率間の)関係の崩壊を予想)―が現実のものとなったこともあって、1970年代の経済学界において最も大きな影響力を持つことになる。


4.Political Monetarism

1970〜80年代のアメリカ社会で実際に大きな影響力を有したマネタリズム。世俗化されたマネタリズムとでも表現すべきか。
Political Monetarismは条件をつけることなく貨幣の流通速度は安定していると断言し(Old Chicago/Classic Monetarismによる観察はまったく無視されている)、貨幣制度の改革がなくともマネーサプライが完全にコントロールできるかのように語る(フリードマンが貨幣制度改革の必要性をあれほど強く訴えた理由も無視されるわけです)。貨幣の流通速度が安定しており、中央銀行がマネーサプライを完全に管理できるなら将来の物価動向や名目GDP水準に関する予測は非常に容易なことになります。マネーサプライだけを見てれば大丈夫ですから。不況やインフレ率の過度の変動をもたらす元凶も唯一つ。適切なマネーサプライ成長率の維持に失敗した中央銀行(経済の良し悪しは中央銀行によるマネーサプライ成長率(=この立場においては中央銀行が自由にその値を決めることができると想定される)だけによって決定されるわけです)(Everything that went wrong in the macroeconomy had a single, simple cause: the central bank had failed to make the money supply grow at the appropriate rate.)。単純明快ですな〜(Money mattersをもじればOnly money mattersということになりますか。 any policy that does not affect "the quantity of money and its rate of growth" simply cannot "have a significant impact on the economy.")。

そのわかり易さも手伝って(スタグフレーションという事態を説明できずにいたオールドケインジアンの失態もあって)、マネタリズムの教義は経済学の世界のみならず一般大衆の中にまで広く受容されるようになった。政策の場においてもFRBのヴォルカー議長の主導によって金融政策の操作変数(あるいは中間目標)が金利からマネタリーベース(マネーサプライ)という量的な指標へと変更されることになる(=新金融調節方式(79年10月;非借入準備残高が操作変数に 82年10月;連銀貸出残高が操作変数に))。The Triumph of Monetarismは誰の目にも明らかだった。


マネタリズムにとって不幸であったことは、Political Monetarismがマネタリズム一般と同一視されたことである。というのも、1980、90年代には貨幣の流通速度が大きく変動し、マネーサプライのコントロールが予想以上に困難である(=マネタリーベースとマネーサプライの関係が不安定である)ことが判明したからである。一般大衆から“Monetarism”として認知されていたPolitical Monetarismの主張が現実と大きく食い違うことにより、Political Monetarismだけではなく“Monetarism”までもがその信用を大きく傷つけられることになってしまう。わかりやすさあるいは国民各層からの支持獲得を追求した代価として失ったものはあまりにも大きかった・・・(1980年代に貨幣の流通速度は不安定な動きを示したが、Old Chicago/Classic Monetaristならばインフレ率の急速な下落が資産保有機会費用に大きな影響を及ぼすことにより貨幣の流通速度が不安定になることを予測しえたであろうに・・・)。

These(特にClassic Monetarismが有する;引用者)insights survive, albeit under a different name than "Monetarism." Perhaps the extent to which they are simply part of the air that modern macroeconomists today believe is a good index of their intellectual hegemony.


Political Monetarismの失墜とともにマネタリズムの名も人々の記憶から忘れ去られることになる。マネタリズムの歴史的使命は終わった・・・。

という悲しい結末ではなくて、マネタリズムの伝統は現在のマクロ経済学の基底に脈々と息づいているのであり、死に絶えたわけでは決してない。マネタリズムの名を目にする機会が減ったのはその存在が忘れられたためではなく、当たり前のこと過ぎて(空気のような存在と化したために)見えにくくなったため、浸透しすぎてその存在が確かめにくくなったためである。マネタリズムの、あるいはClassic Monetarismの(もっと限定してフリードマンの、といってもよい)生命はニュークラシカルにとどまらずニューケインジアンの中にもしっかりと根付いている。というのが冒頭にあげたDeLongのもう一つの記事“The Monetarist Counterrevolution〜”の主題の一つ。