コーエン著「自己制御 vs 自己解放」(その5)


●Tyler Cowen(1991), “Self-Constraint Versus Self-Liberation(pdf)”(Ethics, Vol. 101, No. 2, pp. 360-373)

第7節 「Constraint and Liberation as collective goods」/ 第8節 「Concluding remarks」の訳です。
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Constraint and Liberation as collective goods (集合財としての「制御」と「解放」)

本論文では、自己解放が個人に与える影響だけを取り上げて論じてきた。しかしながら、自己解放が個人の厚生を高める一方で社会的には弊害を生むということもあり得ることである。反対に、自己制御は、勤勉や貯蓄、資本形成の促進を通じて、あるいは、個々人の行動の予測可能性を高めることを通じて、社会全体に対し正の外部性を生むことになるかもしれない。つまり、我々は、囚人のジレンマに似た状況に直面しているのである。自己解放を経験する個人は(そしておそらくは彼/彼女の家族や親しい友人も)解放から便益を得ることになるが、それ以外の他人は彼/彼女が自己解放を経験することから(派生的なかたちで)便益を被ることはないのである。
自己制御の社会的便益に関しては、マックス・ウェーバーが西洋の経済発展と資本主義の勃興の原動力として指摘した要因、つまりはプロテスタントの勤労倫理にその例を求めることができるかもしれない*1。厳格なプロテスタントの勤労倫理は、多くの個人を心理的なノイローゼに苦しめることになったかもしれないが、個人レベルでのノイローゼの問題は、資本主義的な経済秩序が生み出す富の増大によって一部は埋め合わされることになったかもしれない。経済が規模に関する収穫逓増の特徴を見せるとすれば、人をして労働や生産活動に従事するよう促す問題はフリーライダー問題と同じ性質を有するものであり、社会的に最適な状態を実現するためには、プロテスタントの勤労倫理のような規範が進化し、その規範が遵守される必要があるということになるのであろう*2
フロイトは、自己制御の社会的便益は私的な便益を上回ると主張している*3フロイトに従えば、個々人がそれぞれに心理的な制約を厳しく課すことではじめて、人類は文明社会で生活することができるようになるのかもしれない(フロイトによれば、この心理的な制約は同時に社会における多くの苦悩を生み出す原因ともなるのであるが)。 また、先に触れたカントの一生についてのエピソードもまた、自己制御の社会的便益が私的な便益を上回る事例を提供するものであるのかもしれない。カントがその厳しく規律づけら得た生活を通じて発展させた深遠な思想は社会に対して多大なる便益をもたらすことになったが、カント自身はそのような生活を過ごすことで精神的な負担を強いられることになったかもしれないのである。


Concluding remarks (結論)

本論文で論じてきたように、自己管理を扱う通常の文献では、「command」(制御)が強調されている。「command」の強調は、自己管理に関する合理的選択理論においてだけではなく、経済学の他の分野、例えば、経営科学(management science)や計画経済の経済学(theory of central planning)においても同様に見られる傾向である。経営科学においては、経営者は企業内部の資源を「command」(管理・統制)しようと試みる存在として捉えられており、計画経済の経済学においては、計画当局者は一国経済内部の資源配分を「command」(指揮・統率)しようと試みる存在として捉えられている。
しかしながら、最近の経営科学と計画経済の経済学とにおいては、「command」を強調する視点は徐々に弱まりつつあるようである。企業と一国経済はそれぞれ自己規制的な秩序(self-regulating orders)として理解されつつあるのである。企業や計画当局のトップは、最善の結果を得ようとチェス盤の上の駒を動かすチェスのプレイヤーとは似ても似つかない存在である 。企業や計画当局のトップが直面している問題は、独立した意思を持ち、またしばしば対立する動機を有する多くの個々人がその活動を複雑で高度なレベルで協調させるための条件をいかにして作り出したらよいかということなのである*4
自己管理に関する合理的選択理論もこれら2つの分野と同様の変化を遂げるべき時である。成功している経済や成功している企業が「command」に基礎を置いていないように、成功した自己管理もまた「command」には基礎を置かないであろう。成功した自己管理は、2人の「私」の間での複雑な協調を通じた人格形成(personality growth)のプロセスを伴うものであり、またそのようなプロセスを実現するためには束縛から解き放たれた力を必要とするものなのである。非対称的な2人の「私」という想定を見直すことは、自己管理に関する新たな視角を得るための第一歩に過ぎない。「command」に偏した現在の『複数の「私」』モデルに比肩し得るヨリ詳細なモデルを発展させるためにはさらなる研究が必要とされるであろう。

*1:原注;Max Weber, The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism (New York: Scribner,1958).

*2:訳者注;この点に関しては、ブキャナン著『倫理の経済学』を参照のこと。

*3:原注;Freud.

*4:原注;自己規制的な秩序について社会科学の観点から展望している文献として以下を参照せよ。Friedrich A. Hayek, The Fatal Conceit (London: Routledge, 1988); and Richard Nelson and Sidney Winter, An Evolutionary Theory of Economic Change (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1982).