「金融政策は重要じゃない 〜Fedの歴史における最も危険なアイデア〜」


●Christina D. Romer and David H. Romer, “The Most Dangerous Idea in Federal Reserve History: Monetary Policy Doesn’t Matter(pdf)”(Preliminary Draft, December 31, 2012)の導入部の抜粋訳。

過去100年にわたるFedの歴史において(少なくとも後知恵で判断して)その政策を大幅に改善し得たろうにと言えるような時期*1が存在する点についてはほとんど誰も異議を唱えないだろう。本論文で我々は、金融政策の力(power)に関する過度に悲観的な見解のほうが過度に楽観的な見解よりも政策の誤りをもたらす上でより重要であった、との主張を展開する。

金融政策の力に対する過度に強気の(楽観的な)信念がいくつかの重大な政策の誤りにつながったという点についてはほとんど疑いがない。この点に関して最も有名であるのは、1960年代中頃において政策当局者が抱いていたある特定の信念である。当時政策当局者らは、インフレと失業率との間には利用可能な長期的なトレードオフが存在しており、それゆえ金融政策を通じて持続的に低失業*2と低インフレとをもたらすことができる、と信じていたのである。この信念は過度に緩和的な金融政策の実施を支え、1970年代の高インフレをもたらすことになったのであった。この政策の誤りを省みて、セントラルバンカーが成功を収める上で備えるべきおそらくは最も重要な属性は謙虚さ(humility)である、との見解が広く抱かれるに至ったのであった。

一方で、本論文では、Fedのこれまでの歴史においてはこれとは正反対の信念−「金融政策を通じて何が達成できるのか」という点に関する過度に悲観的な見解−のほうが(楽観的な見解よりも)政策の誤りや稚拙な結果をもたらす上でより重要な役割を果たしたことを示す証拠を提示する。1930年代の大恐慌期、Fedの当局者らは幾度となく「金融政策に備わる力−金融政策が不景気からの脱却を促したり景気回復を後押しする力−は最小限のものだ(非常に限られたものだ)」との信念を表明した。また、1970年代の中頃ならびに後半の高インフレ期、Fedの当局者らは、金融政策を通じてインフレを抑制するにはかなり大きなコストを負担する必要がある(ほどほどのコストと引き換えにインフレを抑制することはできない)、と信じていたのである。そして過去数年にわたる高失業の持続と足取りの鈍い景気回復を前にして、Fedの当局者らは、金融政策の効果は相対的に弱々しい一方で大きなコストを伴う可能性がある、と信じている素振りがある。これらどのエピソードにおいても、「金融政策は無効だ」との信念が政策決定における著しいまでの消極性(受け身の態度)をもたらすことになったのである。


(追記)

●Matthew Yglesias, “Romer and Romer on Monetary Policy Complacency”(Money Box, January 7, 2013)

If I have any disagreement with the Romers, it's that they emphasize a disagreement about efficacy (as David Romer put it, "fear of impotence is bad for performance"), but I would emphasize an issue of accountability. Economists tend to worry a lot about incentives except when it comes to the behavior of economists. But the operational independence of the Federal Reserve means its personnel have a strong incentive in any troubled time to engage in a lot of blame-shifting and ducking of responsibility. But in the '30s and '70s and today, you're essentially facing problems of expectations management, and a central banker can't steer expectations effectively unless he's willing to put his reputation on the line.

おそらくここでイグレシアスが指摘しようとしているのは、セントラルバンカーが金融政策の効果について悲観的な見解を抱くのは、心の底からそう信じているわけではなく(あるいはそれに加えて)、責任転嫁や責任逃れの一環としてそうしているんだ、ということなのだろう。つまりは、セントラルバンカーが金融政策の効果について悲観的な見解を抱く理由を責任を回避しようとする(景気が低迷している責任を問われるのを回避しようとする)彼らの心性に求めているのだろう(「金融政策の効果には限りがあり、いくら金融緩和を行ったところで景気刺激効果はそれほど期待できません。景気が悪い責任を問われましても金融政策ではどうしようもないのです」といったように、「金融政策の無効性」を隠れ蓑にして責任追及を回避しようとする)。(ところで、「経済学者はインセンティブのことを大いに気にかける傾向にある。ただし、経済学者の行動が対象となる場合を除いてだが。」という指摘には色々と思うところがあったりw)


この点に関してフリードマンが似たような指摘をしているので以下に引用しておこう。M.フリードマン著/保坂直達訳『インフレーションと失業』(マグロウヒル好学社、1978年)に収録の「貨幣的経済理論における反革命」より引用(この論文は、Milton Friedman and Charles A. E. Goodhart『Money, Inflation and the Constitutional Position of the Central Bank(pdf)』(The Institute of Economic Affairs, 2003)に第3章として収録されているので興味のある向きは参照あれ)。

大恐慌は、少なくとも景気の悪化に対して、金融政策が効力をもたないことを示すものであると広く考えられたために、容認されていた貨幣数量説を粉々に打ちくだいた。金融政策の緩和によっては必ずしも経済の拡張をもたらしえないことの理由を指摘するために、「馬を水の所へ連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない」とか「金融政策はひものようなものであって、それを引くことはできても押すことはできない」など、まだまだほかにたくさんあるのだが、今日なお存続しているこの種のあらゆる格言がつくり出された。

実際は、大恐慌のこのような解釈は、全く誤っていた。のちにいっそう十分に指摘するように、再吟味してみると、大恐慌は金融政策の示威にとってのではなく、その有効性についての悲劇的な遺言であったことがわかる*3。しかし、思考の世界にとって問題であったのは、真実あったことではなくて、真実であると信じられたことであった。そして、当時、金融政策が試行されたにもかかわらず力足りないものであることが見出されたと、信じられていたのである。

部分的には、このような見解は、貨幣当局が生じつつあった恐るべき経済事象の責めを他の何かの要因になすりつけようとする当然の成り行きを反映していた。金融政策を運営する人々は私たちと同様の人間であって、もし何か具合が悪いことが起こったときにはそれが誰か他人のせいであるとするのが通常の人間の本性である。アメリカ合衆国貨幣経済史についての書物のための共同研究を行った際、私は連邦準備制度理事会の50年間の年次報告書を読み通すという憂うつな仕事をした。・・・(略)・・・好況の時期には、報告書は、「連邦準備の卓越した金融政策のおかげで・・・」といい、不況の年には、「連邦準備の卓越した政策にもかかわらず・・・」と書き、それに続いて、結局のところ、実際には金融政策は非常に力弱いものであって他の要因がいっそうの力を持っていることを指摘している。

貨幣当局は、実際にはそうしてはいなかったときに金融政策の緩和を遂行していたと公言し、彼らの主張はほとんどそのまま受け容れられたのである。それゆえ、ケインズは、他の多くの人々にまじって、金融政策が試行されたが力足りないものであることがわかったと結論づけたのである。」(pp.198〜199)


インフレーションと失業 (1978年)

インフレーションと失業 (1978年)

*1:訳注;言い換えれば、誤った政策が実施されたと判断できるような時期

*2:訳注;自然失業率を下回る失業率

*3:引用者注;この部分は正しくは「大恐慌は金融政策の無効性の証拠ではなく、その有効性についての悲しき証拠であったことがわかる」であると思われる