スキデルスキー著「「規制」多き社会において「信用」は生き残りうるか?」


●Robert Skidelsky, “In Regulation We Trust?”(Project Syndicate, December 21, 2009)

来年度より、イギリス上院(House of Lords;貴族院)の全議員―私もその一員であるが―は、「女王に対する忠誠の宣誓」の場において、誠実性(honesty)と高潔性(integrity)を遵守する旨を書面上で誓約するよう要請されることになる。誠実と高潔とはこれまた結構な原則ではないか、と思われるかもしれない。しかし、つい最近まで、上院議員というのは、下院に対してアドバイスを与える役割を担うにふさわしいだけの(いちいち書面上で誓約する必要がないほど)十分な誠実性と高潔性を備えた人間であると見なされていたのである。上院議員は、その地位にふさわしい行為規範(codes of honor)を内面化している人々の集団から任命されるものと考えられていたのである。
時代は変わった。今や上院議員は自らの誠実さを公に誓わなければならなくなった。(上院議員に自らの誠実性を宣誓するよう迫る)この新たな決まりは彼ら上院議員の品位を貶めるものであると大っぴらに主張できる人間がどれだけいることだろうか?
イギリス上院における新たな行為規範の採択を求める動きのきっかけとなったのは、2009年のイギリス政治界を騒がせた下院議員らの議員手当を巡る経費スキャンダルであった。
経費スキャンダルのルーツは少しばかり昔にまで遡ることができる。イギリスの国会議員は1910年まで給与を支払われていなかった。1910年以降になると、給与が支払われ始めるようになったが、国会議員は自己犠牲を払って国家に奉仕すべきであると考えられていたこともあって、仕事の割には薄給であった。
1970年代の高インフレの時代に入ると、議員の安い給与を補う意味で、非常に入り組んだ議員手当(“allowances”)制度が導入されることになった。国会議員は、その職務活動や品位の維持に必要な実費を補填するために経費を請求することが認められるようになったのである。経費請求の審査基準は緩いものであり、頼りなき人間本性のことを思えば容易に予測されるように、しばしば制度の乱用が見られることになった。
今年の5月、デイリー・テレグラフ(Daily Telegraph)紙は、下院議員による手当請求の実態に関するスクープ報道を開始した。テレグラフ紙は積極的に「名指しと恥辱」(“naming and shaming”)キャンペーンを展開し、経費請求の審査基準が緩いことをいいことに下院議員が私腹を肥やしている実態を明るみに出すことなった。
経費が超過請求された事例の大半はとるに足りないものであり、違法な事例は数えるほどしかなかった。社会的地位の階段を駆け上がっている途上の与党・労働党の議員らは、新たに手に入れた中流の地位にふさわしい生活様式を整えるために経費の請求を行っていた。セカンドハウス(別宅)やチューダー調の梁、プラズマテレビなどなどを用意するために経費の請求を行ったのである。
対照的に、保守党の金持ち議員らは、プールのボイラーの修繕費や屋敷の堀の掃除代、シャンデリアの購入費などを補填するために経費を請求していた。経費請求の実態が暴露されたことにより、100人を超える国会議員が公的な生活から追い出される*1事態になっている。国会議員の身を正すために、もはや彼らの個人的な道義心(honor)に頼ることはできないだろう。
経費スキャンダルは、社会の多くの領域において、道義心がお金に取って代わられつつあることの兆候の表れにすぎない。変化の先にある社会においては、個人は道義心に基づいて行為する*2のではなく、利潤動機に基づいて行為する*3ようになるであろう。人々は利潤機会を発見するや決してそれを見逃すことはないだろう。お金に取りつかれた社会において、人々の行為を規律づけるためには、外部から制裁・制約を課すしかないであろう。「信用」(trust)が語られていた時代から「説明責任」(“accountability”)と「透明性」(“transparency”)が語られる時代へと変わりつつあるのであり、人々を「善き行い」に導くためには、外部から規制や制約を課さねばならないのである*4
これまで非市場的な規範に導かれていた社会の多くの領域に、市場の論理が知らず知らずのうちに深く浸透しつつある。これまで政府の義務と見なされていたことの多く―例えば、戦争や子弟の教育、犯罪者の懲罰―が民間企業にアウトソーシングされるようになってきている。アメリカ政府は、イラクの地において、10万人を超える戦争請負人(“military contractors”)を民間から雇用している。公僕の倫理が、(経済的な)契約と金銭的なインセンティブとによって取って代わられつつあるのである。
個人の選択に重きを置く市場の論理は、コミュニティーに重きを置く社会の論理を急速に飲み込みつつある。かつては、人々のリーダーは同時にコミュニティーのリーダーであり、リーダーはコミュニティーのメンバーと個人的にも顔見知りの仲にあった。コミュニティーのリーダーは、コミュニティーのメンバーから、『「正直」(probity)で「公正」(fair dealing)なリーダー』という評判を勝ち取ることに腐心していた。社会における信用は、コミュニティーにおける日常的で継続的な接触に支えられたローカルな知識の基礎の上に維持されていたのである。(コミュニティーの崩壊とともに)「悪しき行い」を抑制する以上の強力なメカニズムが弱体化した結果として、代わりに強調されるようになったのが「説明責任」であった。
また、市場の効率性の追求は驚くほど複雑性を高めることにつながった。我々が生きていく上で必要となるサービスの大半を供給する経済システムは、(市場の効率性が促進された結果として)今やあまりにも複雑な姿を表すことなり、システムの利用者の目には捉えどころがないものとして映っていることだろう。複雑なシステムの上で生活する人々は「透明性」の向上を求めて声をあげることになるであろうが、単純性と信用とが切っても切れない関係にある*5のとは正反対に、複雑性と「透明性」とは全く相容れないものなのである。複雑性の向上は、道義的な責任の所在を曖昧にし、その結果*6人々の間の相互作用を形作るにあたって、契約の利用(外的なインセンティブ)に頼る傾向をさらに促進することになるだろう。

以下続きです。といっても先日と同じく、以下はsoulcageさん訳でございます。ご協力いただき誠にありがとうございます m(_ _)m

また、市場効率の追求は驚くほど複雑さを高めることにつながった。今日では、社会(the systems)で利用できるサービスの多くが、我々にとってほぼ完全に不透明になってしまっている。さらなる"透明性"を要求する人々は、複雑さが透明性の敵であるということを理解せず、ただ単純さだけが信用の証だと考えているようである。しかし、複雑さによって道義的な問題に曖昧さが生まれていることにも注意せねばならない。複雑さはそのようにして我々の社会契約(国家と市民との関係)の土台にまで影響を与えはじめているのだ。
下院議員だけが信用失墜という逆風を受けているわけでは決してなく、彼らがその筆頭にあるわけでもない。尊敬に値するバンカーも詐欺の犯人だと書き立てられたものである。だからこそ(政府が)規制の枠組みを新しくする必要があったのだ。とはいうものの、政治家不信のまん延は他より危険なものである。それは自由社会というものの土台を弱体化させてしまうからだ。
猜疑心に満ちた社会(low-trust society)は自由の敵である。そのような社会では規制と監視がひどくエスカレートし、信用をさらにむしばみ、ごまかしを助長してしまうだろう。煎じ詰めれば、人間本性というのは、本質的に利にさといばかりではなく、例えば、規制を巧妙にかいくぐることからも満足を引き出すものなのである。だからこそ、自由社会では監視や管理の負担を減らすようなレベルの高い信用が必要となる。そしてその信用には、規範として内面化された道義心や誠実さ、公平さが必要なのである。
人々の善良な振舞いが信用できるシステムでは、規制や法的制裁の脅しを使って人をそうしむけるようなシステムに比べ、「善き行い」が生まれる可能性が高い。自由な社会は(規制や法的制裁が少ないことと引き換えに)犯罪や汚職をある程度は許容せねばならない。しかし、自由主義社会であれば、その数は官僚や裁判官や警官が取りしきる社会よりは少ないものである。旧共産圏の国々では、私的犯罪は実質上存在しなかったが国家犯罪がはびこっていたのだ。
信用の消滅は避けがたいというわけではない。我々には選択の権利がある。社会の信用がむしばまれる範囲を限定すれば、信用に基づいた生き方を守ることができる。例えば、法律は、コミットメントを育む制度(例えば、家族のような)を厚遇したり、可能な限り意思決定を分権化するためにも使用することができる。また、政治家は、宗教的な信念を頭から「問題」と見なす現在の態度を改めるべきである。宗教的な信念は「善き行い」の強力な源泉ともなるかもしれないのである。
自由な出版も役人が「善き行い」に向かうよう圧力を加える役割を果たすべきだ。しかしながら、現にイギリスで起こっているように、メディアによる政府批判が、「制度の乱用」に対する国民一般の怒りを焚きつけて、新たな法律や規制の相次ぐ導入(あるいは変更)につながるとすれば、最終的には「信用」の弱体化につながってしまうかもしれない。メディアはスキャンダルの暴露に躊躇する必要はないが、しかし、いたずらに国民の怒りに油を注ぐようなことは避け、新たな規範が定着するまでしばらく冷静に様子を見守るべきであろう。法律や規制は、政治家の行動を律する手段として、一番最初に持ち出すべきものではなく、他に頼るべき手段がなくなった場合に最後の手段として持ち出してくるべきものなのである。

スキデルスキー卿の以上の論説は、「内発的な動機(intrinsic motivation)vs 外的なインセンティブ(external incentive)」という図式を持ち込むことで理解がヨリ明瞭になるのではないかと思われる。「内発的な動機」に基づいて行動するというのは、簡潔には「そう行動することを欲するがためにそう行動する」ということであり、「外的なインセンティブ」に基づいて行動するというのは、ある行為に伴う報酬や罰則に惹かれて行動するということである。スキデルスキー卿の論説から例をひくと、上院議員が自らの正直さや高潔さを公に宣誓するというのは、上院議員が「内発的な動機」に基づいて正直かつ高潔に振舞うことが期待できないがために、「外的なインセンティブ」に基づいて正直かつ高潔に振舞うよう促すことを意図したものと捉えることができる。上院議員が正直さや高潔さそれ自体に価値を置いているとすれば、放っておいても(内発的な動機に基づいて)上院議員は正直かつ高潔に振舞うことになるが、もし上院議員が正直さや高潔さそれ自体に価値を置いていないとすれば、上院議員から正直かつ高潔な行動を引き出すためには、正直に振舞うことで何からの報酬を与える、あるいは、正直に振舞わなければ何らかの罰則を課す必要が出てくるだろう。上院議員が自らの正直さや高潔さを公に宣誓するよう制度変更することで、おそらく正直かつ高潔に振舞わなければ何らかの罰則が課されることになるのであろう(あるいは公に宣誓することで嘘をつく(正直かつ高潔に振舞わない)ことのコスト(嘘をつくことで個人的な信頼を失ってしまうなど)が上昇すると考えてもよい)。上院議員が自らの正直さや高潔さを公に宣誓するような制度の下では、上院議員が正直かつ高潔に振舞っているとしても、彼らが正直さや高潔さそれ自体に価値を置いているからなのか、それとも、(正直さや高潔さそれ自体には価値を置いていないけれども)正直かつ高潔に振舞わなければ課されるであろう罰則を恐れているからなのか、区別がつきにくいところであろう。ただ、上院議員が自らの正直さや高潔さを公に宣誓するような制度に変更するということは、上院議員が正直さや高潔さそれ自体に価値を置かなくなっていると見做されるようになった結果なのだろう。本論説での「外から規制や制裁を課して人々から「善き行い」を引き出す」ということは「外的なインセンティブ」を利用するいうことであり、また「「信用」に基づいて人々から「善き行い」を引き出す」ということは「内発的な動機」を利用する、というように読み替えることができるであろう。

以下、特に興味を惹かれた箇所に関連してコメントをば(以下は、スキデルスキー卿の主張そのものというよりは私個人の解釈がかなり入っているけども)。
スキデルスキー卿は語る。「自由社会では監視や管理の負担を減らすようなレベルの高い信用が必要となる。そしてその信用には、規範として内面化された道義心や誠実さ、公平さが必要なのである。」
言い換えれば、「道義心や誠実さ、公平さ」が規範として内面化されることなくして高い信用を維持することはできず、また高い信用を維持することなくして自由な社会を実現することはできない、ということである*7。それゆえ、自由な社会を実現するためには、いかにして「道義心や誠実さ、公平さ」を規範として内面化するか、という問題と取り組まねばならないということになる。しかし、スキデルスキー卿が語るように、コミュニティーの崩壊や経済システムの複雑性が増すにつれて*8、人々から「善き行い」を引き出すために、「道義心や誠実さ、公平さ」に頼ること、言い換えれば個々人の「内発的な動機」に頼ることは難しくなっている(「社会の多くの領域において、道義心がお金に取って代わられつつある」)。それがゆえに、「外的なインセンティブ」に頼る傾向が強まっているということになるのであろうが、「外的なインセンティブ」に頼ること自体が「内発的な動機」に頼ることを困難にする可能性がある(「外的なインセンティブ」が「内発的な動機」を破壊する)とすればどうであろうか? この点は、「状況に応じたインセンティブの使い分け」を説くコーエン(Tyler Cowen)(『インセンティブ』を参照)や「モチベーション・クラウディングアウト」を説くB. フライ(Bruno Frey)などの経済学者が強調している点であり、またスキデルスキー卿も認識している点である(「猜疑心に満ちた社会(low-trust society)は自由の敵である。そのような社会では規制と監視がひどくエスカレートし、信用をさらにむしばみ、ごまかしを助長してしまうだろう。」)。
「道義心や誠実さ、公平さ」をいかにして規範として内面化するか、という問題には少なくとも2つの側面があるのかもしれない。第1の側面は、いかにして「道義心や誠実さ、公平さ」の内面化を促進すればよいのかということであり(この側面に対するスキデルスキーの応答;「例えば、法律は、コミットメントを育む制度(例えば、家族のような)を厚遇したり」/「政治家は、宗教的な信念を頭から「問題」と見なす現在の態度を改めるべきである。宗教的な信念は「善き行い」の強力な源泉ともなるかもしれないのである。」)、第2の側面は、いかにして「道義心や誠実さ、公平さ」といった「内発的な動機」の衰退を食いとどめたらよいのかということである(この側面に対するスキデルスキーの応答;「メディアはスキャンダルの暴露に躊躇する必要はないが、しかし、いたずらに国民の怒りに油を注ぐようなことは避け、新たな規範が定着するまでしばらく冷静に様子を見守るべきであろう。法律や規制は、政治家の行動を律する手段として、一番最初に持ち出すべきものではなく、他に頼るべき手段がなくなった場合に最後の手段として持ち出してくるべきものなのである」)。そして、第2の側面と取り組むにあたっては、「内発的な動機」と「外的なインセンティブ」との複雑な相互関係を理解する必要があるということになるのであろう。


インセンティブ 自分と世界をうまく動かす

インセンティブ 自分と世界をうまく動かす

Not Just for the Money: An Economic Theory of Personal Motivation

Not Just for the Money: An Economic Theory of Personal Motivation

*1:訳者注;閣僚の職を辞したり、次回選挙への出馬辞退を表明したり

*2:訳者注;あるいは他者からの尊敬を得ることを目的として行為する

*3:訳者注;あるいは利益や利潤に惹きつけられて行為する

*4:訳者注;人々が自発的に「善き行い」を実行することはない

*5:訳者注;おそらく以下のようなことを言いたいのだろう。信用に基づいて人間関係を構築することができるとすれば、相手の裏切りを抑制するために、契約やら報酬やら罰則やらの細かい仕組みを設計する必要がない(=単純な関係性)。

*6:訳者注;道義的な責任の所在が曖昧になれば、人々から「善き行い」を引き出すにあたって、個々人の道義心に安易に頼ることはできなくなる。というのも、道義的な責任の所在が曖昧になれば、嘘をついてもばれにくくなり、嘘をついてもばれないという安心感から(そうでない場合と比べて)人は不誠実に振舞うようになるだろうからである。よって、複雑性が向上することになれば、信用に基づいて人々の間の相互作用を形作ることには無理が生じてくることになる。

*7:ただし、「道義心や誠実さ、公平さ」が規範として内面化されたからといって必ずしも高い信用が維持されるわけではなく、また高い信用が維持されたからといって必ずしも自由な社会が実現されるわけではない。

*8:コミュニティーの崩壊や経済システムの複雑性の向上が、経済成長の帰結でもあるとすれば厄介な問題である。経済成長の過程というのは分業が高度化する過程でもあり、それゆえ人々の間での相互依存が高まる過程(相互依存の高まり=財の交換関係の広がり)でもある。また分業は個々人が自らの分野に特化することであるから、分業が高度化する過程は(個々の分野の)専門家と非専門家との間での情報の非対称性が広がる過程でもある。経済成長が進めば、相互依存の高まりと情報の非対称性の広がりによって、経済システムの複雑性は向上することになるだろう。「内発的な動機」に頼ることが困難になること=経済成長のコスト、というようにも捉えることができるかもしれない。

マッカラム著「マネタリズムの経済学」


●Bennett T. McCallum, “Monetarism”(The Concise Encyclopedia of Economics, Library of Economics and Liberty)

マネタリズムマクロ経済学の一学派であり、以下の4点を強調する特徴がある。

(1)長期的な貨幣の中立性
(2)短期的な貨幣の非中立性
(3)名目利子率と実質利子率との区別
(4)政策分析における貨幣集計量(monetary aggregates)の役割の強調

代表的なマネタリストとしては、ミルトン・フリードマンMilton Friedman)、アンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)、カール・ブルナー(Karl Brunner)、アラン・メルツァー(Allan Meltzer)がおり、アメリカ以外の国においてマネタリズムの初期の発展に貢献した経済学者としては、デビッド・レイドラー(David Laidler)、マイケル・パーキン(Michael Parkin)、アラン・ワルターズ(Alan Walters)の名前を挙げることができよう。ジャーナリズムにおいては―特にイギリスのジャーナリズム―、マネタリズムを自由市場を擁護する立場に結びつけて論じる傾向があるが、そのような捉え方は適当ではない。自由市場擁護の立場に立つ多くの論者は、よもや自らがマネタリストと名指しされようとは考えもしていないことだろう。
まずは1番目のポイントから説明を加えていこう。例えば、マネーサプライが外生的にZ%増加したとしよう。このケースにおいて、諸々の調整が終了した後に、最終的に一般物価水準がZ%上昇することになるとすれば、さらには、諸々の調整が終了した後に、実質変数(例えば、消費量や生産量、個別商品間の相対価格)に一切の変化が見られないとすれば、経済は「長期的な貨幣の中立性」の性質を備えていることになる。大半の経済学者は、現実の貨幣経済は少なくとも近似的には「長期的な貨幣の中立性」の性質を備えていると考えているが、マネタリストほどに「長期的な貨幣の中立性」を強調している経済学者のグループは他に存在しない。以上の議論に対して、現実の中央銀行はマネーサプライを外生的に変化させることはできないとの反論を寄せる人がいることだろう。確かにこの反論自体は正しいが、しかしながら「長期的な貨幣の中立性」とは何の関係もない論点である。「長期的な貨幣の中立性」が成立するかどうかは、家計や企業が需要や供給の選択をするにあたって、財・サービス―消費され、また供給されることになる財・サービス―の数量のみに関心を持つかどうかにかかっているのである。家計や企業が需要・供給の選択にあたり財・サービスの数量にしか関心を持たないとすれば、経済は「長期的な貨幣の中立性」の特徴を示すことになり、上で例示した議論*1が妥当することになるのである*2。自然失業率仮説も含めて他の中立性概念についてはもう少し先において論じることにしよう。
次に2番目のポイントに進もう。「長期的な貨幣の中立性」が成立するとしても、マネーサプライの変化に対して価格調整が緩やかにしか進まないとすれば、経済は「短期的な貨幣の非中立性」の特徴を表すことになり、マネーサプライの変化によって一時的に実質GDPや雇用量といった実質変数が変化することになる。大半の経済学者は「短期的な貨幣の非中立性」は現実妥当的であると見なしているが、マクロ経済学の重要な一学派である実物的景気循環理論(リアルビジネスサイクル理論)の擁護者は「短期的な貨幣の非中立性」を否定している。
次は3番目のポイントである。実質利子率は通常目にする利子率(名目利子率)に期待インフレ率分だけの修正を加えて得られるものである*3。現在消費と将来消費とのトレードオフに直面している合理的な経済主体は、最適化を実現するために、名目利子率ではなく実質利子率に基づいて意思決定を行うことになる。名目利子率と実質利子率との区別は、1800年代のはるか昔にイギリスの銀行家であり経済学者でもあったヘンリー・ソーントン(Henry Thornton)によってすでに認識されており、また1900年代の初期にアメリカの経済学者であるアーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)によって強調されていた。しかしながら、名目利子率と実質利子率との区別は、1950年代にマネタリストが名目と実質とを区別することの重要性を主張し始めるまでは、マクロ経済分析においてしばしば無視されていたのである。多くのケインジアンは原則としては名目と実質との区別を受け入れていたが、実際のところは、ケインジアンのモデルにおいてはしばしば名目利子率と実質利子率とが区別されておらず、またケインジアンは名目利子率の水準を見て金融政策のスタンスを判断していた。マネタリストは― 一人残らず―、インフレの克服に非貨幣的な手段―例えば、賃金や価格の直接的な統制やガイドラインの実施―を割り当てることは望ましくないと主張した。非貨幣的な手段は市場の機能を歪めることになると考えたからである。その代わりに、マネタリストは、インフレーションはその本質において貨幣的な現象であることを強調した。インフレーションを貨幣的な現象と見なす見解は、当時のケインジアンが持ち合わせていなかった発想であった。
最後に4番目のポイントである。初期のマネタリストは皆、金融政策を分析するにあたり、貨幣集計量―例えば、M1やM2、マネタリーベース―の役割を強調した。しかしながら、細かい点を巡ってはマネタリストの間でも違いもあった。特にフリードマン=シュワルツとブルナー=メルツァーとの間では細かい点を巡って意見の対立があった。フリードマンのよく知られた政策提案は、足元のマクロ経済の状況のいかんにかかわらず、貨幣数量を「月単位で、可能であれば日単位で、年率X%―Xには3〜5の間にある数字を選べばよいだろう―」*4で成長させるべし、というものであった*5。一方で、ブルナー=メルツァーもまた金融政策の運営にあたっては何らかのルールを課すべきであるという立場ではあったが、貨幣数量の成長率を足元のマクロ経済の状況と関連付ける積極主義的なルール(activist rule)の利点を認識していた。また、ブルナー=メルツァーは、準備預金の変化を反映するように調整を加えながら、マネタリーベースの動向を注視する一方、フリードマンはM2やM1といったマネーサプライの動向を注視していた。フリードマンは、中央銀行がマネーサプライの動向を正確にコントロールできるようにするために、預金準備率を100%に設定する銀行システム改革案を提言してもいた。
フリードマンのk%ルールが―マネタリズムの基本的な(k%ルール以外の)他の教義を差し置くかたちで―大きな注目を浴びることになった結果として、マネタリズムの理解や評価が歪められることになった。特に、フリードマンによる「インフレ加速」(“accelerationist”)仮説、あるいは、「自然失業率」(“natural-rate”)仮説は、その重要性の割には無視されてきたといえる。「自然失業率」仮説によれば、インフレーションと失業率とは長期的にはトレードオフの関係にはない、つまりは、長期的なフィリップス曲線は垂直である、ということになる。インフレと失業率とは長期的にはトレードオフの関係にはないという見解は、ブルナー=メルツァーによっても盛んに主張されたところである。以上の「自然失業率仮説」を加味すると、マネタリストにとって基本的な以下の2つの命題が導かれることになるかもしれない。

[1] 名目所得の循環的な変動は主に貨幣数量の変動にその原因を求めることができる(貨幣数量の変動→名目所得の変動)
[2] 失業とインフレーションとの間には永続的なトレードオフは存在しない

以上の2つの命題が相伴って、マネタリストの政策的な立場が導かれることになるのであろう。
マネタリズムが経済学界で広く認知されるようになったきっかけは、フリードマンをはじめとするシカゴ大学に勤務する経済学者たちが1950年代に金融理論の分野で書いた一連の論文にある。これらの論文が経済学者たちから広く興味を惹きつけることになった理由は、どの論文も新古典派経済学の基本原則に則って書かれていたからである。マネタリズムの台頭にとって最も決定的だったのは、フリードマンが1967年に行ったアメリカ経済学会会長講演である(この講演は“The Role of Monetary Policy”とのタイトルで1968年に論文として発表されることになった)。フリードマンは、この論文において、自然失業率仮説を展開し(フリードマンは既に2年前に明瞭なかたちで自然失業率仮説を主張していたのであるが)、またk%ルールを支持する論拠として自然失業率仮説を援用したのである。ほぼ同時期に、エドモンド・フェルプス(Edmund Phelps)―フェルプスマネタリストではなかったが―もまた自然失業率仮説を主張していた。数年後、フリードマンフェルプスの自然失業率仮説は、現実の経済から強力な実証的な支持を得ることになったのである。
1970年後半と1980年代前半になると、それ以前の10年間における影響力の増大と対照をなすかたちで、マネタリズムの影響力は徐々に弱まってくことになった。その理由は主に3つあると考えられる。第1の理由は、実証的なデータに照らして、貨幣需要関数は原則的に極めて不安定である―貨幣需要関数は、4半期ごとに大きく、それも予想できないかたちで、シフトする―と見なされるようになったことである。第2の理由は、合理的期待形成学派が台頭してきたためである―合理的期待形成学派の台頭により、ケインズ経済学的な積極主義に敵対的な立場の経済学者が別々のグループに分散することになった(マネタリストの過半は、合理的期待仮説を速やかに受け入れることになった)―。そして第3の理由は、1979年−1982年間のFRBによる有名な「マネタリズムの実験」(“monetarist experiment”)にある。第3の理由に関しては以下で詳しく説明を加えることにしよう。
1970年代において、アメリカは、他の多くの工業国と同様に、平時においては前例がないほど高水準のインフレーションを数年にわたって経験することになった。この未曾有のインフレーションは様々な「ショック」―石油価格の上昇、ベトナム戦争、そして何よりも1971年−1973年にわたってのブレトンウッズ体制(国際的な固定為替制度)の崩壊(崩壊の原因の多くは、アメリカがドルと金との交換レートを維持できなくなったことによる)―の結果として生じたものであった。ブレトンウッズ体制の崩壊は、中央銀行に対して、新たな重責を課すことになった。つまり、中央銀行は、一国の通貨に対して、金(gold)に代わる新たな名目的なアンカー(錨)を提供せねばならなくなったのである。FRBは、1970年代を通じて、数度にわたり、インフレを克服する意思を表明したが、いずれの試みもうまくいかなかった。このような事態を受けて、1979年10月6日、ヴォルカー(Paul Volcker)議長率いるFRBは、従来の金融政策運営の手続きを大幅に変更し、新たな試み―マネタリストの提案する政策手続きと際立った共通点を有するものであった―を導入する旨をアナウンスした。特に、FRBは、M1の成長率に月ごとの目標を設定した上で、その目標の達成に向けて金融政策を運営するよう試みることになった。また、具体的な政策手続きとしては、コントロールが容易な非借入準備(nonborrowed reserves)―総準備額(bank reserves)からFRBからの借入額(borrowings from the Fed)を差し引いたもの―の操作に重点が置かれることになった。以上のような金融政策運営上の変更は、インフレ率を2桁の水準から(具体的にどの程度の水準にまで引き下げるかは特定されなかったが)大幅に引き下げることを意図してなされたものであった。
現時点から振り返ってみると、1979年10月から1982年9月にかけての一連の出来事は、高インフレの克服にとって必要な処置であり、また1990年代における世界的な低インフレの環境を整備することになった実り多き試みであったと見なすことができるであろう。しかしながら、当時においては、この「実験」は多くのアメリカ人から歓迎されたわけではなかった。1979年後半には、金融引き締めを受けて、短期金利が急上昇を見せることになり、 1980年に入ると、融資規制(credit control)の強化を受けて、産出が大きく落ち込むことになったが、次の4半期には、融資規制が撤廃されたこともあって、産出は回復を見せることになった。1981年から1982年の中頃にかけて、金融引き締めが長期にわたって継続した結果として、1930年代の大不況(Great Depression)以来最も深刻な不況が到来することになり、インフレ率は多くの経済学者が予想した以上のスピードで低下することになった。さらには、この期間を通じて、利子率とマネーサプライ成長率とはともに大きな変動を見せることになった。具体的には、1979年10月から1982年9月にかけて、M1の月ごとの成長率の標準偏差は、3.73(1979年10月以前の3年間のケース)から8.22へと上昇し、FF金利(federal funds rate)の月ごとの変化の標準偏差は、2.86から23.1(年率換算)へと急上昇することになった。
多くの批評家はこの「実験」をマクロ経済的な大惨事と特徴づけることになった。さらには、この「実験」はマネタリズムの無効性を示す強力で決定的な証拠であると受け止める者もいた。この「実験」は、貨幣集計量の成長率を目標として金融政策を運営することがいかに好ましくないものであるかを示すものであり、また非借入準備の操作を通じたM1成長率のコントロールがいかに非現実的なものであるかを示すものである、というのである。一方で、マネタリストたちは、この「実験」は、実際のところは、マネタリスト的な教義に則ったものではなかったと主張した。というのも、M1の成長率は月ごとに大きな変動を示していたからであり、準備預金の積み立てが1カ月遅れでなされる仕組みであったことからM1のコントロールが極めて困難であるように運命づけられていたからであり、またFRBは足元の経済状況に応じて裁量的に反応することを決してやめることはなかったからである。現時点から振り返ってみると、FRBによる非借入準備の操作を通じた政策運営―非借入準備額に週ごとの目標を設定した上で、非借入準備の供給量を操作する―は、FRBが国民と円滑な関係を築く上では非常に効果があったように感じられる*6。というのは、国民的には人気のない利子率の高止まりという結果が生じたとしても、FRBは利子率が高いのは市場需要が旺盛であるからだ*7と言い逃れをすることができたからである。また、FRBは、見かけ上はマネタリスト的なアプローチを採用しているかのように振る舞い、「実験」が失敗したとなれば、マネタリズム(と常日頃FRBに対して文句ばかり言ってくるマネタリスト)に失敗の責任を被せることができたからである。時間が経過して全貌が明らかになると、「実験」は― 一時的には痛みを伴うものであったかもしれないが―戦略的な成功であったと見なされるようになり、「マネタリズムの失敗」という評価だけはそのまま残るという顛末になったのであった。
マネタリズムの教義のうちで今日まで受け継がれているものは何であろうか? 異論はあるであろうが、いくつか確かなこともある。面白いことに、初期のマネタリストケインジアンに迫った意見変更のいくつかは、今日ではマクロ経済学や金融論のスタンダードとして受け入れられるに至っている。マネタリストケインジアンに迫った意見変更のうちで主なものとしては、実質変数と名目変数を慎重に区別すべきこと、実質利子率と名目利子率を区別すべきこと、インフレーションと失業率の間には長期的なトレードオフは存在しないこと、といったものがある。また、今日、大半の研究者は、少なくとも暗黙のうちに、景気安定化政策としては財政政策よりも金融政策の方が効果的であると同時に使い勝手が良いと考えている。アカデミックな研究者や中央銀行勤務のエコノミストの中には、実物的景気循環理論の立場から、金融政策は実質変数に影響を与えることはできないと考える人々もいることはいるが、おそらくこの見解はそこまで重要性を持つものではないであろう。1981年−1983年間のアメリカの主だった不況の原因が、FRBによる1981年の意図的な金融引き締め―事後的な実質利子率とM1Bの成長率とから1981年に金融政策のスタンスが引き締めに変更されたことがわかる―にはないと信じることは困難なことである*8
2005年現在、貨幣経済学(monetary economics)の専門家の多くは、自らをニューケインジアンに親近的な立場にあると見なすことだろう。また、今日、アカデミックな経済学者や中央銀行勤務のエコノミストによる金融政策の分析において、貨幣集計量はわずかばかりの注意しか向けられないか、あるいは、まったく注意を向けられないこともある。しかしながら、理論分析のレベルでいうと、今日の主流的な立場は、かつてのケインジアン― 例えば、1956年〜1978年当時のケインジアン ―よりは、マネタリストの立場にずっと近いといえる。さらには、上で指摘したように、金融政策の運営にあたっては、明らかに「裁量」(“discretion”)―どのように定義されようとも―よりはルールに重きが置かれており、またインフレーションを極めて低い水準に維持することの重要性が強調されている。マネタリズムの教義のうちで、今日において見捨てられ、また実践に移されていないものがあるとすれば、それは貨幣集計量を強調する見解くらいのものである。

*1:訳者注;Z%のマネーサプライの増加がZ%の一般物価の上昇につながる。実質変数は変化なし。

*2:原注;正確には、長期的な中立性が成り立つためには「リカードの中立命題」が成立している必要がある。

*3:訳者注;期待実質利子率 ≒ 名目利子率−期待インフレ率

*4:原注;Milton Friedman, Capitalism and Freedom (Chicago: University of Chicago Press, 1962), p. 54.

*5:訳者注;以下では、フリードマンによるこの提案を「k%ルール」と表現することにする。

*6:訳者注;この箇所には皮肉が込められていると思われる。

*7:原注;この主張は幾分欺瞞的である。確かに、一度その期間の非借入準備の供給量が決定されれば、各期の利子率の水準は、非借入準備に対する市場需要の大きさによって決まることになる。しかしながら、「非借入準備の供給量」を決定する権限はFRBにあるのである。

*8:訳者注;実物的景気循環理論が正しいとすれば、金融引き締めによって不況が生じるはずがない。しかしながら、1981年の金融引き締めによって実際には不況が生じており、このことは、実物的景気循環理論の主張するところとは異なり、金融政策が実質変数に影響を与え得ることを示している、ということを言いたいのだろう。