マンキュー=D. ローマー著「ニューケインジアンのマクロ経済学」


●N. Gregory Mankiw and David Romer(1991), “Introduction” (in N. Mankiw and David Romer (eds.) New Keynesian Economics Vol.1, MIT Press, pp.1〜3)

出だしの所をちょっとばかり訳してみた。

ケインズ経済学の誕生は1930年代の経済危機に遡る。1930年代の大不況(Great Depression)は、多くの経済学者に対して、市場についてのそれまでの見解―自由放任の市場(unfettered markets)の効率性を強調する見解―を真剣に考え直す機会を提供することとなった。おそらく通常であれば(市場の)見えざる手は経済を首尾よく誘導するのであろうが、見えざる手は機能麻痺に陥りやすい側面も持っている。大不況のような出来事は従来とは異なる理論、それも広範にわたる市場の失敗(market failure on a grand scale)を説明できるような理論を必要としたのである。
ケインズ経済学の隆盛は、1960年代のケインジアンコンセンサス(Keynesian consensus)の時代においてその頂点に達した。当時のマクロ経済学者の多くは、些細な詳細を除いて、マクロ経済の理解はほぼ完璧な水準にまで達したと信じていた。マクロ経済全体の総需要を説明する理論を提供したのはIS-LMモデルであった。一方で総供給を説明する理論は依然として未発達であったが、名目賃金や名目価格の時系列的な変化を説明する有用な分析道具としてフィリップス曲線が広く受け入れられることになった。ケインジアンコンセンサスの決定的な仮定は、名目賃金や名目価格は総需要の変化に対して緩やかに調整されるとの仮定であった。
1970年代に入ると新しい古典派のマクロ経済学(new classical macroeconomics)が台頭してくることになり、ケインジアンコンセンサスは動揺を見せることになった。新しい古典派のマクロ経済学は、説得的なかたちで、ケインズ経済学には理論的に不備な面があること、マクロ経済学は厳密なミクロ的基礎の上に構築されるべきであること、を主張した。また、新しい古典派のマクロ経済学は―先ほどの主張ほど説得的とは思えないが―、ケインズ経済学は新しいマクロ経済理論―市場は常に均衡しており、また経済主体は常に行動の最適化を達成している、との仮定に立脚するマクロ経済理論―に取って代わられるべきであることを主張した。1980年代に入ると、新しい古典派のマクロ経済学を特徴づける以上のような研究プログラムは実物的景気循環理論(リアルビジネスサイクル理論)によって受け継がれることになった。実物的景気循環理論はワルラス流の一般均衡理論に他ならず、それゆえ実物的景気循環理論は、見えざる手は常に資源の効率的な配分を実現するとの立場に立つことになる。
ケインズ派経済学は(実物的景気循環理論と同じく)1980年代にその姿をあらわすことになった。新ケインズ派経済学は、新しい古典派によるケインズ経済学への攻撃―特にケインズ経済学が抱える理論的に不備な点への攻撃―に応じるかたちで登場してきた。新ケインズ派経済学の研究の多くは、ケインズ経済学の中心的な要素に対する厳密なミクロ的基礎を提供することに向けられた。ケインズ経済学の中心的な要素は、名目賃金と名目価格の硬直性(rigidities)という仮定にあると見なされており、それゆえ、新ケインズ派経済学の研究の多くは、名目賃金や名目価格の硬直性に対してミクロ的基礎を提供すること―個々の(ミクロレベルの)経済主体(企業や雇用主、労働者)による賃金・価格設定行動に基づいて名目賃金や名目価格の硬直性を説明すること―に向けられた。


What is New Keynesian Economics? (新ケインズ派経済学とは何か?)

さまざまな景気循環理論は以下の2つの質問にどのように答えるかに応じて区別することができるであろう。

1.その理論は古典派の2分法(classical dichotomy)を否定しているか? その理論によれば、マネーサプライのような名目変数の変化が生産量や雇用量のような実質変数の変化をもたらすことになるか?

2.その理論は、景気循環の理解にとって、市場の不完全性(real market imperfection)を考慮することが重要であると見なしているか? 不完全競争や不完全情報、相対価格の硬直性といった市場の不完全性が理論の中心的な要素として組み込まれているか?

ケインズ派経済学(ニューケインジアンマクロ経済学)はどちらの質問に対しても強い調子で「はい(yes)」との返答を寄せることになる。新ケインズ派経済学によれば、古典派の2分法が成立しないのは諸価格が粘着的(sticky)であるためである。また、新ケインズ派経済学によれば、市場の不完全性が重要であるのは、不完全競争や相対価格の硬直性といった要因(=市場の不完全性)が諸価格の粘着性を説明する主要な理由を提供することになるからである。
様々な景気循環理論の中でも、以上の2つの質問のどちらに対しても肯定的に「はい」と答えるのは新ケインズ派経済学だけである。実物的景気循環理論は技術的ショック(technology disturbances)と完全市場を強調する立場であるので、どちらの質問に対しても否定的に「いいえ」と答えることだろう。古典派の2分法の受け入れを拒絶している景気循環理論は多いが、その議論の中で市場の不完全性を強調している理論はほとんどない。例えば、1970年代のケインズ経済学の多くは、ワルラス流の一般均衡理論を土台としてその上に名目賃金と名目価格の硬直性を外生的に導入するというアプローチをとっている。名目価格(と名目賃金)の粘着性と市場の不完全性とを結びつけて論じる点こそ、新ケインズ派経済学が有する独特な特徴といえるだろう。
ここまでは「新ケインズ派経済学とは何か」という点を論じてきたが、次に「新ケインズ派経済学とは何でないか」という点にも触れておくべきであろう。ケインズの『一般理論』が出版されてからというもの、マクロ経済理論やマクロ経済政策に関しての議論は非常に幅広い話題をカバーするに至っており、それゆえ「ケインジアン」という語で意味するものが人によって異なるということも十分考えられるところである。それゆえ、ケインズ経済学の見解とされるものの中にも新ケインズ派経済学によっては必ずしも受け入れられていない見解が多くあるかもしれない。特に、新ケインズ派経済学をかつてのマネタリストケインジアン論争の枠組みの中で捉えるべきではない、という点は指摘しておかねばならない*1。その理由は以下の2点による。
第一に、ニューケインジアンは金融政策と財政政策との相対的な有効性に関して単一の立場に立つものではない。総需要を管理する手段として金融政策と財政政策とのどちらが有効であるかという点をめぐる論争*2は、ニューケインジアンの総供給の理論とはほとんど関係がない*3。また、1人の経済学者がマネタリストであると同時にニューケインジアンであることも可能である。つまりは、マネーサプライの変化こそが総需要の変化の主要な要因であると理解しているという意味でマネタリスト的な立場を採りながら、同時に(ミクロ的な)市場の不完全性こそがマクロ経済的な名目価格の硬直性の原因であると理解しているという意味でニューケインジアン的な立場を採ることは可能なのである。実際のところ、マネタリストはマネーサプライの変化が(生産量や雇用量といった)実質変数の変化を招くという立場を採りながら名目価格の硬直性を説明することなしに事実として受け入れていたにすぎないのだから、(名目価格の硬直性に対するミクロ的基礎を提供することによって、マネーサプライの変化が実質変数の変化を招くというマネタリストの議論に支持を与える)新ケインズ派経済学は新マネタリズム(new monetarist economics)とも呼び得るのである。
第二に、ニューケインジアンは必ずしも政府の積極的な政策介入を望ましいものとは見なさない。本書における理論の多くは市場の不完全性を強調しているので、その理論の多くからは自由に放任された市場は非効率的な均衡に陥るとの含意が導かれることになるであろう。それゆえ、理論的な観点からは、政府による政策介入は潜在的には資源配分を改善し得るということになるであろう。しかしながら、政府が実際にも市場に介入すべきかどうかという問題は、経済的な判断だけではなく政治的な判断も含むものであり、理論的な結論をそのまま実践に移すことができるほど簡単な問題ではない。また、ニューケインジアンの議論によって説得されたとしても、同時に、政府による積極的な安定化政策(stabilization policy)に対する従来からの反対意見の多く―政策が効果を表すまでにはラグ(時間的な遅れ)があること、また政策の効果が表れるまでのラグは状況に応じて変わりうること―も依然として妥当であると考えて、ニューケインジアンでありながら同時に政府による積極的な安定化政策に懐疑的な立場を採る、ということも可能なのである。


New Keynesian Economics: Imperfect Competition and Sticky Prices (Readings in Economics)

New Keynesian Economics: Imperfect Competition and Sticky Prices (Readings in Economics)

*1:訳者注;ニューケインジアンマネタリストなのかケインジアンなのか、という問いはニューケインジアンの特徴を理解するにあたって適当な問いの立て方ではない、というような意味だろう。

*2:訳者注;マネタリストケインジアン論争で焦点となった問題

*3:訳者注;新ケインズ派経済学は総需要の理論だけではなく総供給の理論もその中に含むものであり、新ケインズ派経済学はマネタリストケインジアン論争においては問われなかった問題も視野に含んでいる。それゆえ、(マネタリストケインジアン論争で問題とされていなかった話題も研究対象に含む)ニューケインジアンケインジアンマネタリストかという尺度で明瞭に分類することはできない、というようなことを言いたいのだろう。