日本の金融政策(オタク系)


●Paul Krugman, “Japanese Monetary Policy (Wonkish)”(Paul Krugman Blog, July 30, 2010)


(追記)文中で取り上げられているサムナーの論説についてはmaedaさんによる邦訳が存在する。是非ともご一読を。

●“美しいモデルと不都合な事実 by Scott Sumner”(道草, 2010年7月31日)

う〜む。スコット・サムナー(Scott Sumner)のブログエントリーに目を通したばかりなんだけど、その中で彼は、日本経済はデフレの罠(deflationary trap)に嵌っているとのアイデアに対して激しく反論している。彼の主張はこうだ。日本経済がデフレーションに陥っているのは、日本銀行がデフレを望んでいるからだ、と。

私はこれまで、日本銀行は超保守的な中央銀行であり、マイルドなデフレーションを好んでいる、という印象を抱いていた。実のところ、私が日銀に対して抱いていた以上の印象は、他の人々にも同様に広く共有・理解されているものと考えていたが、どうやらそれは私の見当違いみたいだ。

うん、君の見当違いみたいだよ。1990年代以降の日本の金融政策を見守ってきた人たちや折に触れて日銀との間で議論を交わしてきた人たちは、君が抱いているような印象をまったく共有していない。申し訳ないけど言わしてもらおう。実際のところ、日本経済はデフレの罠に嵌っているんだ。サムナー、君は、日銀はもっと積極的に行動すべきだった、と主張するかもしれない。その点に関しては僕も同意する(僕も同じことを主張するだろう)。だけど、日銀は持続的なデフレーションをターゲットにしているわけじゃない。デフレーションが生じたのは、伝統的な金融政策が有効性を失ったからであり、また、日銀がもっと大胆に(adventurous)振る舞おうとする意志を持たないからなんだ。

日本経済におけるマネタリーベース(ただし、名目GDPで除してある)の推移を示した以下の図を見てみよう。



1999年から2003年にかけてのマネタリーベース(マネタリーべース÷名目GDP)の急激な上昇に注目してくれ。上昇の理由は、日銀が量的緩和政策を採用したからだ。量的緩和政策は、銀行部門に対して大量の(訳者挿入;所要準備額を超える規模の)準備預金を供給することを通じてデフレを克服しようとする試みの一つだ。量的緩和政策は以下のような意図に支えられていた。大量の準備預金を供給すれば、銀行がそれを貸出しに回すことになり、その結果としてマネーサプライの増加につながるだろう、と。でも、現実にはマネーサプライは増えなかった。つまり、日銀はデフレを克服しようと試みてはいたんだ。ただ失敗に終わったという話で。

サムナーの主張に目を向けよう。彼はこう主張している。日銀の行動が示していること、それは、日銀はデフレの継続を望んでいるということである、と。

インフレーションが『極めて低い』状況にある間は、日本銀行は決して金利を引き上げることはないだろう。そのような状況で金利を引き上げることは馬鹿げた行いであろう。私もその通りだと思う。ただ、問題は、2000年代に入って、日銀は金利を引き上げたのである。それも1度ならず再三にわたって。つまりは、西洋の経済学者らは日本のインフレーションは『極めて低い』状況にあるとみなしているが、日銀はそれとは違ったように感じているらしいことがあまりにも明らかなのである。

ええとね、サムナーのこの見方は、中央銀行の動機をあまりにも狭く捉えすぎているし、中央銀行の見識を信頼しすぎていると思うよ。かつて僕は、日銀が金利を引き上げた際に以下のようなことを書いたことがある

それでは、どうして日本銀行金利を引き上げたりした(ゼロ金利政策を解除したりした)んだろうか? ここ数ヶ月間にわたり、日銀のお偉方は、声高らかに金利引き上げの必要性を説いて回っていたけど、金利引き上げを正当化するような筋の通った理屈をまったく提供できずにいた。日銀のお偉方は、ゼロ金利政策(ZIRP)は企業にとって気楽で居心地のいい環境を生み出すことになり、企業が(訳者挿入;経営改善のために避けて通ることのできない)厳しい決断(tough decisions)に直面することを先送りさせることになる*1、なんて主張したりしている。でも、この主張を裏付けるような証拠なんてどこにもない。現実はそれとは反対で、ゼロ金利という環境にもかかわらず、最近の日本では企業の大規模倒産が前例にない勢いで相次いで発生している。それはそうと、一体いつから民間企業の道徳心(moral fiber)を強化・鍛練することが中央銀行の仕事になったんだろうか?

おそらく、僕たちが今目にしているのは、低迷する経済状況を前にして、セントラルバンカーが好き好んで行うような行為―つまりは、節制(austerity)の必要性を訴えたり、パーティーが盛り上がっている時にパンチボールを片付けたり*2、とかそんなこと―に出ることを正当化する適当な理屈を見出せず、そのために失望感に苛まれている新たに独立性を手にしたばかりの中央銀行の姿だ。そしてたぶん無意識なんだろうけど、日銀のお偉方はセントラルバンカーらしく振る舞うことを正当化するような理屈を探し始めることになった。日銀ウォッチャーが指摘してきたように、過去数ヶ月の間、日銀は、系統的に「ゴールポストを変更」(“changing the goal posts”)しながら*3、同時に、金融引き締めを正当化する新たな理屈を探し求めていた。その姿はまるで、まず答えありきで、答えを見出した後に(その答えを支持するような)適当な質問を探そうと試みる人みたいなものである。一度金利引き上げの可能性を声高らかに語ってからというもの、日銀のお偉方は、実際に金利を引き上げなければ面目を失う破目になると感じていたようである。日銀のお偉方は、財務省金利引き上げに反対しているというまさにそのことを理由として金利を引き上げなければならないと感じていたようなのである。

サムナーは以下のようにも書いている。

もちろん、日本経済がいかなる種類のデフレの罠*4にも嵌っていないことを示す理由は他にもたくさんある。日銀は、2008年〜2009年における大デフレ危機(the great deflationary crisis)のただ中において進展することになった急激な円高を放置したし、2006年にはインフレの予防を目的としてマネタリーベースを劇的に縮小させたのである。


2006年におけるマネタリーベースの縮小は先に掲げた図でも見てとることができるだろう。僕にとってはこのマネタリーベースの縮小はそこまで劇的な縮小には見えないけれど、ともかく、僕は日銀のこの行動の理由を現在Fedの行動を読み解く中で持ち上がる論点と同様の観点から理解していたんだ。Fed内部の幾人かのセントラルバンカーたちは、単に非伝統的な金融政策から手を引きたがっているだけだ。それと同じで、日銀はインフレを予防するために金融を引き締めたんじゃなくて、足元のマクロ経済状況が堅調であると誤認したことに加えて、中央銀行の通常の業務に戻りたいという想いに駆られて*5、銀行部門における超過準備の吸収に乗り出したんだ。

おっと、あと為替レートの話ね。中央銀行は自国通貨の増価を容易に抑えることができるとの根強い幻想がある。この幻想に対する反証として、例えば、スイスを見てみよう。スイス国立銀行は、フランがユーロに対して上昇することを抑制するために大規模な為替介入を実施した。でもその試みは失敗した。



さて、ここまでの議論の教訓は何だろうか? まとめとして、日本経済の経験から2つの教訓を引き出しておこう。

1.デフレの克服は非常に困難であって、それゆえデフレの罠は現実的なものである(Deflationary traps are real)。単に貨幣を刷るだけではデフレの克服にはつながらない。

2. デフレ下において、中央銀行は著しい創造性を発揮する。中央銀行は、金融引き締めを正当化する理屈を発見することにかけては著しく創造的なのである。しかし、日銀が金融引き締めを正当化する理屈を発見することにかけては著しい創造性を発揮するからといって、日銀がデフレを望んでいることを意味するわけではない。


(追記)日銀が時期尚早の金融引き締めに乗り出す理由に関して、上のクルーグマンの説明と補完的な議論が、高橋洋一著『霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」』(文春新書、2008年)の中でなされている。一部抜粋した上で引用する。

「金融引き締め」したら勝ちという日銀のDNA(pp.101)

高橋 日本銀行はもともと金利を上げるのが好きで、そういうDNAがあってね。
マネーを出すのを「金融緩和」、マネーを引っ込めるのを「金融引き締め」というんだけれど、日本銀行には「金融引き締め」したら勝ちという文化、バカみたいなDNAがある。
財務省は緩めろと言うから、引き締めるのが実は日本銀行の中では勝ちという風土があるの。ほんとうだよ。勝ちと言うんだもの。
金融を緩めるためにはマネーを出す。マネーというのは日本銀行のバランスシートの負債なんだよね。それを増やすということはバランスシート上、資産も増やさなければいけない。資産を買わないと日本銀行はマネーが増えないんだよね。
資産を買うので一番手っとり早いのは国債なんだよ。マネーを増やすために、日本銀行国債を買わなければいけない。
でも、国債を買うということは財務省を手助けするということだから、日銀の人は財務省への対抗心からそれを「負け」という風土があって、国債を買いたがらない。
だからマネーを絞りたくなっちゃう。経済理論はたぶん知っていると思うけれど、そのDNAが勝っちゃうんだね。

財金分離?(pp.102〜103)

高橋 ちょっと脱線するけれど、日銀総裁をめぐる国会論争で、民主党の仙石由人さんが、「日銀が財務省から国債を買うのは、財金分離に反する」と言っていた。
それは、日本銀行がかつてそういう説明をしていたから。十年以上前だが、私は大蔵省で国庫関係(政府資金の管理など)の仕事をしていた。そのときに、国庫と日銀間の取引に関わっていたが、日銀担当者は日銀が保有している国債について、「こんなものは早く大蔵省に返したい」といつもいっていた。日銀にとって、国債はもつべからざるものなんだと思った。さすがに、いまや「国債を買ったら負け」というのは表だっていえない。「財金分離に反する」というとなんとなくかっこいい言い方をするんだけれど、結局は財務省に屈服したという意味だから、言っていることは同じなんだよ。

・・・(略)・・・

DNAでも「財金分離」でもなんでもいいんだけれど、財務省への変な対抗意識から日本銀行国債を買わないで、マネーをデフレのとき減らしちゃった。

バブルは誰にも予測できない(pp.109〜114)

高橋 グリーンスパンいわく、「バブルは崩壊して初めてバブルとわかる」というやつでね。情けないと言われてもしょうがないけれど、バブルになっているときにはわからない。だから、バブルを防止するとか小難しいことはまず考えないほうがいい。

・・・(略)・・・

・・・バブルが破裂したら慌てて金融緩和するしかないのよ。それなのに、日本というのはバブルが終わったときにすぐ緩和しなかった。
それどころか、バブルが破裂したときに一年間ぐらい引き締めて、金利を上げているんだよ。はっきり言ってミスなんだけれど。

――当時の日銀の三重野康総裁はバブル退治の「鬼平」と言われて、持ち上げられていましたね。

高橋 みんなが褒めていたけれど、本当は逆なんですよ。あっという間に金利を下げたほうがいいわけ。
なのにバブルが崩壊したあとちょっと上げて、不況が深刻化したら焦って下げているんだけれど、下げるのもゆっくりだった。結果的には頂点から5パーセントぐらい下げるのに、日本は5年ぐらいかかっている。
アメリカなんか、バブルが崩壊したらすぐに、というか同時期に1、2年でやった。全然スピードが違う。バブルは崩壊したら、すぐ金融緩和をやれというのが原則なんだ。
下げるのが遅いと後遺症が長くなるのに、日銀がすぐ金融緩和をしなかったというのは、金利を下げるのは「負け」と思っている例の遺伝子がずっとあるんじゃないかなあ。

量的緩和の失政(pp.114〜115)

高橋 その遺伝子を今も引きずっていて、2006年3月の量的緩和の解除も間違いだったと思う。物価がちょこっと上がりそうになったらすぐ締めちゃったんだよね。
どうして間違ったかというと、消費者物価指数に上方バイアスがあるということを日本銀行は意図的に無視したから。CPIの上昇率がゼロ以上で、安定したときに量的緩和を解除するという約束だったわけ。
0.5ぐらいが続いていたところで、「安定的にゼロ以上」というふうに解釈しちゃったんだよね。
でも、1ぐらいの上方バイアスがあるから、実際にはゼロどころか、マイナスなんだ。普通の国だったら上方バイアスを考えるから、1以上、いやそれどころか3ぐらいになってから緩和するのに、日銀は0.5ぐらいのときにやっちゃったんだ。
上方バイアスをきちんと日本銀行が把握していたら、あのとき量的緩和解除をしてはいけなかった。


霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)

霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)

*1:訳者注;ゼロ金利政策という超金融緩和によって、企業が改革する気をなくしてしまう=ゼロ金利政策構造改革を阻害する、とかいう主張のことを指していると思われる。

*2:訳者注;ウィリアム・マーティン元FRB議長の言葉。景気が過熱気味の時に(=パーティーが盛り上がっている時に)皆から嫌われるような金利引き上げに臨む(=パンチボールを片付ける)こと。wikipediaならびに Greg Mankiw, "How to Avoid Recession? Let the Fed Work"(New York Times, December 23, 2007)を参照。

*3:訳者注;ゴールポスト=金融政策の目標。「ゴールポストを変更」というのは、例えば、「物価安定」の具体的な中身として、それまではコア(あるいはコアコア)CPIで測ったインフレ率で見て1%が「物価安定」にあたるとしていたものをコア(あるいはコアコア)CPIでのインフレ率で見て0%が「物価安定」にあたる、というように、「物価安定」の定義を変更したりすること。日銀ではなくFRBに関するものではあるが、Paul Krugman, "Taking Down The Goalposts"(Paul Krugman Blog, August 1, 2010) および 同, "Defining Prosperity Down"(New York Times, August 1, 2010)も参照のこと。

*4:訳者注;原文ではdeflationary gapとなっているけれども、おそらくdeflationary trapの誤植だと思われる

*5:訳者注;足元のインフレ率の動向とは無関係に、ただ単に「非伝統的な」金融政策から「伝統的な」金融政策=手慣れたオペレーション、に戻りたいという想いに動機づけられて金融引き締めに乗り出した、ということ