デロング「J.S.ミル 対 ECB;ワルラスの法則で世界経済の現状を読み解く」


●J. Bradford DeLong, “John Stewart Mill vs. the European Central Bank”(Project Syndicate, July 29, 2010)

中盤以降の部分訳。

1829年のことになるが、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は、彼が「一般的な(全般的な)供給過剰(“general gluts”)」と呼んだ問題の解決策を明らかにすることを通じて経済学上における大いなる知的前進を促すことになった。ミルは、金融市場において特定の金融資産に対する超過需要が存在する裏には、生産物市場において財・サービスの超過供給が存在する―そして、財・サービスの超過供給は労働市場において労働サービスの超過供給を生み出すことになる―ことを見てとったのである。

ミルにとって以上の認識から示唆されるインプリケーションは明らかだった。すなわち、金融資産に対する超過需要を和らげれば、同時に、財・サービスの超過供給(つまりは、総需要の不足)と労働サービスの超過供給(つまりは、大量失業)とが和らぐことになる、ということである。

ミルの議論を現在の状況に当てはめて考えてみよう。金融資産に対する超過需要を解消する方法は数多く存在する。金融資産に対する超過需要が支払い手段として利用されるような流動的な資産―すなわち、「貨幣」―に対する超過需要のかたちをとる場合には、超過需要を和らげるための正攻法は、中央銀行が政府債券を購入することと引き換えに貨幣を発行することである。そうすることで、マネーストックが増加し(=「貨幣」の供給量が増加し)、その結果として「貨幣」の供給量と「貨幣」に対する需要量との間に(訳者挿入;「「貨幣」に対する需要量>「貨幣」の供給量」の状態から「「貨幣」に対する需要量=「貨幣」の供給量」の状態へと向かって)バランスが取り戻されることになる。今日我々はこの手段を指して「金融政策」("monetary policy")と呼んでいる。

金融資産に対する超過需要が満期が長めの金融資産―現在から将来に向けて購買力を移転することを可能とする価値の貯蔵手段として機能する「債券」―に対する超過需要のかたちをとる場合には、超過需要を和らげるための正攻法には2通りある。第1の手段は、企業が借入をもっと増やすよう(=債券(社債)の発行をもっと増やすよう)促すとともに(その借入を原資として)生産能力を拡張するよう促すものであり、第2の手段は、政府が借入をもっと増やして(=債券(国債)の発行をもっと増やして)(その借入を原資として)政府支出の規模をヨリ増大させるよう促すことである。そうすることで、「債券」の供給量と「債券」に対する需要量との間にバランスが取り戻されることになる。今日我々は、第1の手段を指して「信頼回復」("restoring confidence")策と呼び、第2の手段を指して「財政政策」("fiscal policy")と呼んでいる。

金融資産に対する超過需要が高品質の金融資産(high-quality assets)―富を預けることが可能な富の保管場所であり、また、一時的にその場所を離れて再度戻ってきた時に依然として預けた富がそのまま存在することを保証するような*1富の保管場所―に対する超過需要のかたちをとる場合には、超過需要を和らげるための正攻法は、(マーケットからの)信用のある(creditworthy)政府が民間の金融資産に対して政府保証を与えるとともに政府に対する債務と引き換えに民間金融資産を買い取ることである。そうすることで、リスク資産の供給量が減少するとともに安全資産の供給量が増加することになる。今日我々はこの手段を指して「資産転換政策」("banking policy")*2と呼んでいる。

もちろん、現実に実施される政策は(超過需要を和らげるための種々の正攻法に関する)以上の理念型のうちのどれか一つに截然と分類されるわけではない。ここのところ、欧州中央銀行(ECB)は、財政刺激策をこれ以上続ければ逆効果になってしまうだろうと懸念を表明している。ECBはこう主張することだろう。確かに、政府支出をさらに増やして、大規模の財政赤字を継続すれば、それに伴って債券(国債)の供給量が増加することになるので、満期が長めの金融資産に対する超過需要は和らぐことになるだろう。しかし、政府債務の規模が政府の債務返済能力を上回る水準にまで達すれば、すべての政府債務(政府債券)は(安全資産から)リスク資産へとその性格を変えることになるだろう。つまり、(政府債務の規模が政府の債務返済能力を上回る水準にまで達しているにもかかわらず)財政赤字をさらに継続することは、高品質の金融資産の不足(高品質の金融資産に対する超過需要)を生み出すことによって満期が長めの金融資産の不足(満期が長めの金融資産に対する超過需要)を和らげることを意味するのであり、このことは状況のさらなる悪化を意味することになるだろう、と。

ECBは、北側の主要経済―ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、日本―は、今や急激な財政緊縮策に打って出る必要がある地点にまで達していると主張している。政府債務の質に対する金融市場の信頼が揺らいでおり、その信頼がいつ崩壊するかもわからない、というのがその理由だという。どうやら、世界の政策当局者らはECBの主張に賛同しつつあるようである。7月後半のことだが、米国行政管理予算局(Office of Management and Budget)長官であるピーター・オルザグ(Peter Orszag)は、来る3年間にアメリカ政府が取り組む財政再建策は、過去60年の中でも最も大規模な支出削減を伴うだろう、と語ったのである。

しかし、私の目には世界経済の現状は(ECBの目に映るのとは)大きく違ったように映る。私には、北側の主要経済の政府が発行する債務の質に対して金融市場の信頼が崩壊する瀬戸際にあるようには見えない。私の目に映るのは、生産能力を10%下回る水準で推移している経済であり、今にも10%に近づこうとしている失業率である。今後の経済政策にとってヨリ重要なことには、私の目には、主要経済の政府が発行する債務に対して投資家が大きな信頼を抱いている世界、投資家の多くにとって政府債務こそが近時の嵐*3の中において唯一の安全な港の役割を果たしている世界、が映っている、ということである。

このような状況を前にして、ミルであれば一体どのような政策を勧めたであろうか? そのことについては、言うまでもなくはっきりしているだろう。


飯田先生の以下の論説と併せて読むと吉。

飯田泰之, “経済を考える勘所−−ワルラスの法則について”(SYNODOS Blog, 2010年7月29日) 

*1:訳者注;資産価値が安定している、という意味。

*2:訳者注;"banking policy"を直訳すると、「銀行政策」というようになるかと思うけれども、それだと意味がよくわからない。リスク資産を安全資産に転換するという機能に照らして「資産転換政策」との訳を一応あてておいた。

*3:訳者注;金融危機後の世界経済の混乱