ミシュキン「今こそFedはインフレーションターゲットを採用すべきである」


●Frederic Mishkin, “The Fed must adopt an inflation target”(Financial Times, October 24, 2010)

先日行われたスピーチで、ベン・バーナンキFRB議長はFedに課せられたインフレーションに関する法的責務について論じた。このスピーチを受けて、マーケットでは、アメリカの中央銀行であるFedが具体的な数値目標の公表を伴うインフレーションターゲット(numerical inflation target)の採用に向けて動き出そうとしているのではないかとの推測が生じることとなった。Fedがインフレ率に関する特定の数値目標(ターゲット)に対して明白で(transparent)信認のある(credible)コミットメントを行うべき時があるとすれば、まさに今がその時である。

Fedは、物価安定の達成ならびに維持可能な範囲内での雇用の最大化(maximum sustainable employment)の達成という2つの法的責務(dual mandate)を負っている。しかしながら、今現在、Fedはどちらの責務も達成できずにいる状況である。インフレ率は2%を大きく下回っており、現在約10%の水準にある失業率は景気回復とともに低下する傾向にあるだろうが、現状の景気回復の緩慢さを考えるとそのペース(=失業率が低下するペース)もゆっくりとしたものになるだろうと考えられる。マクロ経済に存在するスラック*1と低率のインフレーションとが作用することで、この先インフレ期待が下落する可能性が高まることになるのではないかと思われる。

この間、Fedは、経済を刺激するために、長期国債の大規模買取りプログラムを伴う量的緩和政策の再開に乗り出す意思があるかのようなシグナルを発してきた。マーケットはこのシグナルを「Fedは将来的にインフレに対してかなり容認的な態度をとるつもりなのかもしれない」ものとして解釈し、その結果としてインフレ期待の上昇につながった可能性がある。

今のこの重要な時期にインフレーションに関する目標を設定することで、Fedはこれら上記の問題のいずれにも対処することが可能となるであろう。というのも、(訳者挿入;具体的な数値目標の公表を伴うインタゲの採用によって)長期的なインフレ期待に対する名目アンカー(錨)が提供されることになれば、デフレーションの脅威が遠のくことになるだろうし、また、(長期的なインフレ期待に対する)確固としたアンカーが存在するおかげでFedは経済の落ち込みに対して伸縮的に反応する能力を手にすることになるからである―名目アンカーが存在するおかげでFedが経済の落ち込みに対して伸縮的に反応することが可能となる理由はこうである。名目アンカーが存在することで、新たに量的緩和に乗り出すこと=Fedが長期的なインフレ率の目標を変更したシグナル、として誤解される可能性が低下し、また、新たに量的緩和に乗り出すこと=Fedが長期的なインフレ率の目標を変更したシグナル、として誤解される可能性が低下することでインフレ期待が突発的に上昇する可能性も低下することになるからである*2―。

Fedは、2つの簡潔なステップを踏むことを通じて、強固な名目アンカーを提供することが可能となるであろう。まず第1のステップとして、FOMC連邦公開市場委員会)は、バーナンキ議長が先のスピーチで「(Fedに課せられた)法的責務と合致するインフレ率」(“mandate-consistent inflation rate”)として言及したインフレ率の具体的な数値に関してメンバー間でコンセンサスを形成する方向に向かうべきである。この点はそれほど困難な問題とはならないはずである。というのは、Fedが長期的なインフレ予測(longer-run inflation projections)として公表しているところによれば、FOMCのメンバーらはすでに「法的責務と合致するインフレ率」として約2%かあるいはそれを若干下回る水準のインフレ率を想定していることが示唆されているからである。そして第2のステップとして、FOMCは、経済学的にみて妥当な理由がある場合―インフレ率の計測上における技術面の改善があったり、経済構造の変化があったりした場合等―を除いては、(FOMCメンバー間でコンセンサスを得た)目標インフレ率が変更されることはない、と宣言すべきである。

コメンテーターの中には、インフレについての目標が設定されることになれば、Fedはインフレーションのコントロールにあまりにも重きを置きすぎるようになり、翻って実体的な経済活動の安定化に対してそれほど十分な注意を払わなくなるのではないか、と懸念を表明してきた人がいる。しかしながら、FOMCのメンバーが「(Fedに課せられた)法的責務と合致するインフレ率」についてコンセンサスを形成することは、Fedが負う2つの法的責務と矛盾するものではない。実のところ、「法的責務と合致する」(“mandate consistent”)との表現には、インフレーションのコントロールに対するコミットメントが(実際のインフレ率がほんの短期間でも目標インフレ率のレンジから外れてはならないものであるかのように)あまりにも過度に厳密なコミットメントとして誤解されてはならない、との意味合いが暗に込められていると考えられる。また、経済学的にみて妥当な理由がある場合には目標インフレ率を変更することが可能であるようにしておくことで、Fedが不適切な目標に縛り付けられること(不適切な水準のインフレ率をターゲットとして課されること)もなくなるだろう。

以上の2つのステップを踏むだけでは目標となるインフレ率に対する十分な程度のコミットメントとはならないのではないか、との疑問が生じるかもしれない。しかしながら、「経済学的にみて妥当な理由がない限り、目標インフレ率を変更することはない」との意図をはっきりと述べることで、FOMCは具体的な特定のインフレ率の達成に対する他のコミットメントの方法によって提供されることになるであろうものと実際上は大きくは異なることのない確固としたアンカーを提供することになるであろう。アメリカで最高裁が何らかの決定を下すと、その決定の過程で展開された議論はその後の同種の法的問題すべての処理にあたって指針を提供する前例として機能する。ここで私が金融政策に対して推奨しているアプローチは、これとほぼ同じようなかたちで機能することになるであろう。「法的責務と合致するインフレ率」に関してFOMCのメンバー間で形成されたコンセンサスは曖昧さが排除されたはっきりとしたものであるので、FOMCは経済学的にみて妥当な理由がない限りは(メンバー間でコンセンサスを得た)目標インフレ率を変更しようとはしないだろう。そういうわけで、本論説における(2つのステップを踏んだインタゲ採用に関する)提案は、長期的なインフレ期待に対する確固としたアンカーを提供する上で十分なものであろうと思われる。

今のこの重要な時期に、本論説での私の提案に沿うようなかたちで明示的な数値目標の公表を伴うインフレーションターゲットが採用されることになれば、Fedは経済の状況を改善する能力を手にすることになるだろう。明示的なインタゲが採用されることになれば、インフレ期待に対する強固なアンカーが提供されることになる(=目標インフレ率がアンカーとなってその近辺の水準にインフレ期待が安定化することになる)とともに、物価安定の達成だけではなく、維持可能な範囲内での雇用の最大化の追求をも保証するだけの十分な伸縮性が金融政策に対して付与されることになるからである。FedFRB議長は、明示的な数値目標の公表を伴うインタゲの採用に向けて即座に行動を起こすべきである。

*1:訳注;遊休状態にある生産資源が存在すること。つまりは、需給ギャップが存在する、ということ。

*2:訳注;このようにして、量的緩和への移行に伴ってインフレ期待が突発的に上昇する可能性をそれほど恐れる必要がなくなるので、景気を刺激するために積極的に(インフレ期待の不安定化に対してそれほど気を揉むことなしに)量的緩和に乗り出すことが可能となる=経済の落ち込みに対して伸縮的に反応することが可能となる