クリスティーナ・ローマー「為替レートに関する率直な議論を求む」


●Christina D. Romer, “Needed: Plain Talk About the Dollar”(New York Times, May 21, 2011)

日付に注意されたい(2011年5月21日付の記事)。

最近開催されたコンファレンスでベン・バーナンキ(Ben S. Bernanke)FRB議長は最近のドル安傾向について意見を求められた。バーナンキはその質問に対して「為替レートの問題に関する政府のスポークスマンは財務長官です。ただ言うまでもありませんが、アメリカは強いドルを歓迎しています。」とだけ答えて軽く受け流したのであった。

バーナンキのこの発言を耳にした時、私の脳裏にはオバマ政権のアドバイザーを務め始めたばかりの頃に体験した一つのエピソードが思い浮かんでいた。あれは2008年11月のこと、私はラリー・サマーズ(Larry Summers)―彼は元財務長官であり、私と同様に経済問題に関してアメリカ大統領にアドバイスを送る立場にあった―とともにシカゴの町を走るタクシーの車中にいた。その車内では、今後幾度となく訪れるであろうインタビューやヒアリングの機会に備えて、サマーズにいくつか想定質問を投げかけてもらった上で私の返答におかしなところがないかチェックしてもらっていたのであった。

ドルの為替レートに関して質問が及んだ時である。私が「為替レートは他の価格と何ら異なるところのない価格の一つであり、その値は市場で決定されます。」と返答したところ、サマーズがすかさず口を挟んだ。「おっと、それは間違いだ。正しくは、『為替レートは財務省の管轄下にあります。アメリカは強いドルを歓迎します。』、だね。」。

正確を期して言うと、サマーズの訂正よりも私の最初の返答の方がはるかに筋の通ったものである。為替レートは価格―他の国の通貨で測ったドルの価格―の一つにすぎない。また、誰か(特定の人物や機関)によってコントロールされているわけでもないし、ドルの価格が高い*1―「強いドル」ということで通常意味されているもの―からといってそれが常に望ましいというわけでもない。

例えば中国のような国は自国通貨(人民元)の価格を実質的に固定しているが、1970年代初頭以降アメリカはドルの価格が外国為替市場におけるドルの需要と供給の変化に応じて変動するに任せている。エネルギー省がガソリンの価格を決定していないのと同様に、財務省はもはやドルの価格を決定してはいない。どちらも(エネルギー省も財務省も)市場の不安定な動きに対処するために少量の準備を保有してはいるものの、価格(ガソリンの価格、名目為替レート)を市場で決まる均衡値から長期にわたって乖離させておくだけのリソース(手段、資源)も権限も持ち合わせてはいないのである。

実際のところ、「為替レートは財務省の管轄下にあります」との言葉で意味されているのは、財務長官以外には(政府内部の人間のうちで)誰も為替レートについて語る用意はない(加えて、財務長官でさえもそれほど多くは語る用意はない)、ということなのだろう。残念なことである。政府の担当者が為替レートについて率直に語ることができれば、為替レートを巡る問題に関してもっと理解が深まることになるだろうし、もっと筋の通った政策論議が可能となることだろう。

もしも筋の通った政策論議が可能となったとすれば次のように基本的な経済学の教えが踏まえられることになるだろう。外国為替市場が必要となるのは、他国と貿易しようと考えたり他国に投資しようと考える人がいるからである。例えばスペインに旅行したりドイツ国債を購入するためにはユーロが必要であり、それがために異なる通貨*2を交換する方法が求められることになる。

外国為替市場に対してドルを供給するのは外国の財・サービス、資産を購入しようと考えているアメリカ人であり、一方でドルを需要するのはアメリカの財・サービス、資産を購入しようと考えている外国人である。

ドルの需要を増やしたりドルの供給を減らしたりする要因はドルの価格の上昇につながり、反対にドルの需要を減らしたりドルの供給を増やしたりする要因はドルの価格を低下させることになる。

ここで2つの例を考えることにしよう。まずはじめの例として、アメリカの多くの企業家が外国人が欲しがるような魅力的な製品を多数開発し、その製造・販売を行うために会社の設立が相次いだとしよう。外国人の中にはその一連の会社に投資したいと考える人もいることだろう。この時外国為替市場ではドルの需要が増加し*3、その結果としてドルの価格は上昇することになるだろう。さらに、アメリカ人自身もまたそのような革新的な製品の購入を増やしたり(革新的な製品を製造している会社の株などに対して)投資しようと考える一方で、それと引き換えに海外の製品の購入を減らしたり海外向けの投資を控えることになるだろう。こうして外国為替市場ではドルの供給が減り、その結果としてドルの価格は一層上昇することになるだろう。この例は1990年後半にアメリカが置かれていた状況―ドルが強かった時期―を描写したものと見なすことができるだろう。

次に、アメリカ政府の財政赤字が巨額にのぼり、そのためにアメリカ国内の金利が上昇したとしよう。アメリカ国内の金利の上昇を受けて、外国人・アメリカ人ともにアメリカの債券の購入を増やし外国の債券の購入を減らそうとすることだろう。それに伴ってドルの需要は増加しドルの供給は減少することになるので、ドルの価格は上昇することになるだろう。この例は1980年代初頭にアメリカが置かれていた状況―レーガン政権下で実施された減税と軍事支出の増大により巨額の財政赤字が発生した時期―を描写したものと言えるだろう。レーガン政権下での財政赤字とヴォルカー(Paul A. Volcker)議長率いるFedの反インフレ政策により当時アメリカ国内の金利は高水準を記録することになった。また、当時ドルはかなり強い時期であった。

これらどちらのケース―アメリカにおける輝かしいイノベーションアメリカ政府の厄介な財政赤字―でもドルの価格は上昇する(強いドルが実現する)ことになる。しかし一方のケース(イノベーション)はアメリカ経済にとって好ましいものだが、もう一方のケース(財政赤字)は好ましくないと言える。つまり、重要なポイントは、為替レートの変動の方向に関しては一概にいいとも悪いとも言えない、ということである*4。為替レートの変動が望ましいかどうかは為替レートがどういった理由で変動したかによるのである。

また、為替レートの変動が望ましいかどうかはマクロ経済の状況にも依存する。完全雇用が実現している状況では、強いドルは生活水準の向上に資するので好ましいと言える。他の通貨に比べてドルの価格が高くなるということは1ドルで購入できる外国の製品の数量が増えることを意味するからである。

しかしながら、経済が不況下にある状況では、強いドルは望ましいと言えるかどうかはそれほどはっきりとしない。弱いドルは外国の製品に比べて自国の製品が安くなることを意味するが、そうすると輸出が増加し輸入は減少することになるだろう。そうして生じる純輸出(輸出−輸入)の増加はアメリカ国内の生産と雇用の増加につながることだろう。確かにドルが弱くなることで外国の製品は高くなるものの*5、一方でアメリカ人の雇用は増える(あるいは労働時間が伸びる)ことになる*6。雇用の確保が切に求められているような(現在アメリカ経済が置かれているような)状況においては、両者の効果を差し引きするとアメリカ経済の状況は弱いドルによってしばしの間は改善することになると判断してよいだろう。

Fedによる金融政策はアメリカ国内のインフレーションと失業の動向に照らして決定されるが、もしもバーナンキ議長が為替レートについて公然と議論できるようになれば、おそらく彼の口からは次のような発言がなされることだろう。金融緩和が不況に陥った経済を救う方法の一つはドルを弱くすることによってである、と。この点は経済学入門の講義では必ず教えられる内容であるが、現在のところFedはそうではないかのように振舞わざるを得なくなっているのである*7

同様に、財政政策も国内の事情に応じて決定されるが、財政赤字の縮小(この先アメリカ経済が取り組む必要のある課題であるが)もまた(金融緩和と同様に)ドルを弱める方向に働くことだろう。そうして生じるドル安は、財政赤字の縮小が雇用や生産に及ぼす短期的なマイナス効果を和らげることになるだろう。

不思議なことに、政治家の面々はドルがある特定の通貨−中国の人民元−に対して弱くなることに関しては望ましいことだと理解しているようである。長年にわたり、中国は人民元に対するドルの価格を高く保つ目的でアメリカ国債の購入を続けている。中国がドルの価格下落(ドル安人民元高)を受け入れたとすれば、アメリカの輸出は増えアメリカ経済は上向くことになるだろう。アメリカ議会は中国がドル安(人民元高)を実現する上で必要な措置を採らない場合は報復もあり得るとの脅しをちらつかせている。

そうかと思うと、議会内におけるその同じ人物が強いドルの重要性を声高に訴えたりする。人民元に対してドルの価値が低下することが好ましいのであれば、(人民元に対してにとどまらず)その他の多くの国の通貨に対してドルの価値が低下したとすれば現在アメリカ経済が置かれている状況を改善する上でずっと助けとなることだろう。

以上のように為替レートに関して包み隠さずに語ると極端論者とか非国民といった烙印を押されかねない恐れがある。しかしながら、そろそろもっと成熟した議論のやりとりに向けて踏み出してみてもいい頃合いだろう。為替レートを管轄しているのは財務省でも強いドルの信奉者でもない。市場*8なのである。

*1:訳注;以下で何度も出てくるが、この記事の中では「ドルの価格」というのはドルの名目為替レートのことを指しており、ドルの価格が上昇(高い)=ドル高、ドルの価格が低下(低い)=ドル安、を意味する。

*2:訳注;ここではドルとユーロ

*3:訳注;アメリカから製品を購入したりアメリカの会社に投資するためのドルを獲得しようとする動きが生じるため

*4:訳注;「ドル高は常に望ましくて、ドル安は常に望ましくない」/「ドル高は常に望ましくなく、ドル安は常に望ましい」、ということは言えない、ということ。

*5:訳注;ドル安のマイナス面

*6:訳注;ドル安のプラス面

*7:訳注;金融緩和は(様々な経路のうちの一つとして)ドル安という経路を通じて不況下にある経済を刺激することになる、ということをあらかさまに語ることができないでいる、ということ。

*8:訳注;市場における需要と供給