ロバート・フランク 「ミルトン・フリードマンの別の顔;社会福祉プログラムの改善に向けて」


●Robert H. Frank, “The Other Milton Friedman: A Conservative With a Social Welfare Program”(New York Times, November 23, 2006)

日付にご注意(2006年11月23日付けの記事)。

先週94歳でこの世を去ったミルトン・フリードマンMilton Friedman)といえば「小さな政府」の実現を求める保守派の守護聖人として知られている。社会保障制度の民営化や一連のセーフティーネットの縮小を訴えるにあたり彼の名前を持ち出す保守派の人々は、フリードマンがこれまでに考え出された社会福祉プログラムの中でも最も有望なプログラムの発案者でもあったと知れば驚くかもしれない。

市場は多くの偉業を達成し得る仕組みである。しかしながら、フリードマンも認識していたように、市場において実現する所得分配はすべての国民が経済上の基本的なニーズを満たし得るようなものであるとは限らない。彼の提案―フリードマン自身は「負の所得税」と呼んだが―は、既存の数多くの福祉プログラムを国民一人ひとりに一定額の現金―例えば、国民一人当たり年間6,000ドル―を給付するプログラムで置き換えようとする*1ものであった。このプログラムの下では、所得がゼロの4人世帯に対して内国歳入庁(I.R.S.)から毎年24,000ドル(=6,000×4)が支給されることになる。加えて、家族の成員が所得を稼いでいる場合は先の24,000ドルから所得の一定割合−例えば、50%−を差し引いた額が支給されることになる。例えば、家族全体の年間所得が12,000ドルである場合、この家族に支給される現金は18,000ドル(24,000ドルから6,000ドルの税金(=12,000ドル×50%)を差し引いたもの)ということになろう*2

フリードマンが「負の所得税」の提案を行った背後には社会における最も恵まれない人々の福祉に対する彼なりの関心があったことは疑いないが、しかし彼は何よりましてプラグマティストであって、彼自身強調しているように、「負の所得税」は実用的な観点からしてそれまでの福祉プログラムよりも優れたものだ、との判断があったのである。貧しい人々が抱える主要な問題があまりにも収入が少ないために経済的な困窮に陥っていることにあるのだとすれば、最もシンプルで最も安上がりな解決策は彼らの手にもっと多くの現金が渡るようにすることであって、フードスタンプや光熱費補助、デイケア補助、家賃補助などの実施のために多くの役人(官僚)を雇い入れることには何の利点もない、とフリードマンは考えたのである。

フリードマンの「負の所得税」提案は、彼のその他の政策提案と同じように、経済的なインセンティブの歪みを最小化するように制度設計がなされているが、この制度的な特徴はそれまでの福祉プログラムの立案者たちが大きく見過ごしてきた側面であった。それまで各福祉プログラムはそれぞれ別の政府機関によって運営されており、大抵のプログラムでは対象世帯の所得が増えるごとにその(増加した所得の)一定割合分だけ援助が減らされる仕組みになっていた。通常その割合は50%であったが、仮にある世帯が同時に4つのプログラムに加入している場合、世帯所得が1ドル増えるごとに(4つのプログラム全体で)援助は2ドル減る*3ことになろう。この場合働く時間を増やすのは得にならないということは経済学の訓練を受けていなくともすぐにわかる。これとは対照的に、フリードマンが提案する「負の所得税」の下では、働く時間を増やせば家に持ち帰ることができる税引き後所得は必ず増えることになる。

現在までのところ、「負の所得税」は(そのままのかたちでは)導入されていない。都市に住む4人家族を支えるに十分なだけの現金が支給された場合に多くの人々が働かなくなってしまうのではないかとの懸念もあって導入には至っていないようである。例えば、一人当たり年間6,000ドルが支給されるとすれば、30人からなる地方の集落には毎年180,000ドルが支給されることになる。野菜や家畜を育てながら納税者の負担と引き換えに悠々自適な生活を送る地方の人々の実態が夜のニュース番組で格好のネタになるのは間違いないだろう。そのようなプログラムに政治的な支持を取り付けることは困難だろう。

その代わり、アメリカでは勤労所得税額控除(EITC;Earned Income Tax Credit)が導入されている。このプログラムは勤労者だけが給付の対象となるという点を除けば「負の所得税」と本質的には同じである。このEITCはアメリカの福祉プログラムのうちで海外でも広く採用されるに至った数少ない例の一つであるが、フリードマンの予測した通り、これまでのところ伝統的な福祉プログラムよりもずっと効率的な結果をあげていることがわかっている。しかしながら、EITCの対象となっているのは勤労者だけであり、それゆえETICだけで貧困問題に立ち向かうことはできない。

今月のことだが、セーフティーネットの強化を公約に掲げて上院選挙を戦ったジム・ウェッブ(Jim Webb)やジョン・テスター(Jon Tester)らが当選を果たした。彼らが公約を果たす上ではフリードマンが関心を寄せたインセンティブの問題に真剣な考慮を払う必要があるだろう。労働のインセンティブを損うことなく失業者への支援を強化するにはどうしたらよいだろうか?

その方法の一つとして、公的な雇用(政府による雇用)と低額の「負の所得税」―給付金は「負の所得税」だけでは生活ができない程度の水準に低く抑えられる必要がある―との組み合わせが考えられるだろう。この制度が導入された場合、大半の人々は現在のEITCの下でと同じように民間部門で働き続けることになるだろう。それ以外の人々*4に関しては政府が「最後の雇用者」(employer of last resort)としての役割を果たすことになるだろう。適切な監督や訓練が伴えば、未熟練な人々であっても数多くの有益な仕事を果たすことが可能である。例えば、浸食された丘の斜面に苗木を植えたり、公共空間における落書きを消したり、高齢者やハンディキャップを抱えた人の移動の手助けをしたりといった仕事である。低額の「負の所得税」に公的な雇用あるいは民間での雇用を通じて支払われる賃金が加わることであらゆる人々が貧困から抜け出すことが可能となるであろう。この両者の組み合わせは人々をして失業を選択するようなインセンティブを与えることもないだろう*5

フリードマンが政府(官僚機構)の拡大を望まないだろうことは勿論だが、彼自身による政府サービスの供給に関する観察が明らかにしているように、雇用の保証にあたってその賃金が低く抑えられるようであれば(政府が公的雇用に乗り出したとしても)政府規模が拡大する必要はないだろう。雇用プログラムの実施に対して民間からの入札を募れば市場の力を利用してコストの節約につなげることができよう。

財政赤字が巨額にのぼる中で、そういったプログラムを実施する(金銭的な)余裕はあるだろうか? 1943年の論文(“The Spendings Tax as a Wartime Fiscal Measure”)で、フリードマンは、国家の重要な目的を達成する上で必要となる税収を確保する最善の手段として累進消費税のアイデアを提案している。この仕組みの下では、国民は内国歳入庁に対して年間の所得額だけではなく(401(k)プランに対してそうしているように)年間の貯蓄額も報告することになる。(報告された)所得額と(報告された)貯蓄額の差が年間の消費額ということになるが、こうして計算された消費額から通常の控除を差し引いた金額に対して累進税率が課されることになる。富裕層の消費に対して高い税率が課されたとしてもそれほど大きなマイナス効果を伴うことなく追加的な税収を確保できるだろう、とフリードマンは(論文の中で)主張している。低・中所得層の経済面での安全(economic security)を促進することが国家の重要な目的であるのだとすれば(多くの有権者はそのように感じているようであるが)、その実現に向けたプログラムの費用を賄う手段はある、ということになろう。

フリードマンはどのような人物だったか?」と尋ねれば彼を知る人は誰もが皆次のように答えることだろう。寛大で思いやりのある人物であり、多くの保守派の誰にもまして個人の成功に果たす幸運の役割*6に鋭くも気づいていた人物であった、と。フリードマンの業績を注意深く検討すれば、セーフティーネットの解体に向けてではなく、いかにしたらその(セーフティーネット社会福祉プログラムの)有効性をさらに高めることができるかという方向に目が向けられることになるだろう。


Microeconomics and Behavior

Microeconomics and Behavior

*1:訳注;既存の福祉プログラムをすべて廃止して「負の所得税」プログラムに一本化する。

*2:訳注;よって、家族4人で合計30,000ドル(所得12,000ドル+給付18,000ドル)を手にすることになる。

*3:訳注;=1×0.5×4

*4:訳注;現金給付を受ける人のうちで民間部門で働く人々以外の人

*5:訳注;ここでの公的雇用と負の所得税との組み合わせという話も含めて本記事全体の内容は、Robert H. Frank 『Microeconomics and Behavior』「ch.17 Government」でもう少し詳しい解説がなされている(第7版だとpp.587〜591)。

*6:訳注;ある人が事業に成功して大儲けしたり、歌手や作家etcとして成功して名を馳せたりするにあたって運が果たす役割を無視することはできない(言い換えると、その人が成功したのはたまたまだったのかもしれない)、ということ。この話題関連で同じくロバート・フランクの手になる以下の記事も参照。 Robert H. Frank, “Luck vs. Skill: Seeking the Secret of Your Success”(New York Times, August 4, 2012)