もう一つのコスト・ベネフィット計算

われわれは、紛争を除去しうる効率的な方法を常に探求しなければなりません。方法は効率的でなければなりません。皆を殺してしまえば、すべての人間の紛争が除かれることは明らかです。しかし、社会的浪費を除く手段として、そうした方法を望むものはだれもいないでしょう。同じように、紛争を除去しようとする他の多くの提案も、紛争それ自体と同じほど非効率的であるか、それよりも非効率的なのです。しかし、われわれは、この分野で敗北主義者であってはなりません。紛争を協力に変えるか、あるいは少なくとも紛争の費用を低下させる可能性をもつ手法を、われわれは常に追求しなければなりません。 (ゴードン・タロック著 『ソシアル・ジレンマ』, 日本版への序文, pp.8)


紛争(パイの分配をめぐって争うこと)=囚人のジレンマ状況と考えていただいて結構だけれども*1、問題の解決策が効率的であらねばならない点を訴えるにあたって当事者全員を殺すという話を持ち出すあたりはうまいな〜と感心させられる。
関係する当事者全員を殺してしまうことも問題の解決策の一つではあるけれども、それではあまりにコストが高過ぎる。関係者全員を殺すという手段ほどではなくとも問題の解決策にはそれに伴うコストがかかるのであり、問題の解決にいかほどのコストがかかるのかという点は問題それ自体によって生じているコストと並んで留意すべき点であろう。また、問題解決に要するコストを明示的に勘案することは「問題があれば何が何でも(=どれだけコストがかかろうが)解決せねばならない」という立場から一歩距離を置くことにもつながるであろう。安易に敗北主義者になることは避けなければいけないけれども、場合によっては*2問題を放置した方が社会的にみて望ましいこともあるということになろう。


ソシアル・ジレンマ―秩序と紛争の経済学 (1980年)

ソシアル・ジレンマ―秩序と紛争の経済学 (1980年)

*1:パイの分配をめぐる争いそれ自体からは新たな価値は何ら生み出されず、ヨリ多くの分け前を得ようとして投下される資源(時間、労力、物的資源etc)は社会的な浪費でしかない。しかし、個々人の立場からすればヨリ多くの分け前を得るために資源を投下することは合理的である。

*2:現実に実行可能な解決策のいずれに関しても問題解決に要するコストが問題が解決されることによって得られるベネフィットを上回る場合