ただの洗濯などというものはない


●Shawn Regan, “No such thing as free laundry”(Viking Fusion, March 13, 2009)


「ただ飯なんてものはない」関連で。以下の内容の要約はちょっと色付けて書いてます。


A大学の学生宿舎に備え付けてある洗濯機の使用には現在1回あたり1.25ドルかかる。宿舎生活改善の一環としてこの洗濯代をタダにしようとの声が大学当局・学生側双方からあがっているらしい。タダの洗濯。なんと素晴らしいことだろう。
大学当局と学生の双方が合意しているにもかかわらず、「タダの洗濯」案はいまだ実施に移されていない。なぜなら「タダの洗濯」案に対して猛烈に反対している教授がいるからである。
彼は言う。「ただの洗濯などというものはない(there’s no such thing as a free laundry)」。
彼は続ける。「宿舎での洗濯をタダにしたからといって洗濯するのに水道代や電気代がかかることに変わりはない。洗濯に要するコストは例えば宿舎代に転嫁されるなどして結局は学生が支払うことになるだろう。」
彼はさらに続ける。「「タダの洗濯」案は不公平でもある。洗濯代が宿舎代に転嫁されたとなれば、宿舎の洗濯機をどれだけ使用したかにかかわらず宿舎に住む学生が皆で平等に洗濯に要するコストを負担することになる。このことは洗濯機をあまり使わない学生や洗濯物を自宅に持ち帰っている学生が余分に洗濯に要するコストを負担することを意味する。辛い思いをして重い洗濯物の山を自宅に持ち帰る学生が洗濯機のヘビーユーザーに奉仕せねばならない理由とは一体何なのだろうか? 私にはその理由がわからない。」
彼の口撃は止まらない。「「タダの洗濯」案は意図せざる結果を招くことにもなるだろう。いくら洗濯しようがタダなのだから服が少し汚れただけでもすぐに洗濯に回すことになるだろう。これまでは洗濯物をギリギリまで貯めて例えば4日に1回だった洗濯も2日に1回、下手したら毎日ということになるかもしれない。結果、宿舎全体での洗濯コストは跳ね上がることになるだろうし、洗濯機も常時稼動することになるだろうから洗濯機が空くのを待つ時間も長くなることだろう。」


彼の職業は経済学者。バラ色の未来を約束する制度改革案に対して「冷や水を浴びせる役」として名高いあの経済学者である。