岩田規久男著『日本銀行は信用できるか』を読んで


またまたレギュラー先生のつぶやきにのっかってエントリーを稼ぐ作戦です。以下はレギュラー先生が岩田規久男著『日本銀行は信用できるか』を読まれた後につぶやかれていたことの一部をまとめたものです。

岩田規久男著『日本銀行は信用できるか』をやっとこさ読んだワン。各章扉に日銀に関連した写真が飾っているけれども、第3章の馬の水飲み場写真は一体何を意味しているんだろうワンか?「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ってことの暗示?

↑第3章=責任逃れに使われる「日銀流理論」だから内容とも合致するけども、深読みしすぎワンか?

「第5章 日銀はなぜ利上げを急ぐのか」では日銀が利上げを急ぐ理由に関して大まかに2つの仮説を提示してるワンね。1つは「狂乱物価のトラウマ」仮説、もう1つは「曖昧な政策目標」仮説とでもなるワンかね。第2の仮説は「円の足かせ」仮説、「地価バブルつぶし」仮説、「物価安定=ゼロインフレ」仮説が含まれるワン。

中央銀行の政策目標は物価安定であり、物価安定の中身は消費者物価指数でみて若干プラスのインフレ率(物価指数の上方バイアスやデフレに陥るリスク回避という点を勘案して。たとえば2〜3%)である、との通常の理解からすれば「早すぎる」利上げということになるのだろうワンね。

しかし、日銀の政策目標がある時(常時?)は為替レートであり、またある時は資産価格であり、またある時は物価、しかもゼロインフレ(実質デフレ)であるというように自由自在に変化するものであるとすれば、利上げは日銀自身にとっては早すぎでも何でもなく政策目標に沿った時宜にかなったものかもしれないワン。

日銀の「総合判断」による無責任かつ裁量的な政策運営に伴う政策目標の曖昧さに対処するためにも「インフレ目標」の採用が是非とも必要ということになるんだろうワンね。

「このように、「日銀流理論」とは、日銀の責任を問われると、「それは日銀にはどうしようもない外部の経済活動によって引き起こされたものである」というように、「日銀には責任がないことを論証する」という構造を持っている点に特徴がある。これは日銀にとって極めて都合の良い理論である。」

岩田規久男著『日銀は信用できるか』pp.82より引用だワン。

日銀が「日銀流理論」によりかかる理由は責任逃れ以外にもあるかもしれないワン。「日銀流理論」は、日銀は外部の経済活動に受動的に反応しているだけであって反対に外部の経済活動に影響を及ぼすことはできません、日銀には好況やましてや不況を引き起こす力なんて大層なものは備わっていません、 という議論であって、日銀の影響力を過小に評価してみせる力を持っているワン。この点にこそ日銀が「日銀流理論」によりかかりたくなるインセンティブがあるワン。

というのも、もし日銀に好況や不況を引き起こす力があるなんてことを認めてしまえば、そのような権限あるいは権力を有することの正当性が問われることになるワン。政治家であれば一応は選挙という場で評価なり責任を問われたりということがあるけれども、政府から独立した機関としての中央銀行の総裁あるいは政策委員会メンバーというのは政治家と比べると民主的統制から自由な立場にあるワン。

好況や不況を引き起こしうる権力を有するということを公に認めてしまうと、結果に対する責任や評価を受け入れねばならなくなるワン。絶大なる権力を有することの正当性への疑義が生じないようにするためには、そもそも我々はそんな強大な権力なんてありやしませんと言うのも1つの道。

「日銀流理論」はまさに「我々日銀にはそんな強大な権力なんてありやしません」という主張を支持してくれる理論であるが故に、日銀とっては「日銀流理論」ほどありがたいものはないワン。結局のところ、権力の正当性を問われることを逃れるという意味で「責任逃れ」に利用されるということになるワンけど。

↑は日銀の政策委員メンバー(と政策立案に携わる日銀職員)は金融政策に関する通常の経済学の議論を知っているという想定を排除するものではないワン。「日銀流理論」は間違いだとは知っているけど、「責任を問われざる権力」を維持したいというインセンティブから日銀流理論を支持するという可能性もあるワン。

「日銀流理論」を支持する理由としては「日銀流理論」は正しいと心底から信じているから支持するという可能性もあるワン。岩田先生が日銀の人事の問題にも触れてるのはたぶん日銀の行動を理解するにはインセンティブの面だけでなく能力(あるいは知識)の面も考慮に入れねばと考えられているからだろうワン。

「第5章 日銀は利上げをなぜ急ぐのか」ではその理由として2つの仮説を提示されていると(勝手に)まとめたけども、第3の仮説として「無知」仮説というのもあり得るワン。かくかくの状況でいかなる政策手段をとればいいのか知らない、という話であって、「利上げするとどうなるかよくわからんぞ。でもこの長きにわたる低金利で利子所得が減ったという話も聞く。金利上げれば利子所得も増えて消費も増えるだろう。よし、金利上げよう」→「利上げ」に賛成、という可能性ワン。

「日銀流理論」を支持する理由としてもインセンティブ面だけでなく「無知」という要因も無視できないのかもしれないワン。


日本銀行は信用できるか (講談社現代新書)

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ポーゼン、インフレ目標の将来について語る


以前本ブログでも取り上げたポーゼンの議会証言のことをレギュラー先生に話したら、「そう言えば、ポーゼンがインフレ目標についてインタビューに答えているのを見かけたことがあるワンね。」とのお言葉。その後「かなり前に読んだので細部までは記憶してないワンけど、以下のようなことを語っていたはずワン」と断ったうえで、ポーゼンインタビューの要点を滔々と語り始められた。以下はそのレギュラー先生のつぶやきをまとめたものである。

ポーゼンへのインタビューは以下ワンね。「インフレ目標の将来」。Challenge誌の2008年July−August号ワン。

●“The Future of Inflation Targeting; Interview with Adam Posen”(PDF)<http://www.challengemagazine.com/extra/005_022.pdf

ただ論点が多岐にわたっていてとてもすべてをカバーする余裕もないので私が特に興味を惹かれた点に限定してつぶやくワン。

インフレ期待を安定化させることの重要性、そしてインフレ期待を安定化させるためには名目的なアンカー(錨)が必要であること、を説いているワン。これが一番のポイントワンね。

インフレ目標というのは名目的なアンカーを提供する一つの手段なんだワン。インフレ目標は、中央銀行に目標とするインフレ率を明示化させ+その目標の達成が信頼に足る約束であるよう仕組みを備えることで、人々が将来のインフレ率がどうなりそうか予想する時のアンカー、目安を提供することになると。

一読すると何となくポーゼンがインフレ目標に否定的な感じ、否定というよりは諸手を挙げては肯定していないような感じに見えるだろうけれども、その理由はインフレ期待を安定化するための方法にはインフレ目標以外にもいくつかあると考えているからだワン。

インフレ期待を安定化させる方法に関してonlyに近い立場(=インフレ目標を採用するしかない)からone of themの立場(=インフレ目標は一つの手段ではある)へと移行したということだワンね。だからといってインフレ目標を拒絶しているわけではないワンね。

「インフレ期待を安定化するための方法にはインフレ目標以外にもいくつかある」という点は、インタビュー後半の合理的期待形成か適応的期待形成か、という点と関連してくるんだワンね。

インフレ目標のようなかたちで中銀の政策目標を明示化すること=政策の透明性を高めることは、人が将来のインフレ率を予測するにあたってフォワードルッキングに物を見る側面に応じた対応だワンね。

でも人は過去の経験も重視する=過去の実際のインフレ率に基づいて将来のインフレ率を予測する=適応的に期待を形成する側面もあるワンね。だからインフレ目標を明示的に採用せずとも、実際のインフレ率を低位安定化させることでインフレ期待を安定化させることも可能だワンね。

「実際のインフレ率を低位安定化させることでインフレ期待を安定化させ」た例としてはヴォルカー連銀の例が挙げられてるワンね。現在のFRBは明示的にはインタゲを導入してないけど、インフレ期待がそこそこ安定しているのはヴォルカー連銀の経験に応じて人々が適応的に期待形成しているからだワン。

ただヴォルカー連銀も「FRBは本気でインフレ率の低位安定化に臨むつもりだ」ということを人々に信じさせることに成功したからこそ実際にインフレ率の低位安定化に成功した側面もあるので、ある意味でフォワードルッキングな面への働きかけもあったんだワン。

別の論点に移ると、インフレ目標は中銀の手を縛るものではなく、むしろフレキシビリティを与えるものだ、とも言ってるワン。これはインフレ目標は何が何でも目標の達成を要求する厳密なルールではないということも含んではいるんだろうけども、インフレ期待の安定化が実現されることで中銀が短期的な景気安定化のためにアグレッシブに対応することを可能にするから、という意味なんだワン。

インフレ期待が安定しているために、経済全体に対してネガティブなショックがあってもインフレの加速を恐れることなくアグレッシブに利子率の引き下げに乗り出すことができるし、また石油ショックのようなコストプッシュショックがあっても即座に金利を引き上げて不況という痛みを経験する必要もないと。

インフレ期待の安定化というのは長期的な経済計画を立てやすくなる等によって長期的な経済成長にプラスに働くだけでなく、中銀に対して短期的な景気安定化のための余地を大きく残すことで景気循環の平準化ということにもプラスに働くということだワン。

↑はかつてバーナンキもスピーチで語っていたことだワン。バーナンキのスピーチは以下だワンね。ポーゼンのインタビューによると、ミシュキンも同様のことをスピーチで語っていたようだワンね。

●Ben S. Bernanke, ”The Benefits of Price Stability”<http://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/bernanke20060224a.htm

インフレ期待が安定化していることで中銀が果断に短期的な景気落ち込みに対応できるのは、さっきもつぶやいたワンけど人が適応的に期待を形成する側面もあるからだワンね。

かつての低位かつ安定した実際のインフレ率に引きずられる形で将来のインフレ率の予測をするから、中銀が一時的に金融緩和モードになっても(ポーゼンはこういうかたちでは表現していないけれども、テイラールールで見て緩和し過ぎということになっても)即座にはインフレ期待は上昇しないんだワンね。

他にも、インフレ目標でなぜ2%をターゲットにするのか、例えば6%ではいけないのか、とか、マクロ経済の安定化と長期的な生産性上昇との関係(特に90年代の好調なアメリカ経済を事例に)とか、いっぱい面白い論点が語られてるワン。時間がある時にでも一読することをお薦めするワン。

ポーゼンのインタビューの件で大事なことを指摘するの忘れてたワン。インフレ目標でターゲットとすべきインフレ率は1ケタ台であればどの水準でもいいかもしれないけれど、ただデフレに陥る危険性を回避するため+物価指数に含まれる上方バイアス、ということを考えると、ある程度余裕をもったプラスの水準でなきゃいけないと語っているワン。インフレ率ゼロ%ターゲットはだめということワンね。デフレの弊害もしっかり指摘しているワン。

経済政策の反実仮想的な評価


昨日あたりからレギュラー先生がしきりに「ハンジツカソウ、ハンジツカソウ」と意味不明のことをつぶやいてらっしゃった。一体何をおっしゃっているんだろうと思ってつぶやきに耳を澄ましてみると「経済政策を反実仮想的に評価することの意味や問題」について語られているようだった。以下は聞き取れた範囲内でレギュラー先生のつぶやきをまとめたものである。

●J. Bradford DeLong, ”Slouching Toward Sanity”<http://www.project-syndicate.org/commentary/delong95

“It is worth stepping back and asking: What would the world economy look like today if policymakers had acceded to the populist demand of no support to the bankers? What would the world economy look like today if Congressional Republican opposition to the Troubled Asset Relief Program (TARP) program and additional deficit spending to stimulate recovery had won the day?”(ここでちょっと立ち止まって以下のように問いかけてみることは価値があるであろう。もし政策当局が銀行救済に反対するポピュリスティックな声にしたがっていたならば(=つまり銀行を救済していなければ)現在世界経済が置かれている状況はどうなっているだろうか? もし共和党による不良資産救済プログラム(TARP)への反対や景気刺激のための更なる財政赤字拡大への拒絶が受け入れられていたならば(=つまりはTARPが実施に移されず、また景気刺激のための更なる財政赤字拡大がなかったならば)、現在世界経済が置かれている状況はどうなっているだろうか?)


「もし現在採用している政策を採用していなかったとすれば(あるいは現在よりも規模が小さかったとしたら)どうなっていただろうか」という反実仮想的な問いを立てて政策効果を評価するというのはどうしても評価が甘くなりがちかもしれないけども、必要な問いかけだワンね。

日銀の量的緩和もそういう意味では効果はあったワンね(=政策金利をプラスの水準にとどめおくよりはましな対応だった)。だからと言って肯定しているわけではないワンけど。

反実仮想的な問いを立てて政策の効果を評価することの意味は、ミシュキンの懸念によくよく表れているワンね。<http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20090525#p1

量的緩和の効果は限定的だった→金融緩和なんてしても効果はない、という話はよく聞くワンけど、この反応は反実仮想的な問いを回避しているがために政策の負の側面ばかりが目についてしまっている結果だろうワンね。

量的緩和の効果を評価する際に「量的緩和を実施した現実」と「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」とを比較するのではなく、現実と「デフレ不況から脱出した状態」(=理想的な状態)とを比較しているがために、量的緩和は反生産的(counterproductive)との結論に陥りがちなんだろうワンね。

量的緩和の効果は限定的だった→金融緩和なんてしても効果はない」との主張をする人は、現実との比較対象として「デフレ不況から脱出した」理想的な状態だけを考慮に入れているというだけでなく、理想を実現できないような政策はすべてダメという態度も持ち合わせているんだろうワンね。オール or ナッシングということワン。

専門家にとっては量的緩和は実施しないよりはましだったなんてことは当然の前提で、その上で批判(日銀が実施した量的緩和以外に他にやり方はなかったのか?)や再批判が繰り広げられてるだろうワンけど、一般的なレベルでの議論を目にしているとこの点自体おさえられていない気がするワン。

量的緩和の効果は限定的だった→金融緩和なんてしても効果はない」という人もいわゆるリフレ派もともに「量的緩和を実施した現実」と「デフレ不況から脱出した状態」とを比較した上でそれぞれの主張を繰り出しているのだろうけど、両者の違いはおそらく「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」も比較対象に入れているかどうかなんだろうワン。

いわゆるリフレ派は、現実との比較対象として「デフレ不況から脱出した状態」だけでなく「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」も考慮に入れているがゆえに、対案として金融引き締めなんて馬鹿げたことを言わないんだろうワン。

量的緩和の効果は限定的だった」という同様の事実認識から「金融緩和なんてしても効果はない」との結論に行き着く人もいれば、例えばポーゼンのように「もっと積極的に量的緩和をすすめるべし」との結論に至ることもあるワン。

おそらくポーゼンも現実との比較対象として「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」と「デフレ不況から脱出した状態」とを同時に考慮に入れているんだろうワン。まずは現実と「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」とを比較した上で量的緩和の効果を認めつつ、現実と「デフレ不況から脱出した状態」とを比較した上で効果はあったけれども不十分だった→もっと積極的に金融緩和をすすめるべし、との結論に至ったんだろうワン。

今日もよくつぶやいたワン。気持ちよく寝れそうワン。おやすみワン。

おはようワン。時間的にはこんにちワンね。

反実仮想的な問いを立てて政策効果を評価することには既存の政策を正当化するための便法としても利用できるという厄介な面があるワンね。

もし我々が現在採用している政策を実施していなかったらどうなっていたでしょうか。・・・そう考えると確かに不十分な面もあったでしょうが、我々の対応は全否定されるべきことではないのではないでしょうか、と。

対して「もっとこうしておけばさらに効果があったはずだ」という主張は、仮想的な主張(=実際には実施されていない政策が実施されていたならば有していただろうと予測される効果に基づく主張)であり、反実仮想的な問いを立てて現実の対応を正当化する立場の人(政策当局)はその点を突いてくるワンね。

我々が現在実施した政策は、反実仮想的に考えたり、またその他の方法によっても、これだけの効果がありました。一方であなたの主張は、現実には実施されていないあくまでも推測に基づくものでしかありません。それゆえあなたが主張するような効果が顕在する保証もありませんし、もしかしたらあなたが意図しない効果、最悪の場合には事態をさらに悪化させかねない逆効果を生じさせる可能性もあります。というようなかたちワンね。

前例のないことはしない、という反論も↑の変種かもしれないワンね。

反実仮想的な問いに基づいて現実の政策対応を正当化する立場も一応仮想的な主張に依拠してるんだワンけどね。もし現在実施している政策を実施していなかったならばどうなっていただろうか、という仮想的な状況を想定しているわけで、その反実仮想的な想定が正しいかどうかは保証の限りではないワンね。

反実仮想的な問いに基づいて現実の政策対応を正当化しようとする際にはおそらく反実仮想的な状況を過度に悲惨な状況として描くという方向にバイアスがかかるだろうワンね。現在採っている政策を実施していなかったならば今頃は国家破たんの瀬戸際にいただろう、・・・とまで極端ではなくとも悲観的な方向にバイアスがかかるだろうワンね。反実仮想的な状況がダークであればあるほどそれとの対照で現実の状況を明るく描くことができ、それに付随するかたちで現実に採られた政策が高く評価されることになるワンね。