経済政策の反実仮想的な評価


昨日あたりからレギュラー先生がしきりに「ハンジツカソウ、ハンジツカソウ」と意味不明のことをつぶやいてらっしゃった。一体何をおっしゃっているんだろうと思ってつぶやきに耳を澄ましてみると「経済政策を反実仮想的に評価することの意味や問題」について語られているようだった。以下は聞き取れた範囲内でレギュラー先生のつぶやきをまとめたものである。

●J. Bradford DeLong, ”Slouching Toward Sanity”<http://www.project-syndicate.org/commentary/delong95

“It is worth stepping back and asking: What would the world economy look like today if policymakers had acceded to the populist demand of no support to the bankers? What would the world economy look like today if Congressional Republican opposition to the Troubled Asset Relief Program (TARP) program and additional deficit spending to stimulate recovery had won the day?”(ここでちょっと立ち止まって以下のように問いかけてみることは価値があるであろう。もし政策当局が銀行救済に反対するポピュリスティックな声にしたがっていたならば(=つまり銀行を救済していなければ)現在世界経済が置かれている状況はどうなっているだろうか? もし共和党による不良資産救済プログラム(TARP)への反対や景気刺激のための更なる財政赤字拡大への拒絶が受け入れられていたならば(=つまりはTARPが実施に移されず、また景気刺激のための更なる財政赤字拡大がなかったならば)、現在世界経済が置かれている状況はどうなっているだろうか?)


「もし現在採用している政策を採用していなかったとすれば(あるいは現在よりも規模が小さかったとしたら)どうなっていただろうか」という反実仮想的な問いを立てて政策効果を評価するというのはどうしても評価が甘くなりがちかもしれないけども、必要な問いかけだワンね。

日銀の量的緩和もそういう意味では効果はあったワンね(=政策金利をプラスの水準にとどめおくよりはましな対応だった)。だからと言って肯定しているわけではないワンけど。

反実仮想的な問いを立てて政策の効果を評価することの意味は、ミシュキンの懸念によくよく表れているワンね。<http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20090525#p1

量的緩和の効果は限定的だった→金融緩和なんてしても効果はない、という話はよく聞くワンけど、この反応は反実仮想的な問いを回避しているがために政策の負の側面ばかりが目についてしまっている結果だろうワンね。

量的緩和の効果を評価する際に「量的緩和を実施した現実」と「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」とを比較するのではなく、現実と「デフレ不況から脱出した状態」(=理想的な状態)とを比較しているがために、量的緩和は反生産的(counterproductive)との結論に陥りがちなんだろうワンね。

量的緩和の効果は限定的だった→金融緩和なんてしても効果はない」との主張をする人は、現実との比較対象として「デフレ不況から脱出した」理想的な状態だけを考慮に入れているというだけでなく、理想を実現できないような政策はすべてダメという態度も持ち合わせているんだろうワンね。オール or ナッシングということワン。

専門家にとっては量的緩和は実施しないよりはましだったなんてことは当然の前提で、その上で批判(日銀が実施した量的緩和以外に他にやり方はなかったのか?)や再批判が繰り広げられてるだろうワンけど、一般的なレベルでの議論を目にしているとこの点自体おさえられていない気がするワン。

量的緩和の効果は限定的だった→金融緩和なんてしても効果はない」という人もいわゆるリフレ派もともに「量的緩和を実施した現実」と「デフレ不況から脱出した状態」とを比較した上でそれぞれの主張を繰り出しているのだろうけど、両者の違いはおそらく「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」も比較対象に入れているかどうかなんだろうワン。

いわゆるリフレ派は、現実との比較対象として「デフレ不況から脱出した状態」だけでなく「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」も考慮に入れているがゆえに、対案として金融引き締めなんて馬鹿げたことを言わないんだろうワン。

量的緩和の効果は限定的だった」という同様の事実認識から「金融緩和なんてしても効果はない」との結論に行き着く人もいれば、例えばポーゼンのように「もっと積極的に量的緩和をすすめるべし」との結論に至ることもあるワン。

おそらくポーゼンも現実との比較対象として「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」と「デフレ不況から脱出した状態」とを同時に考慮に入れているんだろうワン。まずは現実と「量的緩和を実施していなかったならば実現していたであろう状態」とを比較した上で量的緩和の効果を認めつつ、現実と「デフレ不況から脱出した状態」とを比較した上で効果はあったけれども不十分だった→もっと積極的に金融緩和をすすめるべし、との結論に至ったんだろうワン。

今日もよくつぶやいたワン。気持ちよく寝れそうワン。おやすみワン。

おはようワン。時間的にはこんにちワンね。

反実仮想的な問いを立てて政策効果を評価することには既存の政策を正当化するための便法としても利用できるという厄介な面があるワンね。

もし我々が現在採用している政策を実施していなかったらどうなっていたでしょうか。・・・そう考えると確かに不十分な面もあったでしょうが、我々の対応は全否定されるべきことではないのではないでしょうか、と。

対して「もっとこうしておけばさらに効果があったはずだ」という主張は、仮想的な主張(=実際には実施されていない政策が実施されていたならば有していただろうと予測される効果に基づく主張)であり、反実仮想的な問いを立てて現実の対応を正当化する立場の人(政策当局)はその点を突いてくるワンね。

我々が現在実施した政策は、反実仮想的に考えたり、またその他の方法によっても、これだけの効果がありました。一方であなたの主張は、現実には実施されていないあくまでも推測に基づくものでしかありません。それゆえあなたが主張するような効果が顕在する保証もありませんし、もしかしたらあなたが意図しない効果、最悪の場合には事態をさらに悪化させかねない逆効果を生じさせる可能性もあります。というようなかたちワンね。

前例のないことはしない、という反論も↑の変種かもしれないワンね。

反実仮想的な問いに基づいて現実の政策対応を正当化する立場も一応仮想的な主張に依拠してるんだワンけどね。もし現在実施している政策を実施していなかったならばどうなっていただろうか、という仮想的な状況を想定しているわけで、その反実仮想的な想定が正しいかどうかは保証の限りではないワンね。

反実仮想的な問いに基づいて現実の政策対応を正当化しようとする際にはおそらく反実仮想的な状況を過度に悲惨な状況として描くという方向にバイアスがかかるだろうワンね。現在採っている政策を実施していなかったならば今頃は国家破たんの瀬戸際にいただろう、・・・とまで極端ではなくとも悲観的な方向にバイアスがかかるだろうワンね。反実仮想的な状況がダークであればあるほどそれとの対照で現実の状況を明るく描くことができ、それに付随するかたちで現実に採られた政策が高く評価されることになるワンね。