歴史の教訓

東西冷戦の終結に伴い、東側諸国が次々と世界経済へと参入した結果として(あるいは技術革新の著しい進展によってというパターンもあり)世界的な過剰供給状態に陥った。安価な労働力を背景とした中国による輸出攻勢を主力として割高な日本の物価が国際経済の標準的物価体系へと収斂してきている。アメリカというお手本を模倣していればよかったキャッチアップ段階においてはその優位性を発揮した日本型と形容される諸経済制度も、自分自身の力で次代の経済像を創造していかねばならぬ今後においてはそのままでは通用しない。

「デフレ」は経済環境の「構造的な変化」の結果として不可避的な現象なのであり、この「デフレ」経済に適応するためには日本経済のあり方を根本から変えなければならない。日本経済の「構造」を改め、世界経済の「構造的な変化」に対応した姿に変わらなければならない。財政・金融政策のような「小手先の」総需要喚起策は、一時的な気休めにしか過ぎないのであって、底流で進行する「構造的な変化」の圧力を押し止めることはできない。日本経済の「構造改革」はいつの日か必ず実施せねばならないことであり、その過程で生じる「痛み」を恐れていつまでも逃げ続けているわけにはいかないのだ。

現在の日本が経験しているデフレは実に70年振りの出来事である。70年前といえば2世代以上前の時代である(1世代が正確に何年にあたるかはわからないが)。当時の記憶が薄れ風化していくには十分な時間が経過している。我々が現在体験している出来事は未曾有の事態であり、これまでのやり方では通用しない(あるいはデフレを想定していないこれまでの経済学は何の役にも立たない)とつい感じてしまうのも仕方がないのかもしれない。いや、70年振りであること自体が非常事態であることの証左と考えてしまうことにつながるのだろう。デフレは必然的な現象であり抗うことはできないのだ、とデフレを絶対視してしまう気持ちもわからないではない。しかしながら、「歴史の教訓」は「小手先の」総需要喚起策によってデフレから脱出することはできるし、「痛み」に耐えなくともデフレを回避することが可能であることを示している。「歴史の教訓」を無視して無用の「痛み」に苦しまないために、薄れた記憶を掘り起こしデフレという経験を相対化する必要がある。

第4回読売・吉野作造賞を受賞した『経済論戦は蘇る』の著者である竹森俊平教授が総合雑誌『月刊 現代』において「世界デフレは三度来る」という連載をしておられた。19世紀後半の「ヴィクトリア朝デフレ」(「金・銀問題調査委員会」におけるマーシャルの貨幣制度改革案(イギリス)、「1873年の犯罪」「金の十字架演説」(アメリカ)、「松方デフレ」(日本)等のトピックを扱い、英米日のデフレ体験を取り上げる)と1930年代の世界恐慌井上準之助とストロング・ノーマン・ラモントら国際的な銀行家との触れ合いを軸に議論を展開)という歴史上の世界的なデフレ体験を、「その時代を生きた人間の姿」を前面に押し出すことで、実に活き活きと、臨場感溢れる描写により再現している。中央銀行の行動ルールとしての「マーシャル・ルール」(公開市場操作による物価安定を提案)、シュンペーターによる「金本位心性」についての記述の紹介(田中先生のブログコメント欄参照)、「オズの魔法使い」に秘められた意図、高橋是清清朝の貨幣改革に尽力した張之洞との対話、福沢VS松方etc興味の尽きない話題が満載であり、歴史を学ぶことの楽しみをしみじみと実感させられる。

その中でも特に「貨幣制度調査会」(「松方デフレ」期の日本)での経済学的な認識に基づいた議論のレベルの高さには仰天した。竹森教授によって「構造デフレ」論への「過去からの反駁」として引用されている貨幣制度調査会報告書を孫引きしておこう。

あるいは金貨国における物価の下落を解釈するに他の一説をもってするものがある。いわく、学理の応用、機械の発明、交通の発達等は、大いに生産費用を削減し、生産を増加したことは間違いないから、最近物価の下落したのも主にこれが原因ではないかと。・・・(学理の応用etcは)とくに最近二十余年間に限られるものではなくて、その以前からも生産は、どんどんと増加していたことは疑いがない。いわんや、物価がいちじるしく下落したのは、最近3年間のことであり、この3年間に学理の応用、機械の発明等がいちじるしく進歩した事実がないことも論を待たない。(『月刊現代』2003年10月号、p216)

そして、(金本位国での)デフレは普仏戦争での賠償金を元手としたプロシア金本位制への移行を契機とするScramble for Goldの結果としての金への相対的な需要増加/金生産に比しての銀生産の相対的な供給増、によって発生した「金高・銀安」の傾向が原因であるとの結論に至り(デフレは金融的な現象であるとの認識)、「金高・銀安」が生むインフレ・デフレがマクロ経済へいかなる経済効果を及ばすかについても仔細に検討している。

ケインズとほぼ同じことを言っている者」として紹介されている貨幣制度調査会のメンバー・益田孝の言葉も引用。

世界の貨幣制度が金銀の両金属を使用している間は、どの国も貨幣価格の変動とそれから生じる経済困難を免れることは決してできない。時には金の産出が大きく増加することがあり、また時には銀の産出が増加することがある。それだけではなく、ある国が事情によって金貨本位制度を採用し、そのために一時的に金の需要が増加することもある。そうかと思えば、銀の生産がどんどん増えて、そのために本位通貨を変更しようとすることもある。このような事情が重なれば、金銀価格に変動が生じてくることは、これまでの歴史データからして明らかなことであって、今後も二つの金属が貨幣であるかぎり、いつまでたっても、その価格変動を防ぐことができないことは、はっきりしている。・・・世の論者がいろいろと議論して、一つの金属を本位通貨にしろと提案をする場合にも、結局はその時の状況によってその結果が良く出るかどうかが決まるのであって、決して普遍的に最善な通貨制度というものがあるわけではない。(同上、p225)

「歴史の教訓」としては....

1.デフレは貨幣的現象である(あった)

2.「構造的な変化」を経ずともデフレから脱却可能(だった)・・・南アフリカでの金鉱発見と青酸カリを使った抽出法の適用による金生産の増加→(金本位国における)金融緩和と同値

3.金・銀の価格変動という偶然的な要因に左右されるような貨幣制度は避けるべき

(4.政府の調査会の場において経済学的な認識に基づいて議論が展開されていたこと(教訓というか驚きないし羨望))  

70年前どころか一世紀以上前の「歴史の教訓」について長々と書いてしまった。昭和恐慌については機会があれば、というよりも『昭和恐慌の研究』を参照。お金をもらってるわけではありませんので 笑。