裁量と規律の間

表題からdiscretion、rule→time inconsistencyと連想した方は早とちり。話は70年前に遡ります。ネタ元は以前紹介した竹森教授の「世界デフレは三度来たる」(講談社BIZより間もなく刊行予定。の二巻組み)。

深井英五。1901年に日銀に入行し、1922年に開かれたワシントン会議ジェノバ会議に出席した際には日銀理事という肩書きを持っていた。ジェノバ会議で「金本位制へ復帰する」という国際公約をしたことが、後々日本が旧平価での金解禁へと追い込まれていった一つの要因であるといわれるが、このジェノバ会議の最終決議の起草に関してその背後で深井の働きかけがあった。

「審議の対象になったところの新規考案は、趣旨において金本位制の本質を動かすものではないが、言葉の上において、金本位制を大々的に改造し、これによって実行上の困難を除去することができるような印象を与える懸念があった(イギリス政府の要求はケインズの新平価での金本位制復帰という意見に沿うものであった:引用者)。それでは通貨政策上の心構えを妥当な方向に転換させる効果が少ない。また、誤解により安易に金本位制の再建に着手して頓挫する恐れもある。そうであるために、私は決議案全部にわたり出来るだけ言葉の調子を改めることを希望した。・・・審議中の案文には、切り下げ(新平価の採用:引用者)それ自体を良いこととして推奨するようなきらいがあった。その結果、容易に切り下げを行うことを問題としないような風潮が生まれるならば、一旦金本位制を再建しても、これについての信用を確保し難い。」(『月刊現代』2004年8月号、p260、深井『回想70年』からの引用)

平価の切り下げを安易に認めてしまえば「通貨政策上の心構えを妥当な方向に転換させる効果が少ない」。金本位復帰は旧平価で断行されねばならない。ジェノバ会議での国際公約(そしてその後の金解禁)は、外圧の結果というよりはむしろ日本自ら(深井の画策)が蒔いた種だったのである。

深井のこの言葉だけを見れば、一見金本位心性に浸りきった頑固者の発言(ハーディング米大統領の「正常に帰れ」(come back to normalcy)という一語に集約される考えに似てなくもない)のようにも思われる。しかしながら、深井の視線ははるか遠くを見据えてた。再び深井の言葉を引用(あまりにも長々と引用しすぎて申し訳ない気持ちもあるが)。

金本位制は、通貨の状態を堅実に維持するには適当な制度であったと思われるけれども、通貨発行の条件が窮屈で、融通性が少ない。・・・(金本位制崩壊後:引用者)多数の国において通貨の発行が無軌道に陥り、国内経済の不安定と国際為替の混乱とを招来した。この状態を正常に戻すと同時に、従来の金本位制の窮屈を免れる手段はないだろうかという一般の希望に併行して、通貨理論の研究と新貨幣制度の工夫とが行われたのである。・・・金本位制の束縛がないのに乗じて、目前の便宜のために通貨の発行を放漫にする風潮が生じたのであるが、これを妥当に節約するための新制度も案出されず、単に節制の必要を説いてもその規準を示すのでなければ効果がない。そうかといって、金本位制への復帰はなかなか容易ではない。ただ金本位制を信頼し、その回復を希望する一般の感想はすこぶる濃厚に存在していたから、金本位制への復帰を通貨整理の目標として掲げて、これに向って準備を進めることにするならば、それが一つの規準となって、自然に通貨の発行に制限が加えられるだろう。放漫な通貨の発行を要望するものに対しては、それが金本位制回復の準備と相容れないものだという理由によって了解を求めることもできるだろう。しかしながら本当にやむをえない場合には、その方針から外れることができる融通性も残っているから、実情に応じて妥当な通貨政策の実験をなし得るだろう。このような目的をもって金本位制への復帰を標榜するには、目前の便宜のためにその緩和改造を工夫するよりも、一応厳格な金本位制を目標としたほうがよろしかろう。」(同上、p255〜256)

竹森教授はこの一連の深井の発言を以下のように解釈する。金に束縛されない現状の放漫な通貨発行を抑制するために「金本位制への復帰」という規準を立てておく(更なる通貨発行を要求する者に対して「金本位制回復の準備と相容れないものだ」として拒否するための道具立てとして利用)。しかしながら金本位制は「通貨発行の条件が窮屈で、融通性が少ない」。完全な裁量でもなく完全な規律でもない、ほどほどの裁量(「本当にやむをえない場合には、その方針から外れることができる融通性も残っているから、実情に応じて妥当な通貨政策の実験をなし得るだろう」)とほどほどの規律を通貨発行(金融政策)に課すためにあえて「金本位制への復帰」というスローガンを利用する。金本位制へ復帰する気持ちなどさらさらないにもかかわらず(ジェノバ会議での深井の画策の意味もこの文脈において新たな観点から理解されるようになる。「「新平価」では、「誤解により安易に金本位制の再建に着手して頓挫する恐れもある」・・・逆に言えば、めったなことでは「金本位制」を本気で採用しようなどと思わないように、「金本位制」を採用するためのハードルをうんと高くするのである。なぜ、「金本位制」を採用してはいけないのか。それは、深井が「通貨発行の条件が窮屈で、融通性が少ない」と、金本位制についてネガティブな評価をしているためかもしれない。」(同上、p261))

実に狡猾で、政治的な駆け引きに長けた人間である。世間一般の「金本位心性」をうまく利用して「金本位制への復帰」という政治課題への賛同を集めておきながら、自分自身の手により金融政策の手を縛りすぎてしまう「金本位制」への復帰の道を閉ざしておく(実際には金の縛りを求めて日本はデフレへの道を突き進んでいくことになるが)。インフレーション・ターゲティングの意図を先取りするものといえば言い過ぎになるが、政策の裁量と規律の間のバランスに配慮する気配りの先見性についていくら強調してもしすぎることはなかろう(竹森教授の解釈が卓越したものであるのかもしれないが)。