諸々の「ケインズ革命」

根井雅弘著『「ケインズ革命」の群像』を読む。

1936年以前に経済学者として生をうけていたことは幸いであった―然り。しかもあまりにも以前に生まれていなかったことが!

暁に生きてあるは幸いなり

されどその身若くありしは至福なるべし

『一般理論』は、南海島民の孤立した種族を最初に襲ってこれをほとんど全滅させた疫病のごとき思いがけない猛威をもって、年齢35歳以下のたいていの経済学者をとらえた。50歳以上の経済学者は、結局、その病気にまったく免疫であった。時がたつにつれ、その中間にある経済学者の大部分も、しばしばそうとは知らずして、あるいはそうとは認めようとはせずに、その熱に感染しはじめた。(p12)

サミュエルソンケインズ『一般理論』に接した若かりし日の衝撃を熱っぽく語った有名な言葉(とある評論家氏によれば、時代が停止したような紋切り型の表現であり、あまりに陳腐な修辞であるそうだ(「南海島民の〜経済学者をとらえた」の件を指して)。宇沢弘文教授の言葉と勘違いなさっているようで、いらぬ批判をうけた宇沢教授はこの怒りの矛先を一体どこに向けたらよいのでしょうか。宇沢『経済学の考え方』と同時に取り上げられている間宮陽介『ケインズハイエク』は「新書にしては一見とっつきが悪いが、文章の密度にムラがなく、著者の意気込みも十分に読み取れる」(p85)と好評価。宇沢本は間宮本と対照的とのこと)。

「正統派(古典派)経済学」への徹底的・根源的な批判を意図したケインズ『一般理論』は若き経済学徒から(サミュエルソンに限らず)熱狂的な支持をもって迎えられた。大恐慌という現実の苦境を目の前にして何らの解決策を提示しえない正統派に対する鬱憤を募らせていた経済学者の卵たちにとって、不況の発生メカニズムの説明とそれへの処方箋を用意しているかに見えたケインズ『一般理論』は一つの福音のように感じられたからである。

十人十色と言いますが(10人の経済学者が一堂に会して経済問題について議論すると11個の処方箋が提示されるようですので十人十一色がヨリ正確でしょうか。経済学にまつわる迷言についてはhttp://www.econ.kobe-u.ac.jp/~koba/econ/ejoke.htmも参照のこと)、ケインズ解釈も人によりけり多種多様です。時代や場所が異なれば一層そうなります。各国ないしは各地域におけるケインズ解釈の具体的な有り様(加えて簡潔に定式化(体系化)されたケインズ像への反発やケインズその人に対する反論も含む)を辿っていく。これが本書の主旨となります。主な舞台はアメリカ(ハーバード)とイギリス(LSE(ロンドン)、ケンブリッジ)。

サミュエルソンが乗数分析(貯蓄・投資による所得決定理論)や新古典派総合をケインズの真髄として強調すれば、J.ロビンソンが雇用の質を(「経済学の第二の危機」)、ガルブレイスが需要の質(「依存効果」、「社会的バランス」の欠如等)を問題にする(スウィージーシュンペーターもでてきます。「理論と実践は区別すべきとの信念を持つ」シュンペーターと「時論を書き続けることによって理論を研磨した(理論と実践が手を携えている)」ケインズとの相容れない性格(体質)等)(アメリカ)。徹底した新古典派経済学の教育を受けたカルドアのケインズ派への転向(分配の限界生産力説からケインズ乗数理論を基礎とする分配理論へ)があれば(ロビンズの後年における自己批判も)、ハイエクは集計量で経済分析を行う道を切り開いたケインズを批判する(LSE)。ケインズピグーの対立(公共投資の割り当てに関する考えの相違・不確実性の見方の違い等)、『貨幣論』を執筆するにあたって大きな影響を受けたロバートソンからの離別(利子論を巡る対立(貸付資金説(フロー)VS流動性選好説(ストック)))、そしてヒックスによるIS-LM図とパシネッティ・シャックルによる批判(ヒックスはLSEに含めるべきか)・・・(ケンブリッジ)。『一般理論』の同時発見者としてのカレツキー(ヒックスの伸縮価格/固定価格市場という市場類型認識はカレツキーの「需要によって決定される価格」/「費用によって決定される価格」の区別に触発されたものとのこと)、ケインズの弟子としてのJ.ロビンソン・カーン・ハロッドについても触れられております。

興味深い記述を一つ二つ引用。

新古典派総合は、完全雇用の達成を目標としただけではない。それは、さらに、完全雇用を達成した後でも、緩和的金融政策によって投資を拡大するとともに、緊縮的財政政策によってインフレーションを抑制しながら経済成長率を高めていくことをねらっていた。・・・(以下はサミュエルソンの言葉;引用者)「新古典派総合の結果の一つは、現代社会は、拡張的貨幣政策をとりながら、他方ではディマンド・プル・インフレーションをさまたげるために十分厳格な財政政策を採用することによって、資本の深化を導きだし、これにより完全雇用点における成長率を高めうるという楽観的な見解である。要するに、これらの施策を結合させれば、完全雇用所得のなかの消費部分を引き下げながら、しかも完全雇用自体をおびやかさないことも可能であろう」(p28)

・・・留意しなければならないのは、ケインズによる客観的経済法則の発見という場合、それが経済全体のスケールで集計された経済数量・・・の間の因果関係の発見だということである。・・・ミクロの経済主体の行動が多様であるとしても、そうした個々の経済主体の行動の合成量は単一の客観的な数量である。それは個々の経済主体の意思の産物であるが、そうした個々の意思から独立した数量である。ケインズの発見した客観的経済法則とは、こうした集計量の間の法則なのである。(p80)

ヒックスIS-LMに対するシャックルの批判(不確実性の無視)について(そしてこの批判を念頭においての「IS-LMは過去の説明のためにのみ限定して使うべきだ」というヒックス発言)は後ほど書く予定。