構造改革のミソ

数年前の某缶コーヒーCMだったと思うが、その中でダウンタウン松本人志が何気なく語っていた言葉が今も記憶に残っている(松ちゃん自身が考えたかは知らないが)。       

構造改革のミソはなぁ、「構造を改革する」ことにあるのであって、「改革を構造する」ことではないんだな〜。

正確な口調まではさすがに忘れたけれども、内容に関しては大きくは違っていないと思う。

第一に問われるべきであり、また忘れてならないのは何のための改革か、ということである。構造改革の目的が資源の効率的な配分を促進し、経済の潜在的な(長期的な)成長力を高めることであるとすると、改革に着手する以上は資源配分の歪みを生んでいる「構造」を特定し、改革の結果としてその資源配分の歪みが解消されることを示さなければならない。“これまで誰も成し遂げられなかったことをやってのけたのだ”、“強い抵抗を跳ね返して苦心の末に改革を実現させたのだ”、とあたかも改革することそのものに意味があるとでも言わんばかりに、「改革したという事実」に焦点を当てその事実を誇示するというのは本末転倒の事態である。改革はあくまで手段なのであり、改革自体が自己目的化してしまってはならない。誇示すべきは改革の成果なのである。「改革を構造する」という意味での「構造改革」は本来的な意味での構造改革とは言えない。                           

さて郵政民営化である。郵政3事業のうちここでは郵貯について取り上げたい。といっても私が語ることができるのはごくわずか、いや何もないと言ってもよいかもしれない。“韓流好き田中VS高橋ヴェーダー卿”というリフレ派内部での激論に何をか付け加えようとしたところで、私の能力から鑑みるに無理がある。ただ、両者ともに現時点において(財投改革後の)郵貯の存在が歪んだ資金配分をもたらしてはいないという点では一致しているようだ。また、政府介入を許すような市場の失敗が存在するわけでもないみたい(市場の失敗がないのであれば政府は手を引きなさいということになるんだろうが、現状でも特段問題は見出せない。害もなければ益もない。単純に必要ないんじゃないだろうか)。存在しても存在していなくてもどちらでもかまわない存在。なら廃止してしまえ、というのは短絡なのだろうか。

一体郵政民営化の目的は何なのだろうか? 目的なしの改革は「改革を構造する」ことなのではないのか。新規の事業に乗り出さなければ赤字に転落してしまうような事業体をなぜ民営化してまで残す必要があるんだろうか。もしかしたら民業圧迫郵政民営化の目的なのか。金融業界における競争を活発にして・・・・という話なのかしら? ということは競争制限的な規制は依然健在なのであろうか。財政赤字の縮小・小さな政府の実現なんて話もあるようだけど、果たして郵政民営化がその手段として適当なんだろうか。疑問は尽きない。郵政民営化の目的が見えてこない。一体目的は何なんだ。

「情けは人の為ならず」や「流れに掉さす」という諺がえてして逆の意味に取り違えられることがあるように、「創造的破壊」という言葉もシュンペーター自身の意図とは正反対の意味を含ませて語られることがある。シュンペーター自身は、新結合による革新者の新規参入(創造)がそれまでの経済構造のあり方(均衡下にある市場、循環)を変容させる(破壊)という意味で「創造的破壊」―創造の過程において旧来の伝統なりが破壊されていく―という言葉を使っていたはずである。まず創造ありきである。しかしながら、破壊の中から創造が生まれるという意味で「創造的破壊」が―破壊したあとに創造が生まれる―持ち出されることがある。旧弊を破壊せん、さすれば何か生まれよう。バクーニンもどきの言説に他ならない、とかの西部翁は語っている

「改革を構造する」構造改革には、破壊ありきの「創造的破壊」の精神と一脈通じるところがあるのかもしれない。現状を変えれば何とかなる、改革/破壊がその後よい結果を生む(に違いない)。希望的観測の吐露にしかすぎない、無責任な考えだと感じるんだが。郵政民営化に関しては某首相の自己満足のような気もするけど。