ケインズ革命の弊害


Milton Friedman(1968)、“The role of Monetary Policy”(American Economic Review, Vol.58(1))


(ヴィクセルの自然利子率概念にヒントを得て)自然失業率なる概念が初登場する論文(=アメリカ経済学会会長講演)。フリードマン, カルドア, ソロー/新飯田宏訳『インフレーションと金融政策』(日本経済新聞社, 1972年)に邦訳されたものが所収・・・のはず(手元にないんで断言はできませんけれども)。本論文の導入部において論じられている金融政策への評価の変遷について少しばかりまとめておこうかと(保坂直達訳『インフレーションと失業』(マグロウヒル好学社, 1978年)所収の「第3講 貨幣的経済理論における反革命」は以下の議論と補完的な内容となっております)。


インフレーションと失業 (1978年)

インフレーションと失業 (1978年)


金融政策の(経済安定化の手段としての)有効性については、時代ごとに―振り子が大きく左右に振れるごとく―両極端の見解が大勢を占めるに至ってきた。金融政策の万能性を喧伝する意見が多数の支持を勝ち得たかと思うと、金融政策の無効性を弁じたてる主張が説得的なものとして受け入れられるようになる。1920年代のアメリカ経済の未曾有の繁栄はFRBによる巧緻な(あるいは時宜を得た)金融政策の賜物であり、今や(知識と経験を備えた(有能な)FRBによる金融政策運営を前提する限り)景気変動は過去の遺物と成り果てたのだ、との強気の声も1930年代の大不況を経験するや一転して悲観的な物言い―「金融政策は紐のようなものであり、紐は引く(=景気の過熱を抑えるあるいはインフレの加速を抑止する)ことはできても押す(=景気停滞から経済を救い出す)ことはできない」and「馬を水飲み場まで連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」―に取って代わられることになる。戦後20年間は金融政策の(景気安定化手段としての)無効性が当然視された時代であり、金融政策の役割は国債の利払い費を抑え(あるいは国債の価格を維持するために)、また金利生活者の安楽死に寄与するために利子率を低位に安定させること(=cheap money policy)に限定された。しかしながら、各国におけるcheap money policyの採用は過剰な流動性の供給を結果し、(戦間期のように失業や不況ではなくて)インフレーションが戦後経済の主要課題であることが明らかになるにつれて金融政策のポテンシャル(マクロ経済へ与えるインパクト)に関する見直しの機運が生じ始めてきた。振り子が逆方向に(1920年代の方向に向かって)振れつつあるわけである。金融政策が一切無効であるということが誤りであるのと同じく、1920年代に信じられていたように金融政策によれば何事でも可能であるかのように論じるのもまたあまりに単純過ぎる見方である。「我々は金融政策にそれがなしうる以上の役割をあてがう危険に、またそれが解決できそうもない課題を押し付ける危険に、そしてその結果としてそれが本来なしうる貢献を阻害してしまう危険に、直面している(we are in danger of assigning to monetary policy a larger role than it can perform, in danger of asking it to accomplish tasks that it cannot achieve, and as a result, in danger of preventing it from making the contribution that it is capable of making.(p5))」。金融政策への過剰な期待を戒めるために、ここで金融政策にできること/できないことを慎重に議論しておく必要がある。不毛な議論を繰り返さぬためにも、また(金融政策への見解が右往左往することによって引き起こされる)マクロ経済の無用の混乱を予防するためにも、振り子の振れすぎは是非とも食い止めておかねばならない。

この流れで金融政策にできないこと=名目金利/失業率を一定の値に(自然利子率/自然失業率以上or以下に)ペッグすること(インフレないしデフレの加速なしにはペッグし続けることはできない)が後半で論じられるわけですが*、ここでは1930年代以降60年代頃までに支配的であった金融政策無効説の普及に果たしたケインズ革命の役割についてちょっとだけメモ。

ケインズないし彼の追従者たちによれば、1930年代の大恐慌は投資機会の消失(a collapse of investment/a shortage of investment opportunities)ないしは消費の節制(stubborn thriftiness)を原因とする総需要(有効需要)の収縮の結果として引き起こされたものであり、金融政策では対処不可能な事態であったとする。というのも、流動性の罠に陥っている(=貨幣の投機的需要が無限大)状況下においてはもはや金利を引き下げることができず、百歩譲って金融緩和の結果として金利が引き下げられたとしても設備投資や消費は金利に対して不感応的(金利が低下しても設備投資や消費はそれほど刺激されない)であると彼ら(Hansenをはじめとするアメリカン)ケインジアンは考えたからである。設備投資・消費の不足を補うために彼らが主張した代替策はというと・・・、そう財政政策である。政府支出(公共投資)により民間による設備投資の不足を補い、また減税により消費を喚起することによって有効需要の維持に努めるべきである。

ケインズ革命は金融政策無効説の理論的根拠となることによって各国によるcheap money policyの採用を後押しした。そしてcheap money policyこそがインフレの加速を招いた、とフリードマンは主張するわけであるから、戦後世界におけるインフレの蔓延=ケインズ革命がもたらした弊害と認識していることになりますか(こちらも参照)。

もう一つ。大恐慌理解に果たしたケインズ革命の弊害というのも考えられる。ケインジアンによれば、大恐慌はアグレッシブな金融政策ににもかかわらず引き起こされたものであり、金融政策の無効性を例証するまたとない事例と考えられた(Keynes and most other economists of the time believed that the Great Contraction in the United States occurred despite aggressive expansionary policies by the monetary authorities― that they did their best but their best was not good enough.(p3))。しかしながら、実際には大恐慌の期間中(1929〜1933年)マネーサプライは3分の1も減少していたのであり、FRBによる金融政策はアグレッシュブどころかむしろ(マネタリーベースの供給を制限し、また金融システム危機に対処するための流動性供給の役割を放棄したわけであるから)デフレ促進的であったとさえ言い得るわけである。大恐慌は金融政策の無効性を実証するものではなく、反対に金融政策がいかに強力なインパクトを持ちうるのかをまざまざと知らしめる悲劇的な歴史的証言なのである(The Great Contraction is tragic testimony to the power of monetary policy― not, as Keynes and so many of his contemporaries believed, evidence of its impotence.)。金融政策が大恐慌に果たした(原因としての、またはそこからの脱出策としての)役割について一般にそれほど知られていないのもケインズ革命の影響によるところと言えるのかもしれない。

*一点だけ引用しとこう。

As an empirical matter, low interest rates are a sign that monetary policy has been tight― in the sense that the quantity of money has grown slowly; high interest rates are a sign that monetary policy has been easy― in the sense that the quantity of money has grown rapidly.・・・Paradoxically, the monetary authority could assure low nominal rates of interest― but to do so it would have to start out in what seems like the opposite direction, by engaging in a deflationary monetary policy. Similarly, it could assure high nominal interest rates by engaging in an inflationary policy and accepting a temporary movement in interest rates in the opposite derection.(p7)

名目金利が低い水準にあるのは、それまで引締め気味の金融政策が実施されてきた結果であり、金融が緩和されている証拠では必ずしもない。逆に名目金利が高水準にあるのは、これまで緩和気味の金融政策が実施されてきた結果であって金融が引き締められている証拠とはならない。金融緩和により当初は金利は下落するであろうが、金融緩和の効果が浸透するにつれ徐々に(所得増加による貨幣需要増加の結果として、物価上昇による実質貨幣残高減少の結果として、また期待インフレ率の上昇の結果として)名目金利は上昇していく(金融引締めは当初は金利を引き上げ、その後徐々に金利は下落してゆくことになる)。現時点における名目金利水準が金融政策のどの時点における効果を反映しているかを判別することは困難であるため、 名目金利を金融政策運営上の指標とすること(名目金利の高低を金融が緩和されているかそれとも引き締まっているかの判断材料とすること)は危険である。