「市場の失敗」は政府の介入が正当化されるための十分条件か?


レギュラー先生のつぶやきというよりは、レギュラー先生経由で聞いたブキャナン(James Buchanan)のつぶやきですが。

“It is to act like the judge who awarded the prize to the second singer after he had heard only the first. ”(by James Buchanan)

「「市場の失敗」が存在するからという理由で直ちに政府介入を正当化することは、歌のコンクールにおいて一人目の歌声を聴いた段階で(残りの候補者の歌声を聴くことなく)残りの候補者に賞を与えるようなものである。」

「市場の失敗→政府介入」と速断することは、1人目の歌があまりうまくないからという理由で2人目の歌唱力を試すことなく2人目の候補者に賞を与えることと違わないということワンね。「市場の失敗」の解決を政府に委ねたからといって、政府が「市場の失敗」を是正する適当な能力やインセンティブを備えていなければ、「市場の失敗」を放置した場合よりも事態は悪化する可能性もあるワンね。2人目の歌を聴いた上でどっちが歌がうまいかを判断すべきであるように、政府のパフォーマンスを調べた上で(あるいは所与の制度環境の下で政府介入がどのように機能するかを推測した上で)「市場の失敗」を政府に委ねるべきかどうかを判断しないといけないワン。
ちなみに、ブキャナン=タロック著『合意の計算』の中では、レントシーキング等による「政府の失敗」がないとしても「市場の失敗→政府介入」ということが必ずしもいえないということが、集団的な意思決定に伴う相互依存費用(interdependence costs)の比較という枠組みを用いて論じられているワン。