ケインズも仰せのように「長期的にみると、我々はみな死んでしまう」んだよ


●Paul Krugman, "In The Long Run, We Are Still All Dead"(Paul Krugman Blog, June 25, 2010)

Mohamed El-Erianの記事を読んだんだけど、彼が一体何を言わんとしているのか理解しかねてちょっと当惑してしまっている。彼が推奨しようとしている政策は正確なところ一体何なんだろうか? ともかく、私を当惑させている話はこういうことだ。彼は次のように書いている。

今や世界は深刻な構造問題に直面しつつある。しかしながら、各国のリーダーたちは短期的、循環的なものの見方に固執したままである。

全く同意しないね。どちらかというと、各国のリーダーたちは彼が指摘しているのとは正反対の問題に頭を悩ませているようだ。ドイツのお偉方に対して彼の国の高失業や眼前に立ちはだかるデフレの脅威といった(短期的、循環的な)話題を持ちかけたら、人口問題や年金のコストといった(構造的な)話題についてとりとめもなく話し出すことだろう。

とどのつまり、なんで景気循環の問題に関心を向けちゃだめなんてことになるんだろうか? 我々は今日に至るまで大不況(Great Depression)以来最悪の景気後退に苦しめられてきている。失業や産出ギャップで測ると、失地の回復からは程遠い状況だ。総需要不足が原因で、働く意欲のある何百万人もの労働者たちが失業状態にとどめ置かれている。彼ら労働者を失業状態のままに放置し続けておけばやがては長期的な構造問題に発展することだろう。しかしながら、今この現時点では数多くの労働者たちを苦しめている失業はまさしく短期的な循環問題に他ならないんだ。

「我々は長期的な問題に集中する必要があるのであって、大不況以来最も高水準の長期的な失業率のような取るに足りない短期的な問題に頭を悩ます必要なんてない」との発言は一見すると賢明な物言いのように聞こえる。でも実際のところはそんなものは馬鹿げた物言いでしかないんだ。

おっと、あともう1点だけ指摘しておきたいことがあったんだ。ただし、El-Erianの記事に関してじゃなくて、数多くの政策当局者や経済学者たちに向けてだけど。短期的な問題から(長期的な問題へと)議論の焦点をシフトさせようと試みることは、よく言われるように、勇気あるビジョンに基づく行いなんかじゃない。その反対で、(短期的な問題から(長期的な問題へと)議論の焦点をシフトさせようと試みることは)我々が解決し得たにもかかわらず解決しないことを選択した悲惨な状況に対する責任を回避しようとする臆病な行いなんだ。

ケインズが正しくも指摘しているね。

しかしながら、この長期なるものは現下の問題に取り組むにあたってはミスリーディングな指針である。長期的にみると、我々はみな死んでしまう。 嵐の最中にあって、経済学者に言えることが、ただ、嵐が遠く過ぎ去れば波はまた静まるであろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛なく無用である。

(追記)後日、道草サイトに転載予定。


(追々記)以下は必読。

●abetchyさん訳, "「第三の大恐慌」 ポール・クルーグマン NYT"(Abetch, 2010年6月28日)