微修正マネタリスト・サムナーに対する異議申し立て
●J. Bradford DeLong, “In Which I Protest at a Little Monetarist Revisionism by Scott Sumner…”(Grasping Reality with Eight Tentacles, February 13, 2011)
スコット・サムナー(Scott Sumner)がこんなことを書いている。
隙間なんて気にするな(Don’t mind the gap)
哲学の分野で「隙間の神」(“god of the gaps”)として知られる話がある。科学は大半の現象を説明することができるが、科学をもってしてもどうしても説明できないように見える出来事も中にはある(生命の起源や宇宙の起源、自然法則、モーガン(Morgan)のコメント、その他諸々)。そのような出来事は神のせいに違いない、というものである。先日のこのエントリーでも触れたように、ここ最近ケインジアンらはこの「隙間の神」と同様の議論を財政刺激策に対しても用いようとしているのではないか、と私の眼には映る。1990年代までであれば、大半のマクロ経済学者は名目支出の期待水準に変化が生じたとすればその原因を金融政策に求めたものである。そしてこのことは同時に、財政政策を経済安定化政策の枠内において4輪自動車の5番目のタイヤみたいなもの、つまりは余分なものとして位置付けることを意味してもいた。しかし、ここのところの経済危機をきっかけとして、「ゼロ金利制約に直面した金融政策は無効である」と主張すると同時に経済安定化政策としての財政刺激策の復権を試みるケインジアンがいくらか現れてきている。準マネタリスト(quasi-monetarists)のグループが非伝統的な金融政策の存在を指摘すると、ケインジアンらはこう反論する。「非伝統的な金融政策が効果を持つとすれば、それはその政策が人々から信頼あるものとして受け入れられる限りにおいてである。マーケットは中央銀行の「インフレーションを起こします」という約束を信じるようには思えない」、と。それに対して準マネタリストの面々がこう返す。「マーケットがQE2(第2弾の量的緩和)の噂(近々QE2が実施されるかもしれないとの噂)に対して見せた反応は、まさに政策が信頼あるものとして受け入れられたことを暗に示すかのような反応だったんだけど・・・」。こうして再び、ケインジアンの勧める財政刺激策が経済安定化に果たす役割は何もなくなったかのように見えるのであった。サムナーのこの議論を私が理解した(今でもそう理解しているが)かたちで説明し直すと、以下のようになろうか。
マネタリストは、貨幣数量説(交換方程式)に基づいて、名目貨幣ストック(M)と経済における名目支出の水準(PY)との間の関係を以下のように描写する。
PY = M × V(i) [貨幣数量説(交換方程式)]
ここでVは貨幣の流通速度を表している。Vはiの関数である(=V(i))ということは、貨幣の流通速度は貨幣を保有することに伴う機会費用(i)−TB(財務省短期証券)の利回り=リスクフリーの名目短期金利−に依存する、ということを意味している。iが高くなればなるほど、それに応じて貨幣の流通速度も上昇することになる(=Vはiの増加関数)だろう。
中央銀行がマネタリーベースひいてはマネーサプライの増加を目的とする公開市場操作(買いオペレーション)に乗り出すと、貨幣と市中におけるTBとが交換されることになり、その結果として市中におけるTBの供給量(存在量)が減少することになる。通常の需要-供給分析が示すように、TBの供給量が減少すれば(訳注;そして、TBの供給量以外に変化がないとすれば)TBの価格は上昇する−同じことであるが、TBの利回り(i)は低下する−ことになる。TBの利回り(i)が低下するということは貨幣保有の機会費用が低下するということであるから、買いオペに伴うiの低下に応じて貨幣の流通速度は低下する*1ことになるだろう。
果たしてiは(Vを低下させることを通じて)貨幣ストック(M)の増加に基づく金融緩和効果を完全に相殺するに十分なだけ低下することになるだろうか? おそらく、完全に相殺するところまで低下するということはないだろう。それでは、iは貨幣ストック(M)の増加に基づく金融緩和効果を大きく減殺するに十分なだけ低下することになるだろうか? おそらく、現在我々が直面しているような状況においては、iの低下は貨幣量(M)の増加に基づく金融緩和の効果を大きく減殺することになるだろう−2008年〜2009年においてマネタリーベースは大きく増加することになったが、その経験を振り返ってみると、貨幣ストック(M)増加の効果は大きく減殺されたことが確かに示唆されよう。
貨幣ストック増加の効果が(iの低下を招き、それを原因としてVの低下を引き起こすことで;訳注)大きく減殺されるような状況において、我々は一体どのように対応すべきだろうか? この点を分析的に考えるにあたっては、ジョン・ヒックス(John Hicks)の指摘に従うべきであろう。ヒックスは、名目支出(PY)とTBの利回りである名目短期金利(i)の水準とをともに決定するためには、貨幣数量説だけでは十分ではなく、貨幣数量説を補うような他の均衡条件が必要である、と指摘した。そこで彼が他の均衡条件として持ち出してきたのが債券市場における均衡条件であった。債券市場における均衡というのは、言い換えれば、購買力を将来に移転することを可能とする貯蓄手段に対する需要と供給とが等しくなる状況のことである。
I(i-π, その他の変数)+(G-T) = S(i-π, Y, その他の変数) [債券市場における均衡条件] *2
(交換方程式と債券市場における均衡条件との)2つの方程式からなるこの連立方程式体系によれば、貨幣ストック(M)を増加させる拡張的な金融政策が非常に好ましい結果をもたらす可能性があるのは、均衡名目金利−金融資産(債券)に対する需給が等しくなるような金利水準−をシフトさせることによって金融緩和政策の効果を高める−言い換えれば、買いオペレーションに伴って名目金利(i)が低下することを防ぐ(ひいてはVが低下することを防ぐ)−ような別の政策介入が伴う限りにおいてである、ということが示される。
さらには、この連立方程式体系によれば、たとえ貨幣ストック(M)に変化がなくとも、債券市場への介入によって均衡名目金利が上昇するようであれば(訳注;iの上昇に応じてVも上昇することになるので)それに応じて名目支出(PY)が増加するだろうことも示される−貨幣の流通速度(V)が利子率の変化に対して弾力的であればあるほど、名目支出が増加する程度もそれに応じて大きくなることだろう−。
債券市場への介入を通じてiを上昇させるような政策、あるいは、少なくとも中央銀行による拡張的な公開市場操作(=貨幣ストック(M)を増加させるような買いオペレーション)に伴ってiが低下することを防ぐような債券市場への介入政策としてはどのようなものがあるだろうか? 以下にそのような政策を3つあげておこう。
◎期待インフレ率(π)を高める政策;期待インフレ率が高まれば実物投資(I)が刺激されることになり、それに応じて金融資産の供給量(実物投資をファイナンスするために発行される債券の量)が増加することになる。
◎財政赤字を増加させる政策;財政赤字が増加すれば(G-T)が上昇することになり、それに応じて金融資産の供給量(財政赤字をファイナンスするために発行される国債の量)が増加することになる。
◎ビジネスにおける信頼感(business confidence)を刺激する政策;企業が抱く信頼感が高まれば実物投資(I)が刺激されることになり、それに応じて金融資産の供給量(実物投資をファイナンスするために発行される債券の量)が増加することになる。
少なくともこの枠組み−また、この枠組みはミルトン・フリードマン(Milton Friedman)が自身の論文 “Monetary Theory of Nominal Income” の中でも依拠しているものである−に基づく限りにおいては、サムナーが主張するように流動性の罠の下において拡張的な金融政策−サムナーが語るところの「非伝統的な金融政策」−が名目支出を増加させることになるとすれば、それは金融政策によって債券市場における需給バランスが変化することになるからである、という点には注目しておいてほしい。そして、拡張的な財政政策もまたこの同じ波及経路(債券市場における需給バランスの変化)を通じて機能するという点にも注目しておいてほしい。
(さらに追加で指摘しておくと、拡張的な財政政策は貨幣の流通速度(V)に対して直接的に影響を及ぼす。政府支出(政府による財の購入)は民間における通常の取引ほど流動性(貨幣)を必要としないのである*3。)
ここで、政府がTBの利回り(i)に対して目標(名目短期金利の誘導目標)を設定し、その目標を達成するように財政政策を運営すると考えてみることにしよう。具体的には、iが(設定した目標と比較して)低すぎる場合には政府支出を増加させ*4、iが(設定した目標と比較して)高すぎる場合には政府支出を減少させる*5わけである。この時、中央銀行による拡張的な公開市場操作(貨幣ストック(M)の増加を伴う買いオペレーション)は非常に強力な効果を持つことになるだろう。というのも、金融緩和や金融引き締めの効果を高めるようなかたちで(=Mの変化に伴うiの変化(ひいてはVの変化)を相殺するようなかたちで;訳注)財政政策が調整されることになるからである。