「大恐慌に学ぶ 〜クリスティーナ・ローマーが選ぶこの5冊〜(2/2)」


●“FiveBooks Interviews:Christina Romer on Learning from the Great Depression”(The Browser, interviewed by Eve Gerber, February 17, 2012;その1はこちら)。その1とその2をまとめたものをScribdにアップ

質問者:ここまでは「何が大恐慌を引き起こしたか」というトピックを中心に語っていただきましたが、これからは「何が大恐慌を終焉させたか」というトピックを軸にお話しいただこうと思います*1。まずはレスター・チャンドラー(Lester Chandler)の『America’s Greatest Depression』(『アメリカにおける最悪の不況』)を基に財政政策の役割について語っていただきましょう。本書についてご説明お願いします。

ローマー:チャンドラーのこの本では大恐慌下において発生した出来事が実に見事に描写されています。特に、当時どのような政策対応がなされたかについて詳しく書かれています。本書は1970年に出版されましたが、ニューディール経済政策(the New Deal economic programmes)の名の下で実施された政策行動について詳しく知りたいと思った際には今でもこの本にあたることにしています。本書を読めば1930年代に行われたことを何でも知ることができるのです。

チャンドラーのこの本を読んで学んだことの一つは、ルーズベルト大統領はあらゆることを何でも試した、ということです。1930年代当時、政策当局者は金融政策や財政政策に何ができるのかについてほとんど何も知りませんでした。そこで当時の政策当局者はありとあらゆること―住宅政策や農業政策、各種の信用政策、そして価格を引き上げる(吊り上げる)ためのカルテル公認まで―を試したのです。実際のところ、試された政策の多くはあまり効果はなく、一方で効果があった政策もしばしば十分に推し進められませんでした。

効果があったにもかかわらず十分推し進められなかった例としては財政政策があります。チャンドラーの本はしばしば忘れ去られてしまっている事実を思い出させてくれます。それは、大恐慌下において実施された財政政策の規模はそれほど大きくなかった、ということです。実のところ、フーバー政権下では財政政策は誤用されてしまいました。高失業が原因で税収が落ち込み、そのために財政赤字が拡大したことを受けて、フーバー大統領は大増税に乗り出したのです(1932年の歳入法)。経済の停滞が続き、大恐慌があそこまで深刻なものとなった理由の一つは、この誤った財政引き締めにあったのです。

実のところは、あのルーズベルト政権下においても財政拡張(財政刺激策)の規模は穏やかなものでした。ニューディールと聞くと、つい私たちはダムや橋の建設を行ったWPA(雇用促進局/公共事業促進局)による救済プログラムや国立公園に多くの施設を建築した市民環境保全部隊(the Civilian Conservation Corps)のことを頭に浮かべるものです。こういったプログラムは今もなおこの国に多くの名残を残しているので、ニューディールの名の下に実施された財政政策は大規模で積極的なものだったのだろうとついつい考えてしまうのです。しかし、カリー・ブラウン(E Cary Brown)の古典的な論文*2に依拠しつつチャンドラーが指摘しているように、大恐慌下において実施された財政政策は極めて小規模なもの−オバマ政権下において2009年に実施されたアメリカ復興・再投資法(the American Recovery and Reinvestment Act)にその規模で及ぶべくもないほど−だったのです。1930年代半ばにルーズベルト大統領が連邦財政赤字の拡大に乗り出した際も、州と地方政府が財政の黒字化に向けて動いたために、国全体で見ると(連邦+州・地方のネットで見ると)財政刺激策の規模は(連邦財政赤字の規模と比べて)ずっと小さなものとなったのでした。

チャンドラーは本書においてカリー・ブラウンが論文の最後で述べた有名な結論を繰り返しています。「1930年代において財政政策は景気を回復させるための手段としては失敗に終わったように思える。ただし、その理由は、有効に機能しなかったからではなく、そもそも試みられなかったからなのである。」(“Fiscal policy, then, seems to have been an unsuccessful recovery device in the ’thirties−not because it did not work, but because it was not tried.”)

質問者:2000年代後半に発生した「大不況」(Great Recession)への対応を考えるにあたって、あなた自身この本からどのような影響を受けられましたか?

ローマー大恐慌下における財政政策の歴史を学んでいたために2009年初頭に大胆な財政刺激策を強力に支持する立場に回ることになったのは確かです。また、大恐慌下における財政政策の歴史を学んでいたこともあって財政難に苦しんでいる州と地方政府(による財政の黒字化に向けた動き)が連邦政府の行動(連邦政府による財政刺激策)を相殺してしまう可能性についてもかなり注意を払いました。オバマ政権は議会を説得して州と地方政府が行政サービスの水準を維持し、増税に乗り出さないでも済むように復興・再投資法の資金の一部を州と地方政府に回しましたが、この対応は極めて有効であったことがわかっています。

現段階から振り返ってみますと、2009年復興・再投資法は(実際よりも)もっと規模が大きければなおよかったのかもしれません。ただ、2009年復興・再投資法はアメリカの歴史上―金額ベースで測っても対GDP比で測っても―最も大規模な(反循環的な)財政刺激策であったことは確かです。復興・再投資法の効果に関する証拠が徐々に集まってきていますが、それを観察しますと、復興・再投資法が極めて有効だったことは明らかです。2008年にアメリカ経済を襲った強烈なショックにもかかわらず、今次の景気後退が―第2の大恐慌に陥っていてもおかしくなかったにもかかわらず―第2の大恐慌へと発展せずにすんだ理由の一部は復興・再投資法のおかげです。今回の(財政政策面における)政策対応は1930年代初頭と比べてずっと効果的でずっと積極的だったのです。

大恐慌に関してチャンドラーの本から私が大きな影響を受けた箇所は他にもあります。それは1937年の出来事に関するものです。1937年当時、財政政策当局者も金融政策当局者も経済を下支えするために採用していた異例の政策行動のどれもこれもにうんざりとしており、(その状況から逃れるために)あまりにも性急に政策引き締めに乗り出すことになってしまったのです。その結果としてもたらされたのが「不況下における不況」(“depression within a depression”)―完全な景気回復からは程遠い段階において生じた景気の大きな落ち込み。そのために失業は再度増加することに―でした。

2009年の上半期において進行中の景気後退は大抵の予想よりもずっと深刻であり、景気回復のペースは緩やかになりそうな可能性があることが判明してからというもの、私の脳裏には1937年のエピソードがしきりに去来していました。あまりに性急に景気刺激策から手を引くことは大いなる過ちであり、経済を下支えするために刺激策の規模を―縮小するのではなく―もっと拡大する必要がある、と私が主張した大きな理由は1937年のエピソードが頭にあったからでした。

質問者:それではリストの一番最後、こちらは本ではなくて論文ですが、ピーター・テミン(Peter Temin)とバリー・ウィグモア(Barry Wigmore)の共著論文 “The End of One Big Deflation”(「一大デフレーションの終焉」)についてお話しいただこうと思います。本論文は経済学(経済史)の専門ジャーナルExplorations in Economic Historyに掲載されたものですが、「何が大恐慌を終焉させたか」という話題を論じるにあたってなぜこの論文が重要となるのか、その理由をご説明いただきたいと思います。

ローマー:現代経済の問題に興味を持つ人が惹きつけられるであろう大恐慌に関する重要な事実は、1934年までにアメリカでは名目金利がゼロ%に達していた―経済学者が「名目金利の非負制約(ゼロ下限制約)」と呼ぶ状況に直面していた―、ということです。ゼロ下限制約下においては、中央銀行であるFed金利を引き下げるといった伝統的な金融政策の手段に訴えることができなくなります。この状況は2008年の終盤以降に私たちがまさに直面しつつある状況そのものです。

ここに経済学上における大問題(big question)が控えています。つまり、「政策金利がゼロ%に達した状況においてもなお金融政策は依然として有用であり得るか?」、という問題です。この問題に対してテミン=ウィグモア論文は「依然として有用であり得る」との回答を示唆しているのです。

ゼロ下限制約下において金融政策がインパクトを持ち得る方法の一つは、人々が抱く期待に対して影響を与えることにあります。何らかの政策によって人々が経済成長率の上昇やインフレ率の上昇を期待するようになると、現時点における需要や生産が増加する可能性があります。例えば私が企業を運営しており、政府が積極的な行動に乗り出す様子を見てとった場合、私は将来的に売り上げが増加すると期待して現時点における設備投資を増やすかもしれません。

テミンとウィグモアは、アメリカによる金本位制からの離脱が将来的に(アメリカにおいて)金融政策が緩和されることを示す非常に強力なシグナルとなったことを明らかにしています。金本位制からの離脱は経済成長率やインフレ率の上昇期待を喚起する効果を持ったようです。テミンとウィグモアは、金本位制から離脱する決定がなされた直後に速やかに支出や生産が反応したことを見出しています。例えば、アメリカが金本位制から離脱した直後にトラックの売り上げが急激に伸びました。

質問者:あなたご自身も大恐慌関連で最もよく引用される論文の一つを執筆なされています。“What Ended Great Depression?”(「一体何が大恐慌を終焉させたのか?」)ですね。 大恐慌をテーマに語っていただいておきながらこの論文のことを見過ごすわけにはいかないでしょう。論文の内容について簡単にご説明いただけますか。

ローマー:私はその論文で「いかにして大恐慌から脱出したか」という問題に焦点を合わせています。まず論文では先ほどチャンドラーの本をめぐって語ったポイントに立ち戻っています。チャンドラーの本では大恐慌下において財政政策に生じた変化は極めて小さいものであったことを示すいくつかの実証的な証拠が提示されています。つまり、大恐慌の終焉に貢献した要因は何であったかを説明する上で、財政政策面における反応は無視はできませんが、その規模は非常に小さいものでしたので財政政策はそれほど重要な要因ではなかった、ということになります。

私はその論文で金融政策面において非常に積極的な反応が生じたことを示しました。テミン=ウィグモア論文が論じているように金本位制からの離脱があっただけではなく、その後に大規模な金融緩和が生じたのです。この大規模な金融緩和はFedではなく政府部門によって先導されたお膳立てされたもの−アメリカ史上おそらく初めての事態−でした。1930年代の半ばに入ると、ヨーロッパでの政治的緊張を受けて大量の金が(ヨーロッパから)アメリカに流入することになりました。30年代半ばにはアメリカは金本位制に復帰していました(ただし、平価が切り下げられた水準で復帰)ので、財務省流入した金をそのままマネーサプライの増加につなげ得る能力を手にしていました*3財務省流入してきた金を不胎化することがなかったために流入した金が不胎化されるようなことはなかったために) 結果として1934年以降マネーサプライは急速に増加することになりました。1934年以降のマネーサプライの増加は極めて初期の量的緩和―経済学者は金利がほぼゼロ%の状況においてもなおマネーサプライを増加させることを量的緩和と呼んでいます―と考えることができるでしょう。

私は論文で1934年の金融緩和はデフレ期待の終焉を通じて実質金利に影響を与えた(実質金利を低下させた)ことを明らかにしました。データによれば、金利感応的な支出―企業による実物投資や家計による耐久財消費―が実質金利の低下に反応していることが読み取れます。金利感応的な支出は大恐慌からの脱出を先導した主要な原動力でした。

私の論文は「ゼロ下限制約下においても金融政策は依然として有用であり得るかどうか」という問題に関する初期の研究の一つです。私の論文の結論は、きっぱりとした調子で「有用であり得る」というものです。大恐慌名目金利が極めて低い水準にあっても積極的な金融政策を通じて景気回復を早める手助けをすることは可能であることを示す最良の証拠だ、と個人的には考えています。

質問者:経済がゼロ下限制約に直面している状況というのはどの程度ありふれたものなのでしょうか?

ローマー:今現在多くの国々はゼロ下限制約に直面していますが、実のところ、ゼロ下限制約に直面するというのは決してありふれたことなどではないのです。多くの国々がゼロ下限制約に直面していた主要な時期を他に探すと大恐慌期ということになります。他に主要なエピソードとなると1990年代初期に始まる経済停滞下にある日本です。日本は1990年代中頃以降大半の期間を通じてゼロ下限制約にとどまったままであり、決して完全な景気回復を実現していない状況です。 アメリカにおける大恐慌に関連して重要なポイントは、当時のアメリカはゼロ下限制約に直面しながらも首尾よくそこから抜け出した、ということです。

質問者:今現在政策的に何をなし得るかという点に関して、あなたご自身の論文とテミン=ウィグモア論文が伝えているメッセージとは何でしょうか? 金利が一度ゼロ%にまで低下した状況においてもなお金融政策の有効性を保つ術を見出した例はあるでしょうか?

ローマー:私たちがテミン=ウィグモア論文から学んだことというのは次のことです。ゼロ下限制約に直面した経済が不況から脱出する方法の一つは、期待を変化させることにある、ということです。期待の変化をもたらすためには、しばしば、非常に力強い(あるいはラディカルな)政策変更−経済学者が時に「レジームシフト」(“regime shift”)と呼ぶところのもの−が必要とされます。ゼロ下限制約に直面している状況においてひどく落ち込んでいる経済を救い出すためにはアグレッシブな政策変更―人々の目を覚まし、人々に「新しい日の始まりだ」(“this is a new day”)と実感させ、人々が抱く期待を変化させるような、アグレッシブな政策変更―こそが最も効果的な方法なのです。2009年初頭以降にFedが実施してきたことは、(ラディカルな政策変更というよりは)漸進的な政策変更といった趣が強いと言えるでしょう。

Fedが必要としているのは(漸進的な政策変更ではなく)レジームシフトである、と個人的には考えています。多くの経済学者は、Fedは名目GDPが辿る経路に目標を設けるなどして金融政策に対する新たな政策枠組みを採用すべきだ、と提言してきています。もしFedが名目GDP水準目標を採用することになれば、例えば、危機に先立つ平常な期間のある年をスタート地点としてそこから一定の成長率で名目GDPが成長した場合に名目GDPが辿ることになる経路をベースライン(目標経路)として設定することになるでしょう。このベースライン(目標経路)と比べると現在の名目GDPはそれ(目標経路)を大きく下回っていることでしょう。現実の名目GDPを目標経路に戻すと固く約束することによりFedはもっと積極的な政策―より一層の量的緩和やドル安への意図的な誘導―にコミットすることになるでしょう。このように政策枠組みの力強い変更が生じたとすれば、期待に対して非常に大きな効果が表れ、期待に対する効果を通じて消費者や企業の行動に大きな影響が生じる可能性があります。

質問者:長期的な景気後退の原因やその対処法に関する我々の見方を見直す必要があるほどに重要な面で経済は変化を遂げてきているでしょうか?

ローマー:時とともに経済が変化を遂げるのは当然のことです。経済制度は時の経過に伴って変容を遂げてきていますし、一国内で生産される財の構成(composition)も変わってきています。 しかし、大恐慌は依然として今日的意義を持っています。経済はその本質において変わっていないからです。マクロ経済政策について学部で講義する際に次のように強い口調で語るものです。「大恐慌は経済学の学習を始める上でふさわしい場所(エピソード)である」、と。1930年代の歴史から学んだ多くの教訓を依然として適用できる程度には今日の世界と1930年代の世界との間には違いはないのです。

私たちがこの度の大不況から学んだことの一つは、現代経済は依然として深刻な景気後退に直面する可能性がある、ということです。家計の資産や信用に対して極めて大きなショックが生じた場合には、積極果敢な金融政策や財政政策によってもその影響を完全には相殺することはできません。この事実は私たちがつい最近経験したようなかたちのバブルやその崩壊を避けるよう促す理由となることでしょう。

質問者オバマ政権下でCEA委員長を務められた経験を基に政策当局者が経済状況に影響を与える能力について何か学ばれたことはあるでしょうか?

ローマー:まっとうな経済政策は決定的に重要である(That good policy absolutely matters)、ということです。2008年にアメリカ経済を襲ったショックは、それがもたらした富の破壊や金融システムの機能停止といった点に照らして、甚大なものでした。 2008年のアメリカ経済に加えられた圧力は1929年や1930年のアメリカ経済に加えられた圧力よりもずっと大きなものであった、と私は個人的に固く信じています。それにもかかわらず、どうして今次の景気停滞は―第2の大恐慌に陥ってもおかしくなかったにもかかわらず―第2の大恐慌あるいはそれ以上に深刻な不況とはならなかったのでしょうか? その答えは、1930年代当時と比べてずっとまっとうな政策対応が採られた点にある、と個人的には考えています。

ただ、この度の大不況はまっとうな政策対応を採ることがいかに困難であるか、ということも示しています。政策対応はその性質上将来の経済見通しに基づかざるを得ませんが、将来の経済見通しは大きな不確実性にさらされがちです。また、現実の政治プロセスは政策的になし得ることに対してしばしば制約を課すものです。さらには、個々の政策がどのように機能するかという点に関する我々の現状の理解や利用可能な選択肢には何があり得るかという点に関する我々の現状の見方によっても政策対応は制約を課されています。この度の大不況が示している重要なポイントはこういうことです。私たちは深刻な景気後退に立ち向かう上で有効な政策手段を持ち合わせていること、しかしながら、その政策手段の有効性をさらに高めるために学ぶべきことはまだたくさんある、ということです。


America's Greatest Depression, 1929-1941

America's Greatest Depression, 1929-1941

*1:訳注;この一文は訳者による挿入。その1(1/2)とのつながり・関連がわかりやすくなるようにとあえて挿入しました。

*2:訳注;E Cary Brown (1956), “Fiscal Policy in the 'Thirties: A Reappraisal(JSTOR)”, American Economic Review, vol.46(5), pp.857-879.

*3:訳注;ローマーの真意はわからないものの、なぜ1934年の金融緩和をお膳立てしたのが政府であり、なぜ財務省がマネーサプライを増加させ得る能力を手にしていたのか、という点について気になる向きは以下を参照のこと。Richard G. Anderson(2010), “The First U.S. Quantitative Easing: The 1930s(pdf)”(Economic SYNOPSES, FRB of St. Louis, Number 17)。このあたりの訳を見直すきっかけを与えていただいたproppin72さんに感謝。(追記)クリスティーナ・ローマーが1992年に執筆した論文(インタビューでも話題になっている論文)“What Ended the Great Depression?”を読むと以下のような内容が目につく(特に、pp.17〜19(論文ページpp.772〜774))。1930年代の大半を通じてマネーサプライが急速に増加しているという事実が確認できるが、①マネーサプライが急速に増加している理由は何か→同期間において貨幣乗数は一定か低下している=マネーサプライが急増した理由はベースマネーの急速な伸びにある。②なぜベースマネーが急速に伸びたのか→歴史的偶然と政府側の決定によって金が大量に流入してきたため=外生的なベースマネーの増加。③なぜ金が大量に流入してきたのか→(1)歴史的偶然=ヨーロッパにおける政治的な緊張の高まりによりヨーロッパからアメリカに向けて金が流出、(2)政府側の決定=政府によるドルの切り下げ→国際収支の黒字化→金の流入。④ベースマネーが急速に伸びたのは、③の理由に基づいて大量の金が流入してきたことに加えて、政府が金の流入を不胎化しないと決定したこと(正確には、政府が金の流入を不胎化しないと決定したというよりも金の流入を不胎化できるような仕組みにはなっていなかった、とのこと)も理由の一つ。つまりは、「1934年以降の大規模な金融緩和を政府がお膳立てした」ということでローマーが言わんとしていることは(あくまでも1992年当時と意見を変えていないとすれば)、「政府がドルの切り下げに乗り出すとともに金を不胎化しようとは考えなかったために、アメリカに大量の金が流入することになり、金準備の増加に合わせてベースマネーが増加し、ひいてはマネーサプライが増加した」、ということなのであろう。