Marcus Nunes 「カーニーの「改宗」? 〜常態としてのNGDP-LT〜」


●Marcus Nunes, “NGDP-LT: “A target for all seasons””(Historinhas, December 12, 2012)

ナバラ王(King of Navarre)からフランス王(King of France)への「昇格」(‘upgrade’)を果たすためにカトリックに改宗するにあたって、アンリ4世(Henry IV)は次のように語ったと伝えられている。“Paris vaut bien une messe”(パリはミサを捧げるに値する都市である)。さて話は現代に戻る。カナダ中銀総裁からイングランド銀行総裁へと鞍替えするに先立って、マーク・カーニー(Mark Carney)はIT(インフレーション・ターゲット;Inflation Target)を「放棄」(“renounce”)し、NGDP-LT(名目GDP水準目標;Nominal GDP Level Target)に「帰依する」(“embrace”)ことも厭わない旨を「告白している」(“indicates”)。

その理由を彼は次のように語っている(pdf)(太字は私による強調)。

我々の観点からすると、この「閾値」(thresholds)に基づくガイダンスはフレキシブル・インフレーション・ターゲッティングを採用している中央銀行に利用できる(ガイダンスの手段としては)最後のオプションである*1
それでもなお一層の刺激が必要となった場合には、政策枠組みそれ自体を変更する必要があるかもしれない。例えば、名目GDP水準目標は、多くの面で、フレキシブル・インフレーション・ターゲッティング下において閾値ベースのコミットメントを試みるよりも強力な効果を発揮する可能性がある。というのも、名目GDP水準目標下における金融政策は「歴史依存性」(“history dependence”)の性質を備えることになるからである。すなわち、名目GDP水準目標下では、もはや「過去は過去」(bygones are bygones)ではなく、中央銀行は名目GDPが目標経路を外れた場合にその埋め合わせ(過去の失敗の埋め合わせ)を強いられることになるのである。

どうしてカーニーはIT派(IT ‘faith’)−フレキシブル・インフレーション・ターゲット分派を含む−からNGDP-LT派への「改宗」(“conversion”)を考慮する気になったのだろうか?

その理由は以下の図に暗示されている。イギリス経済の名目支出はしばらくの間はトレンドに極めて近いところを推移していたが、突然大規模の「堕落」(fall ‘from grace’)が生じていることがわかる。その規模はカナダのそれを凌ぐほどである。カーニーのスピーチの中で掲げられている図4のタイトルにはっきりと書かれているように、「名目GDP水準目標下では過去は過去ではな」く(bygones are not bygones in NGDP-LT)、それゆえ名目GDP水準目標下では中央銀行が経済をトレンドに引き戻すよう努力することが保証されることになるのである。


さらにカーニーは次のようにも語っている。

しかしながら、政策金利がゼロ下限に達している状況では、NGDP目標を採用すべき理由は一層強まる可能性がある。その(ゼロ下限制約という)異常な性質と現時点における産出ギャップの大きさのために、NGDP目標の信頼性は一層高まり、また(NGDP目標という政策枠組みを通じて中央銀行が何をやろうとしているのかという点に関する)国民の理解も一層促されることだろう。

そのようなレジームチェンジの便益は、経験済みのフレキシブル・インフレーション・ターゲッティング下における非伝統的な金融政策の有効性と慎重に比較されるべきであることは言うまでもない。

カーニーはあまりにも率直に語りすぎることでIT信者の信仰を脅かすようなことはしたくないのだろう、と楽観的な私には感じられる。NGDP-LTの採用が 「異常な性質を備えた状況」(“Exceptional nature”)において正当化されるのだとすれば、NGDP-LTの採用はいかなる状況においても−あるいは、「季節を問わずに」(in “all seasons”)−正当化できるとの一般化を行うことは容易だ、と私は確信している。

昨日書いたばかりのエントリーで私は「セントラルバンカーでさえ新入り過敏症にかかる」(“Even central bankers get the new-job jitters”)事実を発見した研究を取り上げた。

中央銀行界隈の言葉を使うと、新入りの政策委員(任命されたばかりの政策委員)は「タカ派」(“hawks”)−インレーションがコントロール不能に陥ってしまう可能性をより大きく心配する−のように振舞いがちである。一方で、「ハト派」(“doves”)はそれ以外の経済問題−例えば失業−により大きな関心を示し、一時的な物価上昇を受け入れることもあり得る。

幸運にもカーニーは中央銀行職への「新入り」(“new official”)ではない。彼はカナダの総裁職(‘Governorship’)からイギリスの総裁職へと移動する立場にあるのであり、新たな職場で彼が採用したいと望んでいる戦略について事前通知を行っているのである (「改宗」に向けてボールが順調に転がり始めるかどうかは他の人々、特にデーヴィッド・キャメロン首相の行動にもかかっている)。

カーニーのこのスピーチはイギリスのメディアにとってはまたとないニュースである。私のお気に入りはBBCの次の見出しだ。

マーク・カーニー、経済の生産量(economic output)をターゲットに据える旨を示唆
来年イングランド銀行総裁に就任する予定のマーク・カーニーがインフレーションではなく経済の産出量をターゲットに据える旨を示唆した。

まるでカーニーのNGDP-LTへの「改宗」が既定事実であるかのようではないか。


(追記)バーナンキにも注目してもらいたいのだが、カーニーのスピーチは、閾値に基づくガイダンスはアメリカ経済のためにならないかもしれないことを示唆しているのである。

スコット・サムナー(Scott Sumner)(拙訳はこちら)、ラルス・クリステンセン(Lars Christensen)ブリットマウス(Britmouse)ニック・ロウ(Nick Rowe)もこのカーニーのスピーチを取り上げている。あわせて参照あれ。

*1:訳注;この引用箇所の直前(pp.6)でカーニーは次のように語っている。「経済がより順調な経路に沿って推移することを促すために、中央銀行は経済が上向き、インフレーションが上昇する気配を見せた後においても極めて緩和的なスタンスを維持することに信頼のおけるかたちでコミットする必要があるかもしれない。マーケットは、インフレーションが一時的に(インフレ率に関する)ターゲットを上回る可能性がある場合に、インフレーション・ターゲットを採用している中央銀行がそのコミットメントを尊重する気があるかどうかを疑うかもしれない。マーケットがそのように疑いを抱けば、(将来も金融緩和を継続するとの)コミットメントの景気刺激効果は弱められ、景気の回復は遅れることになるだろう。「その手を縛る」(“tie its hands”)ために、中央銀行は、金融引き締めに転じる前に満たされねばならないインフレや失業に関する明確で数値で特定された閾値(thresholds)を公に宣言することが可能である。この閾値に基づくガイダンスによって、将来の金融緩和に対する中銀のコミットメントが強化され、その結果として金融緩和策の景気刺激効果が促されて経済が流動性の罠から抜け出す助けとなる可能性がある。」