「どうして貨幣に対する超過需要はそこまで重要なんでしょう?」


●Nick Rowe, “Why an excess demand for money matters so much”(Worthwhile Canadian Initiative, May 02, 2009)

例えば、ここでアンティーク家具に対する超過需要が存在すると想定することにしよう。アンティーク家具(の売買)はGDPの一部として計上されることはない。ワルラス法則によれば、アンティーク家具に対する超過需要が存在すれば、それと同規模の超過供給―例えば、新たに生産された財(newly-produced goods)の超過供給―がどこかで生じることになるはずである。さて、アンティーク家具に対する超過需要は、一般的な供給過剰(a general glut)ならびに総需要や雇用の低下、そして不況をもたらし得るだろうか? 結論を述べると「もたらし得ない」のであるが、それはどうしてなのだろうか? 

どうして貨幣に対する超過需要(貨幣もまたアンティーク家具と同様にGDPの一部として計上されることはない)とアンティーク家具に対する超過需要との間には違いが存在するのだろうか? 大半の人は貨幣よりも古物(old stuff)の方を多く所有しているだろうから、貨幣(に対する超過需要)とアンティーク家具(に対する超過需要)との違いを量的な差に求めることはできない。貨幣とアンティーク家具との違いは以下の2点に求めることができる。

1.貨幣は計算単位(unit of account)として機能している一方で、アンティーク家具はそうではない。アンティーク家具に対する超過需要が存在する状況において、アンティーク家具に対する需給の一致がもたらされるためには(アンティーク家具に対する超過需要が解消されるためには)アンティーク家具の価格は上昇しなければならない。一方で、貨幣の価格はあらゆる財の価格(一般物価水準)の逆数なので、貨幣に対する超過需要が存在する状況において、貨幣に対する需給の一致がもたらされるためには(貨幣に対する超過需要が解消されるためには)あらゆる財の価格が下落しなければならない。あらゆる財の価格が下落することと比べたらアンティーク家具の価格が上昇することはずっと容易なことだろう。

2. しかし、上で指摘した違いは最も重要な違いではない。最も重要な違いは、貨幣は交換手段(medium of exchange)である一方で、アンティーク家具はそうではない、という点にある。

さて、ここでアンティーク家具に対する超過需要が存在するものの、何らかの理由でアンティーク家具の価格が(アンティーク家具に対する)超過需要を解消するに十分なだけ上昇し得ないとしよう(しばらく我慢して私の話に付き合ってほしい。アンティーク家具に対して価格統制を課すことを決めたなんとも馬鹿げた法律が存在するとでも想像してもらいたい)。アンティーク家具に対する超過需要が存在する状況では、人々は新たに生産された財を購入する以上に販売し、(新たに生産された財の)販売額と購入額との差額を財源としてアンティーク家具を購入しようと(手持ちのアンティーク家具のストックを増やそうと)計画していることになる。この時、ワルラス法則によれば、アンティーク家具に対する(名目の)超過需要額は新たに生産された財の(名目の)超過供給額と等しくなるはずである。加えて、ワルラス法則によれば、アンティーク家具に価格統制が課せられている状況*1では、アンティーク家具に対する超過需要は不況をもたらし得る、ということになろう。しかしながら、結論を述べると「アンティーク家具に対する超過需要は不況をもたらし得ない」のであるが、それはどうしてなのだろうか?

ワルラス法則は間違っている。あるいは次のように表現し直した方がいいかもしれない。ワルラス法則は観念的な(notional)超過需要(超過供給)に対してのみ妥当する、と。ここで観念的な需要(観念的な供給)というのは、あらかじめ計画した通りに現実にも市場で財を購入(販売)できるとの想定の下で立案された購入(販売)計画のことを指している。しかし、アンティーク家具に対する超過需要が存在する状況では、アンティーク家具市場に足を運んだ人々はアンティーク家具が不足しており、自らが望むだけの(あらかじめ購入を計画していただけの)アンティーク家具を購入できないことに気づくことだろう−アンティーク家具に対する超過需要が存在しているということは、アンティーク家具を売ってもいいと考える人が十分に存在しないということである−。不均衡下においては観念的な需要・観念的な供給はその意義を失うことになるだろう。というのも、観念的な需要(供給)は、間違いであることが判明した(実現不可能であることが判明した)想定の下に立案された計画だからである。

アンティーク家具市場で計画を挫かれた人々は、アンティーク家具の購入に対する制約の存在を考慮に入れて、新たに生産された財の購入・販売計画を改訂することになるだろう。アンティーク家具に対する超過需要を満たすことができない現実を受けて、人々は既存の計画−新たに生産された財を購入する以上に販売しようとする計画−を改訂することになるだろう。人々が新たに生産された財の販売額と購入額との差額をそのまま貨幣のかたちで保有しようと計画しない限りは、つまりは貨幣に対する超過需要が生み出されない限りは、人々は新たに生産された財の購入額と販売額とが等しくなるよう計画を練り直すはずである。こうして新たに生産された財の超過供給は解消されることになる。

アンティーク家具に対する超過需要が新たに生産された財の超過供給をもたらすことは論理的にあり得ないことである(ただし、アンティーク家具に対する超過需要がその副作用として貨幣に対する超過需要を生み出さない限りは)。もしアンティーク家具に対する超過需要が新たに生産された財の超過供給をもたらすことになったとすれば、その時予算制約が破られる*2という事態が発生することになるだろう。

しかしながら、交換手段に対する超過需要に関しては事情が違う。ここで、人々は手持ちのアンティーク家具のストックを増やそうとするのではなく、自らの手持ちの貨幣ストックを増やそうと望んでいると想定することにしよう。さらに、貨幣の価格(あらゆる財の価格(一般物価水準)の逆数)は調整不能である(変化し得ない)と想定することしよう。貨幣に対する超過需要が存在する状況では、人々は新たに生産された財の市場(さらにはアンティーク家具市場)に出向いてそこで財を購入する以上に販売しようと計画*3していることになる。しかしながら、当然のことだが、みんなが同じことをすることは不可能であるために*4、皆が皆計画を実現することはできない。自らが欲するだけの財を販売できないことを悟った人々は、財の販売に対する制約の存在を考慮に入れて財の購入計画を改訂することになる。手持ちの貨幣ストックを増やすために人々は財の購入を減らす決意をするが、(他の人々も同じように財の購入を減らすよう決意することになるので)人々はこれまで以上に財の販売が減少する事実に直面することになり・・・・・。

こうして発生するケインジアン流の乗数プロセスは、人々が手持ちの貨幣ストックを増やそうと試みるのを断念するに十分なだけ販売、生産ならびに所得が低下するまで続くことになる。貨幣に対する超過需要が解消されないでいるうちは不況は悪化の一途をたどることになるのである。

アンティーク家具市場における問題(超過需要の存在)は、その副作用として貨幣に対する超過需要を生み出さない限りは、財の一般的な供給過剰をもたらし得ない。

アンティーク家具市場だけにとどまらず、他の市場―モーゲージや資産担保コマーシャルペーパーABCP)、クレジット・デフォルト・スワップCDS)、その他の風変わりなデリバティブ、あるいは玩具のペット・ロック(pet rocks)―における問題もまた、その副作用として貨幣に対する超過需要を生み出さない限りは、財の一般的な供給過剰をもたらし得ない。

この不況は貨幣的な問題に起因して生じる現象である。この不況を解決するには、貨幣供給を増やさねばならないか、あるいは、貨幣需要を減らさねばならないのである。

(実のところこのエントリーの内容に目新しいところは何もない。クラウワー(Robert Clower)が既に40年前に理解していたことの繰り返しである。しかし、多くの人々はその内容を忘れてしまったか、あるいはあまりにも若い頃に聞いた話なので思い出せないか、そもそも学ばなかったのだろう)

*1:訳注;それゆえ、アンティーク家具の価格が上昇することでアンティーク家具に対する超過需要が解消される、ということがないような状況

*2:訳注;予算制約外(機会集合外)の選択肢(消費べクトル)が選ばれる

*3:訳注;財を購入する以上に販売することで手持ちの貨幣ストックを増やそうと計画

*4:訳注;市中における貨幣ストックの量が一定であるとすると、みんなが手持ちの貨幣ストックを同時に増やすことは不可能であるために