ゼロインフレの政治経済学


引き続き。Thomas I.Palley、“Zero is not the Optimal Rate of Inflation”

自然失業率仮説に基づけば最適なインフレ率はゼロ%であり、金融政策は自然失業率仮説の勧告に従ってゼロインフレを目標として運営されるべきだ、と多くの専門家(経済学者、エコノミスト、金融関係者(実務家)等々)は主張する。しかしながら、自然失業率仮説(NAIRU仮説)から導かれる結論は現実の失業率を自然失業率以下(以上)にとどめようとするればインフレの加速(ディスインフレないしはデフレの加速)を招くことになる、ということだけであって最適なインフレ率が何パーセントなのかを自然失業率仮説から引き出すことはできない(こちらも参照していただければ)。明白な誤りであるにもかかわらず、最適なインフレ率=ゼロインフレの理論的基礎付けとして自然失業率仮説が持ち出される理由(偽装する理由)は何なのか。

自然失業率仮説はトロイの木馬だ、というのが答えである。前回の後半でも若干触れたように、中央銀行の政策は真空状態の中で決定・実施されるわけではない。金融政策の決定・運営過程はpublic interestを三分する経済的なグループの影響から無縁ではありえない。financial capitalの利益を代弁するFRBは、彼ら(=financial capital)にとって望ましいデフレないしは低インフレという環境(=financial capitalにとっての最適なインフレ率;インフレはfinancial capitalの有する債権の実質価値を目減りさせるために好ましくなく、また過度のデフレは倒産や破産による債務不履行を発生させるためにやはり好ましくない。結果として若干デフレにバイアスがかかったゼロインフレを選好することになる)を正当化するための方便として自然失業率仮説を利用しているのである。“natural”(自然)という語が放つイメージを利用することによって、(ゼロインフレと自然失業率仮説を無理やり結びつけて)ゼロインフレ以外の環境があたかも不自然であるかのように一般の人々に思い込ませようとしているのである(インフレ=悪と信じ込ませるために、1970年代の加速するインフレの記憶を利用することもあろう)。自然失業率仮説を隠れ蓑とするゼロインフレの追求はfinancial capitalの利益増進を結果するだけだ・・・。陰謀論に聞こえるかもしれない。しかし、ゼロインフレと自然失業率仮説とは全く無関係であるにもかかわらず、両者に論理的な関係があるかのように語られている理由を探ろうとするならば、またFRBが理論的な基礎が薄弱なゼロインフレにこだわる理由を解明しようと試みるならば、こういった政治経済学的な説明(政策決定の裏にある政治力学の解明)も必要となるのではなかろうか。これはあくまで一つの仮説にすぎない。他に何か説得的な理由があるのであれば是非とも教えてもらいたいものだ。

かつてのケインジアンは政府をあたかも国民全体の利益(=public interest)のために奉仕する、慈悲深い賢人かのようにみなす傾向があり(=ハーヴェイ・ロードの前提;本来はこういう意味で使われてたわけではないけど)、確かにナイーブではあった。政府自体も私的利益に突き動かされる人間によって運営されているのであり、ハーヴェイ・ロードの前提にたって政策を議論するのは非現実的である。さらにいえば、一枚岩のpublic interestなるものが存在するかのようにみなすのも疑問である。public interestはいくつかの経済的なグループごとに、例えばlabour、financial capital, industrial capitalといったように分断されており(ケインズ『貨幣改革論』の3階級分類みたい)、FRBに対して最も大きな影響力を有するグループにとって最も望ましい(右下がりのフィリップスカーブ上の)失業率-インフレ率関係を実現するよう金融政策が運営されるわけである(labourの影響力が強いときには金融政策はインフレバイアス(低失業)を有し、financial capitalの影響が強まると金融政策はデフレバイアスを持つようになる;中央銀行の損失関数の中にグループごとのインフレへの選好の違いが反映されることになる)。より詳しい議論は“The Institutionalization of Deflationary Policy Bias(pdf)”を参照のこと(こっちの論文によれば中央銀行の独立性は問題(=民主的な統制を受ける中央銀行はインフレバイアスを有する+financial capitalの方を向いた中央銀行はデフレバイアスがかかった政策運営を実施する)の解消にはならないんだと。中銀を民主的な統制から解き放ったところで、3グループ間の勢力関係に従って特定グループに偏った政策運営を行う道は依然として残されているから(独立性を獲得することでヨリ一層特定グループ寄りの政策が実施される危険もあり)。人間の裁量を縛るためにもインタゲの導入を、と言いたいところだけども設定する目標インフレ率の選定にあたっても各グループ間の勢力関係でどうこうっていう話になるんでしょうね、Palley的には)。