所有と経営の分離ならびに経営の更なる分離


●Fama, E. F. and Jensen, M. C. (1983), “Separation of Ownership and Control”(Journal of Law and Economics, vol. 26(2), pp. 301-325)


バーリ=ミーンズの「所有と経営の分離」に基づく経営者支配論に対する批判。
所有と経営が分離した(株式会社形態の)企業において経営者が(事業のリスクを負担することなしに)好き勝手に振る舞うとしたならば、その企業は他企業との競争の中で早晩淘汰されることになるであろうし、また資金の調達面でも困難に陥るはずである(株主は経営者の自己満足のためにお金を出資するような慈善家ではない)。ところで、現実の世界を観察すると、起業するにあたって株式会社形態をとらねばならないということにはなっていないのに(=法律や権力によって強制されているわけでもないのに)株式会社は依然としてポピュラーな企業形態となっており、また大抵の株式会社では株式が多くの株主の間で分散して所有されているのが通常のパターンである。
所有と経営が分離している現代の株式会社は経営者の裁量的な行動に振り回されて非効率的な結果を招くことになるはずなのに、どうしてその非効率的で無駄の多い株式会社が今なお大手を振って生きながらえているのか?
それは所有と経営が分離している株式会社は一般に効率的に事業を行っているから、つまりは経営者は好き勝手には振る舞っていないからである。
経営者が好き勝手に振る舞っていないのは経営者が元々規律正しい人格の持ち主であるから、ということでは必ずしもない。経営者が規律正しく振る舞うように仕向ける仕組みが存在しており、経営者にとって規律正しく振る舞うほうが得であるから(あるいは規律正しく振舞わないことに付随するコストを回避したいから)こそ規律正しく振舞うのである(=モラルではなくインセンティブを通じた規律付け)。
経営者が規律正しく振る舞うよう仕向ける仕組みとは、例えば株式市場における敵対的買収の脅威であり、また経営者市場における評判(あるいは将来獲得できると期待される経営者としての報酬)であったりするのであるが、見過ごされがちであるのは株式会社内部における規律付けの仕組みであり、それは「所有と経営の分離」と相並んでの「「経営」の更なる分離」に基づくものである(詳しくは本文を読んでちょ)。
経営者の規律付けは、「所有と経営の一体化」だけではなく、「「所有と経営の分離」+「経営」の更なる分離」によっても可能なのであり、所有と経営が分離している現代の株式会社では「「経営」の更なる分離」を通じた経営者の規律付けが果たされていると考えられるのである(産業の種類や企業規模により、「所有と経営の一体化」が効率的な企業形態(=権利分配のあり方)であったり、「「所有と経営の分離」+「経営」の更なる分離」が効率的な企業形態であったりする。それゆえ、「所有と経営の一体化」に基づく企業と「「所有と経営の分離」+「経営」の更なる分離」に基づく企業とは共存することになる)。


(追記)

企業は生産要素所有者間の契約の束からなっており、契約では各種の権利配分が行なわれる。
企業経営に関わる権利として残余請求権と企業の意思決定プロセスに関連する権利とに着目すれば、現代の「所有と経営が分離」した株式会社は残余請求権を株主に、企業の意思決定プロセスに関連する権利を経営者を含めた企業の従業員に配分する仕組みであると見なすことができる。

従来の「所有と経営の分離」論が見逃している点は、企業の意思決定プロセスに関連する権利は単一のものではなくて大きくは二つの要素、つまりは事業計画の発案(initiation)とその実行(implementation)に関するdecision managementと事業計画の承認(ratification)と事業の監視(monitoring)に関するdecision controlとに分離されるということ、そしてdecision managementとdecision controlの機能はそれぞれ別々の主体が担っている(=「経営」の更なる分離)ということである。