資本主義、経済成長、民主主義


●Benjamin M. Friedman(2007), “Capitalism, economic growth & democracy(pdf)”(Daedalus, vol.136(3), pp.46–55)


すんごいタイトルでございますな。
まだまったく目を通してないんでもしかしたら見当外れかもしれないけれども、おそらくこの線に沿った議論がなされているんだろうと予測。長らく積読状態の以下の本も時間見つけて読まんといけんね。


The Moral Consequences of Economic Growth

The Moral Consequences of Economic Growth


(追記)

経済体制としての資本主義*1(あるいは市場経済)と政治体制としての民主主義*2との間にはどのような関係があるのだろうか? 資本主義を採用することが民主主義への移行を促進するのか(=資本主義が民主主義の原因であるのか)、それとも民主主義を採用することが資本主義への移行を促進するのか(=民主主義が資本主義の原因であるのか)? あるいは(資本主義と民主主義との対比と正確には対応しないかもしれないけれども)経済的自由が政治的自由を準備するといえるのか、それとも政治的自由が経済的自由を準備するといえるのか*3
ベンジャミン・フリードマンの答え;資本主義が民主主義の原因である。
正確には「資本主義」と「民主主義」とは「経済成長」を媒介として、資本主義→経済成長→民主主義、という関係性の下にある、というのがベンジャミン・フリードマンの主張。経済成長は人々の社会的態度への影響を通じて民主主義的な政治体制に親和的な環境を用意し*4、そして経済成長は計画経済システムにおいてよりも市場経済システムにおいてヨリ促進される(市場経済システムの方が資源配分の効率性・技術革新の面で計画経済システムよりも優れている)のだから、資本主義→経済成長→民主主義、つまり資本主義が経済成長を促進し、経済成長が民主主義定着のための基礎的条件を用意する、とのこと。
この因果の連鎖の中で重要なポイントは「経済成長は民主主義的な政治体制に親和的な環境を用意する」という点であろう。この点についてはpp.49に詳しく書かれているが、簡単にまとめると、(1)人々は絶対的な生活水準(現時点の年収はいくらなのか)だけではなく相対的な生活水準(他との比較)にも関心を持っているということ、(2)相対的な生活水準という場合に現在の自分自身の生活水準と比較される対象には、①過去の自身の生活水準(5年前と比べて年収はどれだけ増えたか)、②同時点における他者の生活水準(同僚のA氏と比べてどれだけ年収が上回っているか)、とがあること、(3)①と②との相対的な比較は代替的であるということ(過去の自分と比べて現在の自分の生活水準が大幅に向上している場合、他者との生活水準との違いはあまり気にならない)、である。経済が着実に成長し(あるいは今後も成長する見込みがあり)、また成長の果実が国中に満遍なく行きわたっている場合、人々は他者との違いにあまりヤキモキすることはなくなり(①の相対比較の面で大きな満足を得ているため)、むしろ他者に優しくなる傾向にある(この傾向は具体的には、幅広い国民階層への政治的権利(=選挙・被選挙権等)の付与、マイノリティや移民に対する寛容な態度、社会的弱者に対する積極的なセーフティーネットの提供、経済的・社会的な機会均等、といったかたちをとってあらわれるであろう)。つまり、経済成長は人々の他者への寛容な態度を促進することによって(必ず民主主義を定着させることになるとは言えないかもしれないが)民主主義に親和的な環境を用意すると言いうるのである。
ちょっとした注意;ベンジャミン・フリードマンも述べているように、この議論(資本主義が民主主義の原因)はいつでもどこでも妥当するわけではないということ、また民主主義的な政治体制が経済成長を促進するという逆向きの因果関係もありうるということ*5(特に私的所有権の確立、「法の支配」は経済成長にとって非常に重要な基礎条件である。私的所有権の確立、「法の支配」は市場経済システムが機能するための基礎条件(あるいは前提条件)であると言えるのかもしれない)、は注意。

*1:私的所有権に基づき市場を通じて(=価格を媒介とした自由な交換を通じて)財の生産・分配が行われる経済システム

*2:言論の自由等基本的な政治的権利が保証されており、公平で開かれた選挙が制度化されている政治システム

*3:経済的自由が政治的自由の必要条件なのか、それとも政治的自由が経済的自由の必要条件なのか、とも言い換えうるであろう。むりくり必要条件なんて使う必要はないんだろうけれども。

*4:“The experience of many countries suggests that when a society experiences rising standards of living, broadly distributed across the population at large, it is also likely to make progress along a variety of dimensions that are either part of the very definition of democracy or closely associated with democracy. These include not just open, contested elections to determine who controls the levers of political power but also political rights and civil liberties more generally; openness of opportunity for economic and social advancement; tolerance toward recognizably distinct racial, religious, or ethnic groups within the society, including immigrants if the country regularly receives in migration; and a sense of fairness in the provision made for those in the society who, whether on account of limited opportunities, lesser human endowments, or even just poor luck in the labor market, fall too far below the prevailing public standard of material well-being.(pp.48)”

*5:それゆえ、経済成長が民主主義を促進→民主主義の進展が経済成長を促進→経済成長が民主主義を促進→・・・、という好循環が働く余地がある。同時に経済停滞→民主主義の抑制→経済停滞→民主主義の抑制→・・・、という悪循環が生じる可能性も考慮せねばならないであろう。