白川総裁の揚げ足をとってみる 〜その2〜


レギュラー先生がまたまたつぶやかれていました。内容はタイトル通りでございます。揚げ足取りというよりも皮肉ってるといった感じですが。

●「最近の金融経済情勢と金融政策運営」(名古屋での各界代表者との懇談における挨拶, 日本銀行総裁 白川方明, 2009年11月30日)<http://www.boj.or.jp/type/press/koen07/ko0911g.htm

「持続的な物価下落の根本には、経済全体の供給能力に比べて需要が弱いという基本的な要因が存在しています。今回の物価下落でも、その出発点は昨年秋以降の金融・経済活動の急速な収縮であり、その結果、需給バランスは大きく悪化しました。こうした状況を是正するには、設備投資や個人消費といった最終需要が持続的に拡大するような環境を整えることが必要です。言い換えれば、政策運営面では、家計が将来の生活への安心感を持ち、企業も将来の成長に対する期待を持てるようにすることが重要です。同時に、企業サイドでも、米欧における行き過ぎたブームの再来はない以上、新しい時代の消費者ニーズに即した供給体制に転換していく経営努力が不可欠です。」

デフレの原因は需給ギャップの拡大にあり、ということワンね。特に「経済全体の供給能力に比べて需要が弱いという基本的な要因」が原因ということワンね。まっとうな現状判断だと思うワン。ただ引用の最後の文章「同時に、企業サイドでも、米欧における行き過ぎたブームの再来はない以上、新しい時代の消費者ニーズに即した供給体制に転換していく経営努力が不可欠です」が気にかかるところだワンけど。

「同時に、供給面で生産性の上昇を図るための努力も不可欠です。すでに、企業経営者は、只今申し述べたような新興国も含めたグローバルな生産体制の構築や、消費者のニーズを捉えた高付加価値製品の開発に取り組んでおられます。こうした取り組みは新たな需要を掘り起こすことにもつながります。人口構成の変化ひとつをとってもそうですが、経済や社会は常に変化する以上、そこには新たなニーズが必ず発生します。その際、企業にとっての挑戦は潜在的なニーズを現実の需要にすることです。経済論議では需給ギャップがしばしば議論されますが、これは、あくまでも既存のニーズに基づく商品の需要と、そうしたニーズを満たす商品の供給能力を比較したものです。しかし、未曾有の世界的なバブルが崩壊した今日、従来と同じ商品の供給能力を埋めるだけの需要が生まれてくることは期待できません。やや脇道に逸れますが、その意味では、しばしば議論される需給ギャップは需給ミスマッチの指標という側面もあるように思います。大事なことは潜在的なニーズを現実の需要にするための企業努力です。さらに、そうした企業レベルの取り組みを後押しするため、国内の社会の変化やグローバルな経済の変化に応じてわが国の経済構造の柔軟性を確保できるように、制度や仕組みを見直していくことです。ちなみに、わが国では、米国に比べると、企業の廃業率、開業率とも、半分以下のレベルであり、経済の新陳代謝が低い状況にあります。」

デフレの原因は需給ギャップが拡大しているからであり、需給ギャップが拡大しているのは「曾有の世界的なバブルが崩壊」したことによって「既存のニーズに基づく商品の需要」が縮小したからである、ということワンか。言い換えれば、バブルによって上乗せされていた「見せかけ」の需要が消滅してしまったがゆえに経済全体の総需要が収縮し、「需給ミスマッチ」としての「需給ギャップ」が露わになったということワン。
要するに、需給ギャップの原因は消費者が欲しいものがないからということワンね。需給ギャップの原因は企業に、つまりは消費者ニーズの掘り起こしに失敗している企業にあり、ということワンね。日銀は一切関係ないということワン。
日銀は今後3年間物価が下落するとの見通しを発表したワンけど、「需給ギャップ」が「需給ミスマッチ」の表れというならそれもしょうがないワンね。「潜在的なニーズを現実の需要」に変えるというのは時間のかかる話だワン。「需給ミスマッチとしての需給ギャップ」が埋められるまでには3年くらい様子を見る必要があるのかもしれないワンね。
あと日銀の「物価下落見通し宣言」を「対策なきデフレ宣言」として批判するのは大間違いだワン。だってデフレの原因たる「需給ギャップ」は「需給ミスマッチ」の表れであり、「需給ミスマッチ」が埋められるかどうかは「企業努力」にかかっているからだワン。日銀には「潜在的なニーズを現実の需要にする」力なんてないワンから対策なんて立てようがないワン。ここであえてさらなる金融緩和策なんかに乗り出しても、「見せかけ」の需要が喚起されることになるだけで、見た目上は「需給ギャップ」は縮小しても根っこの「需給ミスマッチ」の問題は一向に解決されないワン。下手をすると、金融緩和政策を通じた「見せかけ」の需要喚起は、企業が「需給ミスマッチ」を埋めるための努力を阻害することになって(潜在的なニーズを現実の需要に変える努力をしなくても「見せかけ」の需要のおかげで既存の商品が売れるワンから企業は「需給ミスマッチ」問題への取り組みを後回しにしてしまうかもしれないワン)、デフレの根本的な要因である「需給ミスマッチ」問題解決の一層の先送りに手を貸すということになってしまうかもしれないワン。

「こうした現状を改善し、生産資源がニーズの高い分野に円滑に移動できるような仕組みを整えるためには、様々な角度からの検討が必要ですが、中央銀行としての立場からは、金融市場、金融機関、機関投資家の果たす役割を強調したいと思います。金融市場は、企業の収益力や将来性、リスクに応じた効率的な資金配分を実現し、資金面から経済の新陳代謝を進める役割を担っています。その際、多様な市場が存在し、多様な資金の出し手が企業の収益性などを評価する方が、より効率的な資金配分が可能になります。このため、多様で効率的な金融市場を整備していくことは、経済全体の生産性を高める上でも、重要な役割を果たすと考えられます。」

「未曾有の世界的なバブルが崩壊した今日、従来と同じ商品の供給能力を埋めるだけの需要が生まれてくることは期待でき」ないワン。「需給ミスマッチ」を解消するためには、無駄である「(既存の)ニーズを満たす商品の供給能力」を清算しながら、「生産資源がニーズの高い分野に円滑に移動できるような仕組みを整える」必要があるワン。デフレの根本原因たる「需給ミスマッチ」の解消のために日本銀行にできることあるいは日本銀行がなすべきことは、「見せかけ」の需要を喚起することではなくて、「生産資源がニーズの高い分野に円滑に移動できるような仕組み」として「多様で効率的な金融市場を整備していく」ことなんだワン。
ただし、日銀は「多様で効率的な金融市場を整備」することを通じて「潜在的なニーズを現実の需要にするための企業努力」を後押しするにすぎないワン。日本経済がデフレから脱却できるかどうかは(総裁によればデフレから脱却することは「需給ミスマッチ」を解消することと同じことになるんだろうワンけど)、「企業努力」に全面的にかかっているんだワン。
こういう理解からすると、「対策なきデフレ宣言」という批判を日銀に向けることは的外れもいいところなんだワン。


(追記)レギュラー先生が「白川総裁ありがとうワン」とおっしゃってました。たぶん「白川総裁(続々とネタを提供してくれて)ありがとうワン」ということだと思います。ただつぶやかれる身としては・・・・。

●【日銀総裁会見】(1)広い意味で量的緩和だと考える(MSN産経ニュース)<http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091201/fnc0912011912030-n1.htm

−−実質ゼロ金利、10兆円程度の供給だが、量的な緩和効果を狙ったのか

 「実質ゼロ金利で期間3カ月という長めの資金供給をする。日銀は(もともと)金融市場における需要満たすため、潤沢な資金供給を行う方針だが、より一層潤沢に供給するということだ。金融界からみて『流動性が足らない』『資金供給の量が足らない』とならないようにする。広い意味で量的緩和だと考える」

広い意味で量的緩和? 金融界が『流動性が足らない』『資金供給の量が足らない』と感じないようにすることが量的緩和ということワンか? 金融界のマインドが量的緩和か否かを決定するワンか? 
金融界のマインドが量的緩和か否かを決めるのであれば、事前に量的緩和政策かどうかは判断できないワンね。実際に日銀がある政策を試みて、金融界が『流動性が足らない』『資金供給の量が足らない』と感じないようであれば、そのような政策はもれなく量的緩和ということになるワン。量的緩和か否かは事後的にしか判断できないということワンね。
ただ日銀にとっては「「広い意味での」量的緩和」なる新たな政策手段を創造することにはそれなりの意味があるかもしれないワンね。
「「広い意味での」量的緩和」が創造されることで、「ゼロ金利政策量的緩和」から「ゼロ金利政策→「広い意味での」量的緩和→「狭い意味での」量的緩和」というように、名目金利の非負制約下における金融緩和手段が一つ増えることになるワン。金融緩和手段が一つ増えるということは日銀が「金融緩和やってまっせ」とアピールする手段が増えることにもなるワン。政府との交渉材料が増えるといってもいいワン。「今は「「広い意味での」量的緩和」ですが、「「狭い意味での」量的緩和」に移行する用意もできてますよ」といった感じワン。
量的緩和が「広い意味」と「狭い意味」とに分割された上で、「ゼロ金利政策量的緩和」から「ゼロ金利政策→「広い意味での」量的緩和→「狭い意味での」量的緩和」というように一つ余計にステップが挿入されるということは、「「狭い意味での」量的緩和」の先に続くであろう政策手段=「コミットメントつきの量的緩和」までの距離が長くなるということでもあるワンから、一国民としては喜べないワンけど。

−−なぜ0.1%で、ゼロにはしなかったのか

 「日本の金利は現在0.1%で、海外主要国と比べても一番低い。金利引き下げによるプラス効果と、金融市場の機能低下で結果的に景気刺激効果が上がらなくなるマイナス効果を比較考量して判断した。参考になるのは、海外主要国の示した判断だ。各国の金融界の動向をみると、これ以上引き下げると、金融緩和効果が上がらないと考え、0.1%というのがグローバルスタンダードだ」

金利引き下げによるプラス効果と、金融市場の機能低下で結果的に景気刺激効果が上がらなくなるマイナス効果を比較考量して判断した。」とのことワンけど、その「比較考量の結果」とやらを見せてほしいワン。海外主要国の示した判断云々とか「0.1%というのがグローバルスタンダードだ」とかいうのはどうでもいいワン。「比較考量の結果」とやらを示して欲しいワン。
もし比較考量の結果これ以上金利を引き下げてもマイナス面の方が大きいという結論に至ったとしても「狭い意味での」量的緩和に移ればいいだけの話ワン。それとも比較考量の結果「狭い意味での」量的緩和はマイナス面の方が大きいと判断した上での「広い意味での」量的緩和ということなのかワン?
日銀文学は難解ワンね。