コーエン著「自己制御 vs 自己解放」(その1)


●Tyler Cowen(1991), “Self-Constraint Versus Self-Liberation(pdf)”(Ethics, Vol. 101, No. 2, pp. 360-373)

今回はイントロダクションだけしか訳していませんが、1エントリーごとに大体2節ずつ訳していって全部訳し終えたら何かしらの形で一つにまとめる予定です。

Introduction
合理的選択理論の観点から自己管理(self-management)や自己統制(self-control)の問題を取り扱う際には、一人の人間は複数のあるいはシフトする選好を有しており、それぞれの選好が一人の人間のコントロールを巡って競い合っている、との想定の下に個人の行動がモデル化されることになる*1。中でも影響力のあるモデルの一つにおいては、一人の人間は2人の「私」に分たれると想定される。つまりは、一人の人間は、長期的な視野を持つ合理的な「私」と近視眼的で衝動に突き動かされる非合理的な「私」とから構成されていると見做されるのである*2
ルール志向の「私」*3は、近い将来においても自らの意志が他の「私」によって捻じ曲げられることがないように、拘束力のある制約の使用に訴える。その行動はまるでセイレーン(sirens)の歌声を聞くまいと自らを船のマストに縛り付けたユリシーズ(Ulysses)のようである。現代のユリシーズは、喫煙への誘惑を断ち切るために煙草を捨て、お酒への誘惑を断ち切るためにアンタブス(antabuse)を服用し、クレジットカードは家においたままで買い物に出掛けることになる。事前的に拘束力のあるコミットメントを達成する術がなくとも、一人の人間は、ルール志向の「私」の意志を覆すならば大きなコストを負担せざるを得ないよう取り計らうかもしれない。例えば、ダイエットを考えている現代のユリシーズは、小さめのサイズの服を買うかもしれない。
経済学や合理的選択理論における『複数の「私」(multiple selves)』モデルは様々な問題の分析に利用されている。まず第1には、『複数の「私」』モデルは、パターナリズム(温情主義)の問題を考えるために援用されている。一人の人間の中において、ルール志向の「私」が衝動的な「私」の行動を束縛することができないようであれば、政府が出てきてルール志向の「私」の努力を支援することができるかもしれない。例えば、政府が公共の場での喫煙を禁止することは、禁煙したいと思っている喫煙者*4にとっては必ずしも強制的なものとは感じられないかもしれない。政府が喫煙を禁止することは個人の選択肢の一つ*5を奪うことを意味しているが、ルール志向の「私」はその選択肢は奪われてしかるべきだと考えているかもしれない。一人の人間の中に複数の「私」が同居しているということになると、消費者主権(consumer sovereignty)か強制(coercion)かという点を明確に区別・定義することは困難になる*6
『複数の「私」』モデルはまた、一見すると不可解な市場制度の存在を説明するためにも使用されている。市場は時に、例えば禁煙やダイエットのためのクリニックのように、自己統制や自己規律のためのサービスを提供している。クリスマス貯蓄クラブやクレジットユニオンは個人が予算規律を維持するための手助け*7となっているが、人をして市場利子率以下の水準での貯蓄に向かわせるものは一体何なのだろうか? 『複数の「私」』モデルは、減税の効果やその他の経済政策の効果を予測するにあたってもインプリケーションを有している。多くの人が自己制御の問題を抱えているとすれば、減税によって増えた手元資金を貯蓄に回すことが個人的には合理的であったとしても、ついつい消費のために使ってしまうということになるかもしれない*8
本論文は、『複数の「私」』モデルの根っこのところにメスを入れることを意図している。自己管理の問題を扱う文献のほどんどは、ルール志向の「私」が衝動的な「私」から協調を引き出すために採用している戦略に議論を集中させる傾向にある。私自身は文献に広く見られるこの主流的な態度を「自己管理に関するcommand view」と呼んでいる。例えば、シェリングの有名な論文のタイトル "The Intimate Quest for Self-Command"をご覧になられたい。
このcommand viewとは反対に、私は、本論文において、衝動的な「私」による戦略的な行動に焦点を当て、ルール志向の「私」による過度な制御こそが自己管理におけるもっとも重要な問題となるようなシナリオを論じるであろう。そのようなシナリオにおいては、自己制御(self-constraint)ではなく、自己解放(Self-liberation)こそが終局的な目的となるであろう。このような議論を展開するにあたっては、実験心理学(empirical psychology)の詳細な検討によるのではなく、私の主張を支持するようないくつかの逸話(anecdote)を援用しながら論を進めていくであろう*9
本論文は自己管理の研究における新たな方向性を提案しようとするものである。自己管理(Self-management)というのは、自制(self-command)を求めてもがくこと*10というよりはむしろ、1人の人格(personality)の発展のために異なる「私」の間で調整を図ろうとする試みなのである。 以下で論じることになるが、自己管理の問題に新たな視角からメスを入れることで、いくつかの経済・社会問題―リスクテイキングや中毒、広告、市場経済が個人の人格やモラルに与える影響など―に関する新たな理解が得られることになるであろう。

*1:原注;自己制御(self-constraint)の問題を論じている文献の中でもとくに重要なものは以下である。George Ainslie, "Specious reward: a behavioral theory of impulsiveness and impulse control", Psychological Bulletin 82 (1975): 463-96; Jon Elster, Ulysses and the Sirens (New York: Cambridge University Press, 1982), and "Weakness of Will and the Free-Rider Problem," Economics and Philosophy 1 (1985): 231-65; Jon Elster, ed., The Multiple Self (New York: Cambridge University Press,1986); Derek Parfit, Reasons and Persons (New York: Oxford University Press, 1984); George Loewenstein, "Anticipation and the Valuation of Delayed Consumption," Economic Journal 97 (1987): 666-84; Thomas Schelling, "The Intimate Contest for Self-Command," Public Interest 60 (1980): 94-118, Choice and Consequence (Cambridge, Mass.: Harvard UniversityPress, 1984), "Self-Command in Practice, in Policy, and in a Theory of Rational Choice," American Economic Review 74 (1984): 1-11, and "Enforcing Rules on Oneself." Journal ofLaw, Economics, and Organization 1 (1985): 357-74; Robert Strotz, "Myopia and Inconsistencyin Dynamic Utility Maximization," Review of Economic Studies 23 (1955-56): 165-80; Richard Thaler, "Towards a Positive Theory of Consumer Behavior," Journal of Economic Behavior and Organization 1 (1980): 39-60; Richard Thaler and H. M. Shefrin, "An Economic Theory of Self-Control," Journal of Political Economy 89 (1981): 392-406; and Gordon Winston, "Addiction and Backsliding: A Theory of Compulsive Consumption," Journal of Economic Behavior and Organization 1 (1980): 295-324. 自己制御の合理的選択理論における「私」の捉え方は心理学における行動変容(behavior modification)の理論と似ている面がある。行動変容理論については以下を参照せよ。Harry I. Kalish, From Behavioral Science to Behavioral Modification (New York: McGraw-Hill, 1981).

*2:原注;本論文を通じて、長期的な視野を持つ「私」こそが正しい「私」であるかのようなバイアスに陥らないために、長期的な視野を持つ合理的な「私」/近視眼的で非合理的な「私」と表現するのではなく、ルール志向の「私」/衝動的な「私」と表現するであろう。異なる「私」をいかにして適切に区別したらよいかという問題は以下で詳しく論じられるであろう。

*3:注2を参照

*4:しかしながら、衝動的な「私」に突き動かされてついついタバコを吸ってしまう人

*5:公共の場で自由にタバコを吸うこと

*6:原注;この点に関して、私は以下の論文でヨリ詳しく論じている。"The Scope and Limits of Preference Sovereignty" (1990, typescript)

*7:お金の浪費・無駄遣いを予防する術

*8:減税の消費刺激効果が大きいということ

*9:原注;衝動的な「私」が戦略的に行動する可能性については以下の論文でも認識されているところである。Schelling, "Self-Command in Practice"; Richard Burt, "Commentary on Schelling's 'Enforcing Rules on Oneself,' " Journal of Law, Economics, and Organization 1 (1985): 381—83; and George Ainslie, "A Behavioral Economic Approach to the Defense Mechanisms: Freud's Energy Theory Revisited," Social Science Information 21 (1982): 735-79. Burtは自己解放の重要性についても指摘している。他に以下も参照せよ。Elster, Ulysses and the Sirens (e.g.,p. 40): and George Ainslie. "Behavioural Economics. II. Motivated Involuntary Behavior," Social Science Information 23 (1984); 47-78. しかしながら、大勢の注目が依然として自己制御に向けられているという点は変わらない。例えば、エルスターは "Weakness of Will"の中で、戦略的な行動という点でいうと、ルール志向の「私」の方が衝動的な「私」よりも有利な立場にあると主張している。また、シェリングも自己解放よりは自己制御の方に強調を置いている。

*10:ルール志向の「私」と衝動的な「私」とが一人の人間のコントロールを巡って対立すること