コーエン著「対立の可能性を秘めた世界秩序の経済効果」
●Tyler Cowen(1990), “Economic Effects of a Conflict-Prone World Order”(Public Choice, Vol. 64, No. 2, pp. 121-134)
1.Introduction(はじめに)
国際紛争や戦争の経済効果を巡っては今日までに激しい議論がたたかわされてきた。軍国主義(militarism)に批判的な論者は、しばしば、戦争と軍備増強に伴うコストを指摘する。例えば、Reston(1988)は、アメリカとソ連とによる軍事防衛のための支出は両国を合計して1日あたり15億ドルを超えると指摘している。さらには、戦争の脅威(あるいは可能性)は、多くの人々が懸念を表明しているように、社会全体を軍国主義に傾かせ、社会的な統制意識(regimentation)やナショナリズムの感情をかきたてる可能性があるとともに、現実の戦争はこれまでに何百万もの人々の命を奪ってきたとも指摘される*1。
本論文において私は、こういった議論とは一歩距離を置いて、国際紛争の可能性が政治家による政策―特に経済成長促進的な国内の経済政策―の立案・実施のインセンティブにどのような影響を与えることになるかを考察しようと思う。国際紛争における一国の成功(勝利)は通常はその国の経済的パワーと密接に結びついている。大きな税源(課税ベース)と経済成長著しい経済(strong economy)は経済的なパワーの源泉となり、高水準の軍事支出の負担を可能とするであろう。それゆえ、対立の可能性を秘めた世界秩序の存在は、公職の地位にある者が国際紛争における勝利をどの程度高く評価するかに応じて、彼らが経済成長促進的な経済政策を立案・実施するインセンティブを高めることになるかもしれない。対立それ自体はネガティブサムゲームであるが、対立の可能性によって誘引された結果は一般国民に対して便益をもたらすことになるかもしれない。本論文は、ある意味では、「私悪すなわち公共善」(“private vices, public benefits”)とのテーマを強調したバーナード・マンデヴィルの伝統に連なる一つの試論であると位置付けることもできよう。
2.Incentive effects and conflict(インセンティブ効果と対立)
国際紛争において一国を勝利に導くことは、民主主義国の政治家にとって、次の選挙での再選の可能性を高めたり、彼の政治家としての影響力を高めたりという好ましい効果を持っているかもしれない。国際紛争で勝利した結果として他国から資源等のレントを獲得することができれば、通常は指導力を発揮した政治家の世論調査における支持が高まることになる。反対に、国際紛争で敗れれば、通常は一国を率いた政治家の次の選挙での立場は危うくなることであろう。内容が難解でその結果が曖昧になりがちな多くの政策とは異なって、国際紛争における勝利/敗北は、通常は一般国民にとって非常にわかりやすく、また紛争の結果に対する強い支持/不支持の感情を生み出すことになる。
国際紛争は公職の地位にある者に直接物的な便益を与えることになるかもしれない。例えば、領土の占領や戦争での勝利は、勝者間で分割可能な富の獲得を意味する。たとえ戦争に勝利した政府が腐敗していなくとも、敗者によって支払われる戦争賠償金は政府予算最大化という政治目的に貢献することになるかもしれない。反対に、国際紛争に敗れれば、政治家が自由にできる資源が減少することになるかもしれない。
給料が固定給である公職者にとっては、国際紛争での勝利に伴う第一義的な便益は心理的なものかもしれない。国際紛争での勝利に伴う心理的な便益(psychological benefits)には、軍事的な栄誉や国民からの高い人気*2、権力、そして歴史に名を刻んだことに伴う高揚感、といったものが含まれる。政治家は、しばしば、重要な国際紛争での勝利後に国民から非常に高い人気を博することがある。人は相対的な地位を追求するように動機づけられている*3と指摘するFrank(1985)の議論は、国際紛争に伴う心理的な便益に関して別の説明を与えるものである。国際的な権力を手にすることは、国際的なコミュニティーと自国民の間との両方において自らの相対的な地位を向上させる最も効果的な方法であると政治家たちは見なすかもしれない。国際紛争の問題を取り仕切る政府役人(例. 独裁者、大統領)は大抵は(国内的にも海外に対しても)非常に目につく存在であるので、自己選抜メカニズム(self-selection mechanism)を通じて相対的な地位の追求に強く動機づけられた個人が政府役人の地位を目指して引き寄せられるということになるであろう。
政治家は一国の軍事的な行動を通じて個人的な目的を達成できるかもしれない。例えば、コテコテの帝国主義者は海の端から端までをその領土とする強大な国家の設立を夢見ているかもしれない(van Alstyne, 1960)。戦争での勝利や領土の占領は、帝国主義者の政治家が自らの個人的な夢を実現する機会を提供することになるであろう。政治家の個人的な目的としては、国家規模の拡張や自国文化の影響力の拡大、国際的な権力といったものも含まれるであろう。
もちろん、国際紛争の可能性がなくとも、政治家は、他の事情を一定として、政府予算の増大を望んでいるであろう。税収を増やすためには課税ベースが大きい必要があり、また経済が繁栄している必要もあるので、政治家が税収の最大化を目的としているならば、経済成長を促進するような政策が実施される傾向にはあるであろう。しかしながら、国際紛争の可能性は、この傾向をさらに強めることになるであろう。政治家は自動的に政府の税収を最大化するよう行動するわけではない。というのも、政治家は税収を拡大するためにかなりの努力を注ぐ必要があるからである*4。政治家はまずどの政策が経済成長にとって最適であるかを判断するために努力を傾注しなければならず、次には最適であると判断された政策を精査せねばならず、また法案として起草する必要があり、法案が議会を通るように支持集団を形成せねばならない。さらには政策は実行に移されねばならず、政府の他の部門、例えば官僚が政策を骨向きにしたり政策の内容を書き換えたりしないよう監視せねばならない*5。
国際紛争の可能性は、公共部門の予算をコントロールしている人間に対して予算を実際に支出する機会を提供し、そのため彼が税収を増大させるためにさらなる努力を傾注するインセンティブを提供することになるであろう。例えば、ある支配者は、彼の懐に入れることのできるお金の量を増やすために―贈収賄を通じて、あるいは主権者としての特権的な立場を利用して―、一々努力を傾注してまで経済成長促進的な政策を立案・実行しようとは思わないかもしれない。しかしながら、この同じ支配者は、経済成長の結果として、彼の個人的な栄誉が高まったり、他国の領土を手にしたり、国際的な権力を手にできるならば、経済成長促進的な政策を立案・実行するために特に努力を注ぎたいと思っているかもしれない*6。
もちろん、政治家が経済的な繁栄と軍事的なパワーとのつながりを理解していないならば、あるいは政治家が経済的な繁栄(経済成長)を達成する術を理解していないならば、国際紛争の可能性が有するインセンティブの効果は裏目にでるかもしれない。多くの政治家が国家の基盤強化を意図して様々な政策を施しているが、惨めなほどに失敗している。例えば、スターリンや毛沢東の5ケ年計画は、ソ連や中国の経済発展を意図していたものかもしれないが、実際のところ、両国の経済は停滞し経済が発展することはなかった。経済学者の間でさえも経済開発の手段に関してコンセンサスはないのであるから、成長促進的な政策を実施するインセンティブがあるにもかかわらず、政策当局者が強い国家を建設するアートをマスターしていると期待することはできないであろう。
しかしながら、政治家が以上のような不完全な情報の制約の下におかれているとしても、インセンティブ効果と選抜効果(selection effect)は本論文でこれまで説明してきた仮説を支持する方向に働くであろう。インセンティブ効果の存在により、国際紛争の可能性は政治家が正しい政策のあり方を学ぼうとするインセンティブにはなるであろう。経済成長促進的な政策を学ぼうとすることからの期待収益は、この知識が一国の国際政治上の地位を高めるためにも利用しうるとなれば、ヨリ大きなものとなるだろう。選抜効果はどの政治家が責任ある地位に就くことになるかに影響を与えるものである。強い国家の建設をしっかりと学んでいる政策当局者は、国際政治の舞台においてその立場を固めることになり、国際政治の場で大きな名声を手に入れることだろう。一方で、基本的な経済概念の理解を拒んだり、あるいは理解できない政策当局者によって率いられている国は、自国の国際的な影響力が低下し、場合によっては自国の領土を、そして国家の主権さえも失うということになるであろう。つまりは、国際的な紛争は政策当局者が経済学や国家建設のノウハウを理解するよう促す進化的なメカニズム(evolutionary mechanism)を提供するものなのである。
もちろん、国家の運命や政治家の個人的な私的利益に影響を及ぼす要因はごまんとあるので、インセンティブ効果と選抜メカニズムだけではこの世を啓発された政策当局者の世界に変えることはできない。それにもかかわらず、国際紛争の可能性は政府による経済理解を促すであろうとことは期待できる。さらには、政策当局者の無知によって大域的な(グローバルな)最適を達成できないとしても、国際紛争の可能性は依然として局所的な(ローカルな)最適を達成するインセンティブを強めることだろう。国家建設のための最適な政策が実施されないとしても、効果が観察しやすく短期的な便益をもたらすような経済政策であれば依然として追求されることだろう。
私はこれまで国際紛争での勝利に伴う政治的な便益を強調してきたが、政治家の利益は国際紛争での成功によって反対に害されるということがあるかもしれない。この点はTullock(1987)が論じているテーマである。例えば、国際紛争での勝利は独裁者に異議を唱える軍隊の力を強めることになるかもしれない。さらには、戦争での勝利は国民に幻想(あるいは過剰な期待)を抱かせることになり、政治家の影響力を弱めることになるかもしれない。例えば、第一次世界大戦後に、ウッドロー・ウィルソン大統領はアメリカの国際連盟加盟に関してアメリカ国民を説得することができなかった。第2次世界大戦後に、チャーチルは、戦争に勝利したにもかかわらず、次の選挙では敗北を喫した。しかしながら、これらの事例においても依然として勝利は敗北よりはましに見える―政治家はそもそもこれらのどちらよりも平和であることを望んでいたとしても―。また、これらの例は、たとえ政治家が時に軍事力を戦争に勝利するために使用するよりも戦争抑止のための威嚇として使用することを望んでいたとしても、軍事力増強のために経済成長を目指すインセンティブがあるという本論文の仮説を覆す例ではない。
もちろん、国際紛争だけがまっとうな経済政策の立案・実行のインセンティブになるわけではない。例えば、民主主義的な政府は、しばしば、経済成長を促進するための手段であると言われることがある。民主主義的な政府の機能に関してはこれまでも多くの議論を呼んできた問題であるが、公共選択論は、民主主義的な政府は国民の福祉を最大化するものではないと主張している(Downs, 1957; Buchanan and Tullock, 1962; Mueller, 1979; and Olson, 1982)。投票者は政策の是非を判断するための情報を十分に収集するインセンティブを有しておらず、また投票者は一般国民の声を無視する政治家や官僚―自分の信念にのみ従うあるいは国民の利益に関心のない政治家や官僚―に抵抗する手段をほとんど有していないかもしれない。さらには、投票者が政治家を選ぶ際には、一つ一つの政策ごとに投票をするというよりはむしろ、ひとまとまりの政策パッケージのうちから選択しなければならないので、政治的な競争も不完全なものとなってしまう。投票のインセンティブも歪んだものであるかもしれない。つまりは、投票者が自分の住む地域の公共サービスや自分の住む地域にとって利益となる政策を選好するとなると、投票の最終的な結果は一国全体の利益に反するものであるかもしれない。
3.The economic influence of potential conflict: Examples(潜在的な対立の経済的な影響:いくつかの例)
経済史は国際紛争の可能性が経済政策を改善したと思われる例を大量に提供しているが、ルネッサンス期から17世紀を通じた国民国家の樹立と中世における秩序の崩壊こそは最も明白かつ最も重要な例といえるであろう。この期間を通じて、中世期における分権化された金融と貿易の規制システムが国民経済と強力な国家政府の出現によって取って代わられることになった。Immanuel Wallerstein(1974, 1980)が「近代世界システム」(“modern world-system”)と呼ぶところのものはこの転換期にそのルーツがある。
歴史家の多くは、近代経済と近代国家との樹立は国際的な権力の追求に動機づけられていたと指摘してきた。例えば、近代の西洋史を通じた経済的なパワーと軍事力との共存関係という問題は、最近のポール・ケネディが『The Rise and Fall of the Great Powesr』(邦題;『大国の興亡』)の中で取り組んでいる重要なテーマである。ケネディの研究は西暦1500年から始まり、どの国が他国の犠牲のもとに権力の拡大に成功してきたかを論じている。ケネディの判断によれば、市場経済の勃興は国家権力の拡大を意図した政府によってその存在が容認されたことによっているという。ヨーロッパ各地の政権はしだいに市場経済と共存することを学び、国内秩序と(外国人に対しても)公平な法律制度を保証し、税金というかたちで貿易の繁栄の分け前にあずかることになっていく。・・・ときとしてあまり頭のよくない指導者が―スペインのカスティリャ王国やフランスのブルボン王朝などのように―金の卵を産むガチョウを殺してしまうこともあった。だが、そんなことをすれば富が減り、したがって軍事力も低下することは、よほどの愚か者でないかぎり容易にみてとれたのである。(邦訳, pp.48〜49)
ケネディはまた17世紀後半と18世紀前半における金融革命(financial revolution)の原因を国家建設の試みに求めている。金融革命の過程においては、特にイングランドとオランダ(ネーデルランド)においてであるが、銀行制度や資本市場が創造され、また大規模の国債が発行されることになった。経済史家ら(Dickson, 1967)は、金融革命は、資本の流通を円滑にすることを通じて経済成長を促進する機能を果たすものであり、産業革命が発動するために必要な前提であったという点に同意している。Kennedy(1986: 76)は金融革命の起源に関して以下のように要約している―「ある特定の西洋の国々は、戦争の費用を捻出するために、非常に高度な銀行制度と信用システムの発展を促進したのであった。」
政府は戦費を捻出するために民間部門から大規模な借り入れを行う必要があり、この借り入れを実現するためには富を集中した上でその円滑な流通を可能にするかなり効率的な資本市場が必要であった(Kennedy, 1987: 76-86)。17世紀において、イングランドやポーランドといった国の政府は、国家の地盤を固め、戦争を遂行する能力を高めるために、商業活動を促進し、自由貿易政策を試みたのであった。フランスのように自国内部における銀行制度や金融システムの発展に乗り出さなかった国々は、他国との政治的な覇権争いにおいて不利な立場に立たされていることに後々気づくことになった(Kennedy, 1987: 82-86)。フランスは、17世紀後半と18世紀を通じて、発達した資本調達システムを備えるイギリスに戦争で打ち勝つことはできなかったのである。Kennedy(1987: 84)は、1780年代までの期間にわたって、フランスは借り入れへの利子支払いの面でイギリスの2倍のコストを負担せねばならなかったと指摘している。その理由はフランス国内の信用制度が未発達だったためである。
Sombart(1975)[1913]もまた、彼の資本主義の起源に関する研究の中で、市場経済の発展の原因を政府による戦争遂行意欲に求めている。ゾンバルトによれば、株式市場や銀行、金融制度は政府による資金調達の潜在的な手段としてその発展が促されたのであり(1975: 11, 64-65)、穀物取引は大規模な軍隊を養成するためにその発展が許容されたのであり(1975: 135)、貿易は軍隊を雇用するための税収を獲得する手段として促されたのである(1975: 11)。
Jean Baechler(1975)もまた、国際政治の舞台における「自然状態」(“state of nature”)がヨーロッパの経済発展に果たした役割の重要性を強調している歴史家の一人である。王は、国内的には、言うことを聞かない貴族らをなだめるためにどうしても富が必要であり*7、そのため王は経済の成長に関心を有していた。王はまた、国際政治の舞台における経済的なパワーと政治的なパワーとの関係を理解していた。Baechler(1975: 77)は以下のように指摘している。資本主義の起源とその存在理由(レゾンデートル)とは政治的なアナーキーに負っている。・・・政治的なアナーキーの影響が経済に及んだのである。・・・・当初のうちは、政府(State)は経済成長を促進するために経済活動に介入せざるを得なかった。中世の初期において都市が成長を見せ、また時代を下るにつれてブルジョワ階級の影響力が増大していった理由は、王室が大貴族への対抗力として都市やブルジョワといった新勢力を利用しようと試みたからである。大規模かつ常設の軍隊を自由に動かし得なかったならば、言い換えると、豊富な現金がなかったならば、王は貴族との争いに勝利することはできなかったであろう。・・・同様に、国際政治の舞台においては、主権国家は、過去も現在もともに、自国の政治的な影響力は自国の経済的な重要性が変動するに応じて同方向に変動すると見做している。というのも、一国の政治的な影響力は、かなりの程度において、一国の経済資源の関数であるからである。
もしヨーロッパが中世のように現在も依然としてキリスト教を介して統一されていたならば、自由主義的な経済政策を実施し、自由貿易を促進するインセンティブはずっと弱かったことであろう。現実には国際紛争の可能性があったおかげで、政治家が自国民に便益を提供するよう動機づけられることになったのである*8。ベシュレル(Baechler)はまた、ヨーロッパ―共通の文化的紐帯と国際政治のアナーキーとが結びついて資本主義と経済的な繁栄を生み出すことになったヨーロッパ―と世界の他の地域とを比較している。例えば、Baechler(1975: 82)は、異なる政治単位間での競争の欠如が中華帝国(Imperial China)において資本主義が発展し得なかった理由なのではないかと主張している。実際にも中国が政治的に分割される度に、資本主義が繁栄する兆しを見せ始めたが*9、しかしながら、中国は、結局のところは過剰な中央集権主義(centralization)の方向に向かうことになり、ローカルレベルでの自由化に向けた動きにプレッシャーをかけてその動きを抑制することになった。
政治的なパワーと市場の発展との結び付きは、近代の歴史家のみが解釈・理解しているわけではなく、当時の多くの文筆家によっても同様に理解されていた。私がかつての論文で主張したように(Cowen, 1986)、17世紀における自由主義(liberal)と自由貿易思想の台頭は、国家建設の意欲と国家権力の拡大意欲とに動機づけられたものであった。例えば、重商主義者であるニコラス・バーボンは、国家権力と交易・貿易(trade)の勃興との結び付きを明らかにしている。例えば、Barbon(1690, preface)は、交易が勃興し、経済的な繁栄が達成されたのは、政府による軍事的な必要性を満たすためであったと主張している。弾薬や大砲―その素材は、すべての国々において見出されるとは限らないような鉱物、例えば鉄、真鍮、鉛、硝石、硫黄などで造られ、従ってこれらが不足している処では貿易 Traffick によって確保されねばならない―を導入して以来、交易は現在では国家 Governments を富ませるのに役立つと同じように、国家を維持するのにも必要となっている。(邦訳, 序文, pp.5)
Barbon(1690; 39-41)は、彼が交易の便益(benefits of trade)と考えるものを以下のように3点列挙している。1) 交易は政府の収入を増加させる、2) 交易は国防を整えるために必要である、3) 「交易の最後の利益は、それが帝国の拡大に資しうるということである。そしてもしも世界帝国または広大なひろがりをもつ版図が再び世界に興起しうるものとすれば、それはおそらく交易の助けによって・・・なしとげられると思われる」(Barbon 1690: 40-41;邦訳, pp. 32)。バーボンは、世界帝国樹立の野望を持つ王子は交易の促進のためにできることはすべてやるべきであると主張している。
国際的な権力の追求に動機づけられて経済政策が改善を見た例というのは西ヨーロッパだけに限られるものではない。例えば、1861年におけるロシア経済の改革と農奴開放は、部分的にはクリミア戦争での屈辱を挽回したいとの動機によって誘引されたものであった(Skocpol, 1979: 84-85)。Skocpol(1979: 84)は以下のように指摘している。これまでのロシアの歴史と同様に、軍事力の後進性の認識が、ロシア皇帝(tsar)の権威を後ろ盾とした帝政ロシア政府による上からの一連の改革の引き金となった。改革の意識的な目的は、ロシアを超大国(Great Power)にするという使命の下に、ロシア社会を、危険な水準の政治的な不安定につながらない程度の範囲で、再構成する―自由化する“liberalize”―ことであった。
明治維新後の日本において採用された経済成長促進的な経済政策もまた国際的な権力の追求に動機づけられたものであった(Baechler, Ch.7; Norman, 1940; and Kennedy, 1987)。Kennedy(1987: 207)は、明治維新後の日本の経済発展を支えたスローガンが「富国強兵」(強力な軍隊を有する豊かな国 “rich country, with strong army”)であったことを指摘している。
現在の中国とソ連とにおいてみられる経済自由主義への方針転換は、国際紛争の可能性の効果を示す近年の例であるのかもしれない。この両国においてヨリ自由な市場に向かおうとする変化の背後で強く働いている動機は、国際的な影響力を得たいという欲求であるように見える。先進的な生産技術や成長する資源ベース、訓練された科学者、大きな富のプールといったものがなければ、いかなる国も国際的な影響力という点でアメリカや日本、ヨーロッパに対抗することはできないであろう。ソ連は、支援として提供できるものが軍隊しかないために、多くの第3世界の国々に対する影響力を失ってきた。一方でアメリカは支援として貿易も軍隊もともに提供することができる。さらには、中国の自由化に向けた動きは、ソ連に対して「中国がアジアにおける支配的なパワー(dominant power)となってしまうのではないか」との焦りを引き起こしてきた。ソ連経済と中国経済の近代化と経済自由化とは、部分的に国際的な影響力と国際的な権力を保持・拡大したいという欲求に動機づけられているように見えるのである。
以上の分析は、ソ連や中国の多くの指導者たちがそれぞれの国民の生活水準の向上を目的とする慈悲深い公僕であるという信念と対立するものではない。彼ら指導者が利他主義者であったとしても、ソ連政府と中国政府の多くの部門(で働く官僚ら)は国家建設と国際的な権力の追求によって動機づけられている。もし利他主義的な指導者が採用する博愛主義的な政策が意図しないかたちで国家の軍事力強化という効果をも有するならば、その分だけ利他主義的な指導者は容易に政府部門からの支持を勝ち取ることができるであろう。
国際紛争が政府の政策に及ぼす影響に関する最後の例は、近年の歴史(recent history)からではなくて遠い過去(distant past)の事実に関するものである。その起源を19世紀の社会学にまで遡るある理論によると、組織化された政府の起源はレントシーキング*10と結び付けられており、戦争政府(war government)は国内外での略奪を目的として形成されたということである。他の社会や他の部族に勝利することの魅力が組織化された政府の発達や政府による統制への原動力となったというのである*11。この理論をオリジナルな形で受け入れている文化人類学者は現代ではほとんどいないが、政府形成の背後に征服動機があるという点は文化人類学的な説明において共通のテーマであり続けている(Fried, Harris, and Murphy, 1968)。
4.Other forms of international competition and cooperation(国際的な競争/国際的な協調の他の形態)
暴力や暴力の脅威だけが諸国家にとって利用可能な競争の形態なのではない。他国から強制的に資源を奪い取るよりもむしろ、諸国家は自国内の経済的環境を魅力的なものに整備することによって、資本や労働の国内流入を促そうと試みるかもしれない。例えば、Tiebout(1956)は、資源の移動が容易であり十分な数のコミュニティーあるいは政府が存在するならば、分権的な意思決定は公共財の最適な供給に落ち着くだろうと主張している。コミュニティー(あるいは国家)はそれぞれに多様な公共財を供給し、個々人は、各政府の役人が地域住民の欲する公共財の組み合わせを供給することを望みながら、足による投票を通じて自らの選好を表明するというのである。このティブー流の解決策は、まっとうな経済政策を実現するにあたって、個々人の自発的な移動を利用するものであり、国際紛争を暴力で解決することに伴うコストを負う必要がないという利点を備えている。
しかしながら、ティブー流の解決策は、ある特別な仮定が成立する場合にのみ、政策当局者の行動を効果的に制約し得るものである。移動の自由に対する多くの障害―障害には言語やその地域に特有な慣習、コミュニティーに関する詳細な知識などが含まれる―や移民に対してしばしば設けられる法的な規制は、ティブー流の競争の有効性を大いに削ぐことになるであろう。Stiglitz(1977)は、ティブーのモデルに含まれる別の問題点を指摘している。スティグリッツによれば、例えば、あるケースでは、あまりにもコミュニティーの数が多すぎる(時にはコミュニティーの数は社会における個人の人数と同数になる)ために競争が有効に働かないことがあるというのである。また、他のケースでは、個々人の移動の結果として規模の経済のロスが生み出されることになるというのである。また、スティグリッツは、非ティブー的な世界からティブー流の最適な配分に移行する際に起こってくる問題にも検討を加えている。スティグリッツは、最適な配分へ移行するためには、皆が同時に移動するか、あるいは、あるグループが他のグループの移動を促すために補償をする必要があるかもしれないと述べる。
まっとうな経済政策を実現するにあたっては、レントシーキング的な競争*12とティブー流の競争に加えて、国際社会が協調的な戦略を採用するという方法もあるかもしれない。貿易や海外投資を通じた経済的な相互依存の高まりは、互いの国が取引相手国の生存と繁栄に強い関心を持つようになり、安全や安定につながることになるかもしれない(Rosencrance, 1986)。貿易と世界平和との結び付きは古典的自由主義哲学において繰り返し論じられてきたテーマであり、しばしば貿易自由化を正当化する議論として言及されてきた(Silberner, 1946)。
外生的に与えられた経済的な相互依存の高まりは平和の促進につながるだけでなく、相互依存の高まりの結果として得られる安全性の向上それ自体がインセンティブとなって政治家に対して経済成長促進的な経済政策を採用するよう動機づけ、その結果として経済的な相互依存が高まるということになるかもしれない。豊富な資源も密な貿易関係も持たない貧しい国にとっては、どの国もこの貧国の生存に関してそれほど強い経済的な利害を有しないために、経済的な相互依存の高まりを通じた安全性の向上を実現することは困難なものとなるかもしれない。経済的な相互依存関係がなければ、ある国は他国との間に信頼に足る同盟関係を締結することができずに侵略的なレントシーキングのターゲットとなってしまうかもしれない。
ティブー流の競争と同様に、経済的な相互依存の高まりを通じた協調戦略の採用は、非常に大きな便益を提供することになるかもしれないが、政治家がまっとうな経済政策を採用するための十分なインセンティブを提供することになるかどうかは微妙なところである。例えば、相互依存を促進する開発戦略は、各種の証拠から判断すると―多くの証拠によると、国内消費の犠牲の下に過剰なかたちで輸出に補助金を供与するというかたちをとっているようである―、経済厚生を最大化するとは限らないということになろう。さらには、他国との経済的な結び付きは時に安全性の低下につながることもある。というのも、豊富な資源と貿易ネットワークを有する国は、他国にとっては魅力的な侵略のターゲットとなるためである。例えば、中国への香港返還は、香港が外部世界と有する幅広いネットワークゆえに、中国政府にとっては特別な価値を有していたであろう。
5.Concluding remarks(結論)
対立の可能性を秘めた世界秩序の経済効果を考察してきた結果として、戦争の解決を意図した諸提案につきまとう問題が明らかになる。例えば、国際平和を希求する提案の多くは、国家主権(national sovereignty)に対して法的制約を課すことをその内容としている。このような提案としては、世界政府の樹立から国家間の法的紛争を調停する国際司法裁判所(World Court)の権限拡大に至るまで多彩である。Edward McClennar(1986: 400-401)は、“Tragedy of National Sovereignty”の中でこれらの提案に共通する態度を以下のように表明している。
私は信じるのであるが、国家間のやり取りを統治し、その統治が適切な強制力を有する国際的な組織によって裏付けられるであろう新たな権利のシステムが待たれている。・・・諸国家は、互いの国に対する基本的な権利と義務の体系に基づきながら、法の執行や紛争の調停が強制的な力の裏付けを持つ国際的な秩序によって担われる国際的な共同体を生み出さざるを得ないであろう。
万が一世界政府の樹立に成功したとしても、その結果として深刻な経済的コストが生じることになるかもしれない。世界政府が樹立されて国際紛争の可能性がなくなれば、政府が国民の福祉を増進するような経済政策を立案・実施するインセンティブが弱められることになるかもしれない*13。国際秩序を改革するにあたっては、安全(security)の問題だけでなく、国際秩序の改革の結果として政治的なインセンティブと一国内の経済政策がいなかる影響を被ることになるかについても検討しなければならないのである。
同様の議論はメンバー国の防衛の必要性を低減させることになる政治的な連合や同盟のケースにも適用できるであろう。そのような仕組みは経済成長を刺激する政治的なインセンティブを弱めることで実際にもメンバー国内の経済的な停滞を招くことになるかもしれない。この分析が示唆するところは標準的な理論―政治同盟が国家防衛という公共財の供給に与える影響を分析する理論(Olson and Zeckhauser, 1966)―と著しい対照をなしている。政治同盟は国際的な公共財を提供すると同時に一国内の経済政策に対しても重要な影響を与えることになるかもしれないのである。
対立の可能性を秘めた世界秩序が生み出す経済的なインセンティブを認識することで、なぜ対立を解消することが単に囚人のジレンマ的状況において非効率的な均衡に陥ることを回避する以上に困難な問題であるのかを理解することができるようになる。対立なき世界は好ましいと主張するだけでは十分ではない。我々は、国際紛争なき世界において、いかにして政治家に対して経済成長促進的な経済政策を立案・実施する十分に強いインセンティブを提供したらよいかという問題にも同時に取り組まなければならないのである。
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タイラー・コーエン(Tyler Cowen)といえば、世界的にも有名な経済学系ブログ Marginal Revolution の運営者の一人であり、ネットを介してその名前を目にしたことのある方も多いことかと思います。つい先日のことですが『Discover Your Inner Economist』の翻訳『インセンティブ』が出版されたばかりですが、現時点では、日本語で読めるコーエンの本はこれ1冊だけです。コーエンの研究内容を日本語で知る術はかなり限定されている現状でございます(ishigakitakashiさんがコーエンの文章“The Fate of Culture”を訳されています)。どなたか風変わりな方が「コーエンの経済学」というようなタイトルの論説なり論文なりを書いていただければ非常にありがたいところではあるのですが・・・。
そこで微力ながらも、私自身の英語力強化も兼ねまして、コーエンの論文をちょこちょこと訳して彼の議論を紹介していくことにしました(コーエン以外も訳す予定ですけど)。計画では少なくともあと2つの論文、「中東和平に向けたロードマップ? 〜公共選択論の観点から〜」/「『政治の失敗』の源泉としての自己欺瞞」、の訳を予定しております。絶対に訳すかどうかは保証できませんが。
ここに訳出しました「対立の可能性を秘めた世界秩序の経済効果」に関して1点だけ注意を。
本論文でコーエンが言いたいことは「戦争万歳!!」ということでは決してございません。「戦争の薦め」として受け止めるのは間違いであります。
あくまで戦争(国際紛争)と経済成長との関係を、経済政策を立案する政治家のインセンティブに着目することで、分析しているにすぎません。イントロダクションでコーエン自身が触れているように、本論文は「私悪すなわち公共善」(“private vices, public benefits”)の一事例を提供することを意図しているのであり、権力に魅せられる政治家の「私悪」が意図しないかたちで一国の経済成長という「公共善」を招く可能性がある、ということを指摘しているわけであります。
また本論文は「まっとうな経済政策をいかにして実現するか?」との問題提起を行っているとも見做すことができるかもしれません。特に「民主主義体制下でいかにしてまっとうな経済政策を実現するか」という問題提起です。文中でコーエンが触れているように、民主主義下においてまっとうな経済政策を実現することはそうそう容易なことではないのかもしれません。
「もちろん、国際紛争だけがまっとうな経済政策の立案・実行のインセンティブになるわけではない。例えば、民主主義的な政府はしばしば経済成長を促進するための手段であると言われることがある。民主主義的な政府の機能に関してはこれまでも多くの議論を呼んできた問題であるが、公共選択論は、民主主義的な政府は国民の福祉を最大化するものではないと主張している(Downs, 1957; Buchanan and Tullock, 1962; Mueller, 1979; and Olson, 1982)。投票者は政策の是非を判断するための情報を十分に収集するインセンティブを有しておらず、また投票者は一般国民の声を無視する政治家や官僚―自分の信念にのみ従うあるいは国民の利益に関心のない政治家や官僚―に抵抗する手段をほとんど有していないかもしれない。さらには、投票者が政治家を選ぶ際には、一つ一つの政策ごとに投票をするというよりはむしろ、ひとまとまりの政策パッケージのうちから選択しなければならないので、政治的な競争も不完全なものとなってしまう。投票のインセンティブも歪んだものであるかもしれない。つまりは、投票者が自分の住む地域の公共サービスや自分の住む地域にとって利益となる政策を選好するとなると、投票の最終的な結果は一国全体の利益に反するものであるかもしれない。」
コーエンが以上で指摘している問題点を解決することも確かに重要ですが、また「政治家や政策立案者が経済学(を含む専門知識)を尊重し、経済学(を含む専門知識)を真摯に学ぼうとするインセンティブをいかにして提供したらよいか*14? 国際紛争のような莫大なコスト負担の可能性がある手段に頼ることなく、いかにしてまっとうな経済政策を実現したらよいのだろうか?」という問題への対応も考える必要があるでしょう。
「我々は、国際紛争なき世界において、いかにして政治家に対して経済成長促進的な経済政策を立案・実施する十分に強いインセンティブを提供したらよいかという問題にも同時に取り組まなければならないのである。」
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*1:原注;Angell (1933)とKnight (1936)は、戦争に対する強力な批判の書である。戦争のコストは、レントシーキングの概念を用いて解釈し直すこともできよう。 Tullock (1967), Buchanan, Tollision, and Tullock (1980), Bhagwhati (1982), Olson (1982), Tollison (1982)はレントシーキング理論を幅広い観点から論じている。私自身は、国際紛争は意図しないかたちで便益を生み出すかもしれないと考えているので、国際紛争は純粋なレントシーキングのケースにはあたらないとの立場である。Cowen, Glazer, and McMillan (1988)では、レントシーキングの意図せざる便益に関してヨリ幅広い観点から論じている。戦争や国際紛争をレントシーキング理論の観点から解釈する立場とは対照的に、Friedman (1977)は、国際紛争は準市場的な(quasimarket)仕組みを通じて解決されるだろうと主張している。フリードマンのこの議論についてはappendixで検討を加えることにしよう。 国際紛争の経済的便益を強調する論者は、通常技術面での便益あるいはスピルオーバーの便益―軍備への支出や軍事研究から派生して表れる便益―に焦点を当てている。Nef (1952)は、戦争や軍備への支出が技術進歩を促進するとの立場に立つ思想の歴史を検討している
*2:原語はnational popularity
*3:他者と比べて相対的に有利な立場に立ちたいということ。例えばAさんよりも高い所得を得たい、Bさんよりも高い車を持ちたい等。
*4:原注;自動的な税収最大化(automatic revenue maximization)論への批判は、労働市場における賃金稼得者の例を用いてアナロジカルに説明することができるであろう。労働者は、レジャー活動(レジャーの増加は労働時間の減少というかたちをとる)や仕事上での消費(例.昇進の可能性を高めるよりもむしろ、自分が面白みを感じる仕事上の課題に時間を費やしたり)にも興味を持っていることもあって、家に持ち帰る収入を最大化することはないだろう。しかしながら、市場における支出機会が増大すれば、労働者は仕事にヨリ努力を傾注したり、ヨリ長い時間働いたりするであろう。しかし、労働者の労働供給曲線が後方に屈折しているならば、この結果は必ずしも成り立たないだろう。労働者の労働供給曲線が後方に屈折していれば、支出機会が増大することでヨリ少ないお金でヨリ多くの目的を達成することができるようになることから、労働者の労働時間は短くなるだろう。
*5:原注;Tullock (1987)は、専制君主(absolute dictators)でさえも政治的な支持を取り付ける必要があり、専制君主が自らの望む政策を立案・実施するにあたっては政治工作に乗り出して協力者を説得しなければならないと主張している。
*6:原注;政治家、あるいは独裁者が、税収の最大化を試みない別の理由があるかもしれない。政府の財布に入ってくる収入は必ずしも経済政策を決定する個人が自由にコントロールできるものではないかもしれない。政府の収入が増加しても、その増加した収入は自動的に官僚のコントロールするところとなったり、特定の支出プログラムに使われてしまったりして、政策立案者には直接的な便益を一切もたらさないかもしれない。さらには、長期的な税収を最大化するインセンティブは、民主主義体制下や独裁制下におけるよりも、安定した世襲的な君主制(hereditary monarchy)下においての方が大きいかもしれない。というのも、世襲的な君主制の下では、支配者の視野がヨリ長い(=将来利得の割引率が小さい)からである (この点はゴードン・タロックのアドバイスによっている)。もちろん、政治家が自国の生産物が(紛争に敗れる結果として)他国に略奪されるかもしれないと考えているとすれば、国際紛争は政治家をして税収の最小化に向かわせる可能性もある。 それゆえ、国際紛争のインセンティブ効果が働くためにはやがて来る紛争で敗北を喫するかもしれない確率が十分小さい必要があるかもしれない
*7:お金で忠誠心を買うということでしょう。
*8:原注;Wallerstein (1974, 1980)とBraudel (1984)では、国家権力と資本主義の勃興との関係についてのまた違った視点が論じられている。ウォーラーステインは、資本主義に有利な状況を作り出すにあたって国家建設が果たした役割を強調している。彼は、国家建設の過程で、市場の統合と輸送ネットワークの建設、交易への中世的な制約の撤廃が行われたとしている。公共部門が慎重に意図して貿易の勃興を後押ししたと考えたバーボンとは違って、ウォーラーステインは資本主義を国家建設の意図せざる副産物であると見做している。Braudel (1984) は、「国際貿易=国家権力を建設する手段」として捉えた上で、政府が国際貿易の推進に果たした役割を強調している。ポルトガルやオランダ、イングランドといった国々は、国家の規模が小さく、また資源が乏しかったために、国際政治の舞台で強い立場に立つためには、貿易ネットワークを発展させる必要があった。ブローデルは、大規模な国際貿易は西ヨーロッパが資本主義的なテイクオフを実現するための重要な前提条件であったとしている。ヨーロッパの経済発展に関する関連する議論としては、他にもLane (1979)やNorth (1979)がある。また「自由貿易帝国主義」( "imperialism of free trade") に関する文献(Semmel 1970, Louis 1976)もまた本論文の議論と関連するものである。この方面の文献では、ヨーロッパの自由貿易政策は、しばしば、帝国主義的な意図によって動機づけられていたと論じられている。 Knorr (1944) は、「自由貿易帝国主義」に関する初期の、しかしながら包括的な研究であり、Knorr (1975)は経済的な繁栄と権力との現代的な関係を分析している。
*9:原注;Baechler (1975: 82)は、 その著書の中で、8世紀の後半期から13世紀までにわたる唐の終焉を挟んだ宋の時代、春秋戦国時代(453-221 B.C.), 三国時代 (A.D. 220-280), 五胡十六国の時代 (A.D. 316-580)を引用している。 Balazs (1964) は、中国の歴史における政治的な分権化と経済成長との関係を論じている。
*10:この論文では、「レントシーキング」は、暴力を用いて力づくで他国から資源を奪い取るという意味で使われているようである。
*11:原注;Herbert Spencer (1896), Ludwig Gumplowicz (1899), Franz Oppenheimer (1914) はこの伝統的な理論の中でも特に重要な著作である。Carneiro (1970)は、これらの伝統的な理論と現代の文化人類学における発見とを統合しよう試みている。Fried, Harris, and Murphy (1968)とHallpike(1973)とは、戦争の便益に関する他の文化人類学的な諸理論を議論している。
*12:注10を参照のこと。
*13:原注;世界政府が樹立されることになるならば、各国で実施される政策は、各国ごとの中位投票者(median voter)の選好ではなく、むしろ世界全体の中位投票者の選好を反映するものになるであろう。各国の政策が、各国ごとの中位投票者の選好から世界全体の中位投票者の選好を反映するようにシフトする結果として、公共財の非効率的な供給と豊かな国から貧しい国への過剰な富の再分配という事態が生じる可能性がある。
*14:もし過去の政治家が、例えば明治期の政治家が、現在と比べて優秀に見えるとすれば、それはそもそもの能力の違いという側面もあるのかもしれませんが、インセンティブの違いの表れといった側面もあるのかもしれません。国際紛争の可能性が現在と比較できないほど高かったがために、国を富ませる必要性もそれだけ高く、その結果経済の基本を理解しよう・学ぼうというインセンティブが高かったということなのかもしれません。「平和ボケ」というのは軍事面にだけ表れるのではなく、意外なところでもその効果を表すものであるのかもしれません。