出口の抜け方


7月12、13日に開催された金融政策決定会合での決定は、前回と同様当座預金残高目標を30〜35兆円に維持するとともに、俗に言う「なお書き修正」として、金融機関の「資金需要が極めて弱いと判断される場合には」残高目標の下限割れも容認する姿勢を引き継いだ形となっている。果たして下限割れ容認は量的緩和政策解除への地ならしを意味するのだろうか。量的緩和の出口は間近なのか。「出口政策」について冷静に、現実的なものとして考えるべき時のようである(総裁定例記者会見において記者の「金融経済月報の中で「供給オペに対する札割れが続く」という表現があるが、札割れが頻発すると量的緩和政策の目標を維持できないはずである。今回このように表現された理由について、何がしかの下ごしらえの意味があるのか。総裁の言葉で言えば「積み残しがある」かのようなイメージを受けるが如何か。」との質問に「私どもとしては、5月20日金融政策決定会合で「なお書き」を修正して、流動性需要が著しく減退しているような場合に一時的な目標値の下限割れがあるということを決定したわけである。現にその方針のもとに金融調節を行ってきているわけであるから、その後の市場状況を述べる場合に、札割れ現象にまったく触れないでいくことはあまり正直ではないだろうと思う。記者の皆様や私どものように札割れ現象という言葉を既に何回も耳にしている人達と違って、金融経済月報は一般の方々にも読んで頂くわけであるので、札割れという現象が一度も表現されたことがないというのは、むしろおかしいということである。それ以上の深読みは明らかに深読みであり、それ以上の意味は一切ない。」と答えており、この総裁の言葉をそのまま信じれば「出口」はまだまだ先のようではあるが・・・)。


量的緩和政策の解除条件として日銀は3つの条件を挙げている。

1.直近公表の消費者物価指数の前年比上昇率が、単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できること

2.消費者物価指数の前年比上昇率が、先行き再びマイナスとなると見込まれないこと(政策委員の多くが消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していること)

3.量的緩和政策を継続することが適当であると判断されるような経済・物価情勢が見受けられないこと


この3条件が満たされた場合、量的緩和政策は出口を迎えることになる。量的緩和という異常事態から金利コールレート)を操作目標とする正常な、また伝統的な金融調節へ。終着点ははっきりしている。しかしながら、その道程ははっきりしない。当座預金残高目標を徐々に減額していくのか、それとも一気にゼロ金利解除に踏み込むのか。果たしてどれだけのスピードで出口を駆け抜けていくのだろうか。

安達誠司著『デフレは終わるのか』を参照して量的緩和解除の具体的プロセスを考えてみよう。


デフレは終わるのか

デフレは終わるのか


安達氏は植田和男・日銀審議委員(当時)の2004年5月26日の日経CNBCの番組上での発言から出口政策のプロセスを3段階にまとめている(p77)。

1.量的緩和の解除

2.量的緩和と通常の金利政策との過渡期の政策運営

3.平時の金融政策運営


2の過渡期においてゼロ金利を維持するか(量的緩和→ゼロ金利→通常の金利政策)、それともゼロ金利を解除してコールレートの変動(上昇)を認めるか(量的緩和→通常の金利政策)。前者はスロースピードの出口政策であり、後者はハイスピードの出口政策といえよう。間にゼロ金利を挟むということは、当座預金残高を徐々に減額していくことを意味しており(所要準備を上回る超過準備を容認)、一気に通常の金利政策に回帰することは超過準備を一挙に放出する(当座預金残高を所要準備の水準まで圧縮する)ことを意味している(積み進捗率の調整によりコールレートを操作するためには支払準備は所要準備の近辺にある必要がある。大幅な超過準備が存在する状況ではコールレートは低位で安定したままのはずである)。ハイスピードの出口政策を実施するためには、日銀は大規模の売りオペにうってでるか準備預金率を大幅に引き上げなければならない(超過準備は30兆円近くに上る)。安達氏は実行可能性の観点からハイスピードの出口政策に対し否定的な結論を下している(「金利政策への回帰」を出口と位置付けるならば、金利政策への回帰のための必要条件である「余剰準備の解消」が大きなネックとなるため、実現は実質的にはほぼ不可能であると結論付けられる。」(p103))。


そもそも現在は「出口政策」に乗り出すべき時なのだろうか。安達氏は、テイラー・ルールやマッカラム・ルールによる現状の金融政策の評価、1936〜37年にアメリカで実施された「出口政策」の歴史を踏まえて次のように述べる(アメリカの前例から4つの教訓を引き出しています)。

当時のアメリカにおける一連の政策パッケージは、2003年5月以降の大規模な円売りドル買い介入とそれに付随した量的緩和の拡大というわが国のデフレ圧力解消局面に酷似していると考えられる。このことはリフレ派が想定しなかった「レジーム転換なしのリフレ政策」でもいったんは、デフレ圧力の解消が可能であることを示唆している。だが、「レジーム転換なしのリフレ政策」はどうしても「早すぎる出口政策発動」の誘惑を断ち切ることが困難なようである。この点については、現在の日本も同様のケースである可能性が高く、「早すぎる出口政策」が今後のリスクとなる可能性は棄て切れない。(p92)


デフレを解消することへの明確なコミットメントが無い状況(経済主体のデフレ期待転換への働きかけが無い状況)で自然治癒を果たした1937年のアメリカ経済は「出口政策」に乗り出して失敗を犯した。私が言えることは、出口の先に広がる景色ばかりに気をとられて道中石に躓かないよう注意してください、ということだけである。