FTPL


●土居丈朗“「物価水準の財政理論」の真意(pdf)”(土居丈朗のサイトより)。


FTPL(Fiscal Theory of the Price Level;物価水準の財政理論)は、「物価変動は貨幣的な現象ではなく財政政策による現象である」ことを主張するものである。

物価水準の財政理論によると、物価変動は財政政策、なかんずく国債残高の多寡によって起こり、通貨供給量は影響を与えないとみる。さらに言えば、この理論が成り立てば、国債発行額自体が物価変動に影響を与えるのであって、国債の日銀引受けや日銀買いオペ(に伴う通貨増発)は物価変動には何も影響を与えない、とも主張する。


政府の予算制約式は、

名目税収+名目公債発行額=名目公債費+名目一般歳出    
→名目公債費−名目公債発行額=物価水準×実質PB(税収マイナス一般歳出)

と表現され、この予算制約式を満たすように物価水準が決定される。

予算制約式が満たされない=政府による債務不履行と同値であるから、財政の破綻を避けようとするならば上記の予算制約式は満たされねばならない。実質表示のプライマリーバランスの赤字額が名目国債発行額を上回る時には物価水準が下落する(デフレ)ことによって、また反対に後者が前者を上回る時には物価水準が上昇する(インフレ)ことによって予算制約式の左辺と右辺の等式が維持されることになる。

実質一般歳出の増加や実質税収の減少が名目公債発行額の増加に比してより大きい状況が続く限りデフレは続くことになる。つまり、デフレが続くか否かは、政府の財政運営次第である。


デフレは、追加的に発行した国債の利払い償還の時期が訪れ、予算制約式の左辺にある名目公債費が増加することによって解消される(実質PBや名目国債発行額が公債の追加発行前後で変化しない時)。「物価水準の財政理論が成り立つとき、追加的に公債を発行する時点で物価水準は低下し、その利払償還の時点で物価水準は上昇する」。

是非とも注意せねばならないことは、物価水準の財政理論=物価変動に対する金融政策の無効性を立証する議論、と捉えることは極端な(あるいは歪曲された)単純化であるということである。名目国債発行額のみによって物価水準が決定されるという議論の背後には金融政策運営に関するある仮定が存在する。「日本銀行の金融政策は、政府の財政政策に対して従属的で、名目金利をターゲットにして通貨供給量を調節している」「名目利子率をターゲットにして金融政策を実施している」という仮定である。中央銀行通貨供給量を、あるいはマネタリベース(当座預金残高)を操作目標として金融政策を運営しているならば、結論は若干変ってくる。

名目公債残高を増やすこととマネタリー・ベースを増やすこととはほぼ同義であることがわかる。さらに言えば、マネタリー・ベースは中央銀行の負債であるから、広義の政府債務であるとみなすことができるから、そうみなしても名目公債残高を増やすこととマネタリー・ベースを増やすこととはほぼ同義であるといえる。このことから、財政理論に基づいて考えても、マネタリー・ベースは物価水準に影響を与えるということができる。


物価水準の財政理論というネーミングは誤解を招きかねない点がある。政府発行の国債は償還期限のある負債であり、日銀の発行する日本銀行券は償還期限のない負債である。政府と中央銀行を一体として捉えれば(統合政府)、政府負債の発行額が物価水準を決定しているわけであるから(「名目公債残高を増やすこととマネタリー・ベースを増やすことはほぼ同義であるといえる」)、物価水準の財政理論(FTPL)というよりは物価水準の負債理論(Debt Theory of the Price Level;DTPL)と呼ぶほうが適当ではなかろうか。


最後に土居先生からの貴重なお言葉。

財政理論の見方を、とかく物価変動について金融政策が無力であるかのように悪用する向きがあるが、それは論理的にも誤りである。・・・物価水準の財政理論は、物価変動について金融政策が無力であることではなく、物価水準の変動は財政金融政策のスタンスが影響を与えることを示唆している。量的緩和政策を積極的に行わないことによって、デフレ対策を主に財政政策だけに依存する風潮がある今日において、物価水準の財政理論をその論拠としないように、国民が見守らなければならない。