「ストーリーを疑う;ストーリーとうまく付き合う方法(1)」


コーエンのTED講演を訳してみる。5回くらいに分けて訳す予定。所々こちら側で勝手に言葉を補ったり付け加えている箇所もあるのでそのあたりよろしゅう。

何の変哲もない普通の時代にあっては経済学者のブログが大きく注目されることはおそらくないでしょう。しかしながら、これからお話をしていただく講演者が運営されておりますブログ Marginal Revolution は大変な人気を博しております。また、この講演者はニューヨークタイムズ紙のEconomic Scene欄にも定期的に記事を寄稿されております。本日は大停滞(Great Stagnation)とその後の世界についてご説明をしていただくべくこちらまでお伺い願いました。本日の講演者はこの方、タイラー・コーエン(Tyler Cowen)氏です。

ストーリーについて話してくれないか、との依頼を受けまして今日はこうしてこちらまで参ってきたわけですが、これからお話しさせていただきたいと思っておりますのは、当初の依頼とは少しばかりずれてしまうかもしれませんが、なぜ私はストーリーに対して疑いを抱いているのか、なぜストーリーは私をナーバスにさせるのか、ということでございます。実のところを言いますと、私の気持ちを鼓舞するようなストーリーであればあるほど私はますますナーバスになるのであります。最も優れたストーリーこそがしばしば最も油断ならない(the best stories are often the trickiest ones.)というわけです。ストーリーのいい面である同時に悪い面でもあるのですが、ストーリーというのは一種のフィルターのようなものです。多くの情報の中からあるものは排除し、あるものは取り込んで残す、そういったフィルターのようなものです。ただ、このフィルターは常に同じ(似たような)情報だけをそのうちに取り込むといった特徴があります。そのために、我々の手元に残るのはシンプルな少数のストーリーということになってしまうわけです。古い格言に、どのようなストーリーも「見知らぬ人が街にやってきた」("A stranger came to town")といったかたちに要約することができる、というものがあります。また、クリストファー・ブッカー(Christopher Booker)は『The Seven Basic Plots: Why We Tell Stories』の中でストーリーは7つのタイプに分類できると述べております。ストーリーは、怪獣征服(overcoming monster)、成り上がり(rags to riches)、探求(quest)、旅と帰還(voyage and return)、コメディー(comedy)、悲劇(tragedy)、再生(rebirth)、の7つのタイプに分類できるというのです。ブッカーによるこの分類をそのまま受け入れる必要はございませんが、ポイントはこういうことです。ストーリーを通じて思考している時(if you think in terms of stories)、あなたは自分自身に対して何度も何度も繰り返し同じことを語りかけているのだ、ということです。

さて、スクリーンをご覧いただきたいのですが、人々に自分自身の人生を表現するとどうなるかを尋ねた研究がございます。面白いことに、「ごちゃごちゃしていてとっ散らかっている」("mess")と答えた人はほとんどいないということです。おそらく"mess"というのが人の人生を表現するものとしてはベストアンサーだと私は思うわけですが、ただ"mess"といっても別に悪い意味を込めているわけではございません。"mess"というのは、何ものにも囚われず解放的である(liberating)ということでもあり得ますし、あれこれと何でもすることができる(empowering)ということでもあり得ますし、"mess"であることであれやこれやの多くの強みに頼ることができる可能性があるわけですから。しかしながら、(回答者のうち)51%の人は「私の人生は旅である」(" My life is a journey.")と答えております。この51%の彼や彼女は自分の人生を一種のストーリーに読み替えたがっているわけです。11%の人は「私の人生はバトルである」("My life is a battle")と回答していますが、これもまた一つのストーリーです。8%の人は「私の人生は小説である」("My life is a novel")と回答し、5%の人は「私の人生は劇である」("My life is a play")と回答しております。「私の人生はテレビのリアリティ番組である」("My life is a reality TV show")なんて答えた人がいるとは思いませんが、それはともかく、私たちは自らが観察するごちゃごちゃしてとっ散らかっている状況や姿に何らかの秩序を押し付けようとする傾向があり、その秩序というのは同じパターンをとりがちなわけです。そして、何事かがストーリーのかたちで伝えられる時には、しばしばその何事かは思い出すべきではないのに思い出されることがあったりします。ジョージ・ワシントンGeorge Washington)と桜の木のストーリーについてはみなさんご存知でしょうけれど、あのストーリーが事実かどうかは実は明らかではありません。ポール・リビア(Paul Revere)に関するよく知られたストーリーも果たして事実かどうか明らかではないのです。ここで繰り返しておきます。ストーリーに対しては疑いの目をもって臨むべきなのです。私たちはストーリーに反応するように・惹きつけられるように生物学的にプログラムされています。ストーリーはその中に多くの情報を含んでおり、また、自分と他人とをつなぐソーシャル・パワー(social power)を備えています。ストーリーというのは、我々が政治に関するニュースを聞いたり、小説を読んだりする時に与えられる一種のあめ玉のようなものです。ノンフィクション作品を読む時にもまた我々はストーリーを与えられているのです。ノンフィクションというのは、ある意味、新しいフィクションなのです。ノンフィクション作品の中には時折現実に起こったことをそのまま伝えるものあるかもしれませんが、繰り返しておきますが、すべてのものは同じようにストーリーのかたちをとるものなのです。


The Great Stagnation: How America Ate All the Low-Hanging Fruit of Modern History, Got Sick, and Will( Eventually) Feel Better

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大停滞

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The Seven Basic Plots: Why We Tell Stories

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