理論に基づく政策提言


Pavanelli論文続き

自らの予測を裏切る形で進行する(“暗黒の木曜日”以降の)株価の下落傾向を前にしてもフィッシャーは依然として(1931年頃まで)楽観的な見解を有していた。

In 1930 and 1931 Fisher remained basically optimistic about the prospects of the American economy and continued to predict the imminent recovery of stock prices. In any case, he affirmed repeatedly, it was not at all inevitable that the crisis in the financial markets would spread to the real economy. The depression, in other words, could be avoided as long as businessmen did not let themselves be dominated by pessimism and did not cut back their production plans.

将来性豊かなアメリカ経済の現状に照らして考えれば早晩株価は元の水準まで回復するだろうし、株価下落が実体経済に波及して不況が到来するなんてことは―企業家たちが株価の下落に過剰反応して悲観的になり、生産(設備投資)計画の縮小・中止に乗り出さない限りは―ありえないことである。

フィッシャーにとって“暗黒の木曜日”が有するインパクトは一時的かつ株式市場にだけ限定されたもののはずであったが、1929年以降株価はなかなか回復傾向を示さずバラ色の未来に彩られているはずのアメリカ経済も時が経つにつれヨリ一層不況の色を濃くしていった。さすがのフィッシャーも現実の(自らの予想を裏切り続ける)展開の前にいつまでも楽観的でいることはできず、この現実を説明し得る全く新しい理論の必要性を感じはじめていた。

1932年、フィッシャーは“Booms and Depressions”という論文を書く(こちらで邦訳されたものが読めます)。眼前に広がる現実(後世において大不況(Great Depressionと呼ばれるようになる現実)を理解するためにフィッシャーなりの理論的な説明―現在ではデットデフレーション理論と呼ばれるもの(の萌芽)―を提示した論文である。以下フィッシャーのデットデフレ理論の簡単な説明。


ここにover-indebtednessの状態に置かれた経済主体が多数存在するとする。そこにバッドニュースが飛び込んできて(株価急落の知らせなど)債権者あるいは債務者(のどちらかあるいはどちらも)が悲観的になり不安感を抱くことによって(債権者は貸付が焦げ付くことを心配して、債務者は負担の軽いうちに債務返済を済ませてしまおうとはやるために)我先にと債務の清算に乗り出したとしよう。すると債務の清算はやがて投売りを引き起こし(購入時の株価以下であっても早めに売却しておいた方がより多くの現金(借金返済の原資)を獲得できる可能性が高いため)、(債権者としての銀行がローンの繰り延べをやめてしまう結果)預金通貨の減少が生じることになる。結果として株価と同時に通貨供給量の低下により物価も下落(自己保有の株式(資産)の売却によっては借金の返済がままならなくなった企業家が倒産を免れるために自分が生産している商品の投売りに乗り出すことよって、といってもよい)していくことになる。株価・物価の下落は負債の実質価値を上昇させて債務者を一層苦しい立場に置き、さらなる投売りそして破産・倒産が続出することになるだろう。また、コスト節約の努力を上回る物価の下落は利潤を圧縮し、over-indebtednessにはない企業にも打撃を与えることになる(破産・倒産件数が増えるにつれて債権者特に銀行は(経営状態に対する(預金者の)不信感からくる取り付けを回避するため)貸付に慎重な態度をとるようになり(貸し渋り)、over-indebtednessにはない企業も事業展開のための資金調達が困難となる可能性もある)。利潤の縮小(倒産も)は生産と雇用を縮小させ、世の中には悲観論や信頼感の喪失(債務者に対する、または銀行に対する不信・いつ解雇されるかわからないという不安・破産や倒産、失業による苦悩など)が蔓延するようになる。こんな時代に頼れるものは貨幣(現金)だけ。流動性選好(=貨幣の退蔵)の結果として貨幣の流通速度は低下し、物価下落はさらにその激しさを増すことになる(倒産や失業(の恐れ)による買い控えの結果ともいえる)。

In essence, the attempt by individuals and banks to reduce their debt touched off a perverse dynamic process that worsened their situation in real terms, dragging them towards financial collapse.

The very effort [...] to pay debt [...] resulted in increasing debts; and the more the American people tried to get out of debt, the more they really got in, when the debts are measured in real commodities

Every man who hoards does it for his own protection; yet by hoarding he aggravates the very condition that started his fear・・・

・・・the effort by each agent to improve his own position led to a worsening of the overall situation

合成の誤謬の一種ですな〜。ミクロ的に見て(個別的な観点からすると)負債の返済のためにできるだけ早いうちに資産の売却に乗り出すこと、あるいは不安を鎮めるために貨幣を退蔵することは(価格の下落を与件とすれば)合理的な反応であるかもしれないが、みんながみんな同じように行動する結果として(物価・資産価格の下落が進行するために)負債の返済は一層難しくなり(負債の実質的な負担が増すため)、不安の源泉たる倒産や失業の恐れから逃れることもかなわないこととなる。はてさてこのミクロとマクロのパラドックスからどうやって抜け出したものか。


フィッシャーによる解決策―デットデフレ理論に基づく処方箋―はというと・・・、

そう、リフレーション―金融緩和により物価を1929年以前の物価水準まで引き上げる―。デフレによる債務の実質的な負担の増加をリフレによって食いとどめ(あるいは物価上昇により生産者の利潤を確保し生産活動の活発化(→雇用の増加)を促せ)、投売り・倒産・失業(利潤低下による生産の低下も)の悪循環を断ち切ってしまえ、というわけである。

Fisher maintained that one of the causes of the collapse of the economy was the Federal Reserve’s abandonment of the stabilisation policy that had been pursued during the twenties by Benjamin Strong, the powerful governor of the New York Federal Reserve Bank, who died in 1928 (Fisher, 1934a10; see also Steindl, 1995, pp. 103-4 and Cargill, 1992). Once the crisis had started, the right way to get out of it was, in his view, “reflation”, in other words a monetary expansion to bring prices back up to their pre-1929 level. Monetary policy, according to Fisher, was extremely effective, while fiscal policy could at best play an “ancillary” role.


株価暴落直後に積極的な金融緩和に乗り出さなかったFRBの非は理解できる。しかし、実際に物価・資産価格がかなりの程度下落してしまっており、既に悲観主義が世の大勢となってしまっている時に金融緩和によって物価上昇を実現することは可能であろうか(=金融緩和の波及経路についての疑問)。貨幣供給を増やしたところでその貨幣はそのまま退蔵されてしまうだけで(あるいは銀行の預金準備が積み上がるだけで)モノや資産の購入には向かわない、それ故物価や資産価格が上昇することはないのではないか。フィッシャーもその点(人々の貨幣退蔵志向の強さ)については認識していた。

“Hoarding is a slowing of currency turnover of the extremest kind. [...] Housewives and their breadwinners then become distrustful of everything except money. Bills and coins are confided to stockings or mattresses, or are put underground, or (in a larger way) stored in safety deposit vaults. Credit deposits may be hoarded too. In such banks as are considered safe, large credit deposits will be kept, but kept idle” (1932a, p. 35). The following passage is also revealing: “To stop hoarding, to take the idle money out from under the mattress, to quicken the turnover of bank deposits are essential parts of the recovery program. We want to re-employ idle money; it will help toward re-employing idle men and idle machines; it will help reflate the price level...” (1933b, p. 5).


貨幣をidleからactiveにするためにはどうすればよいか。そうだ!! スタンプ(ゲゼル)貨幣(あるいは銀行の準備預金に税金をかける)を導入すればよい。

In the second half of 1932, the bleakest period of the Depression, he became a supporter - as a first concrete measure aimed at counteracting the tendency to hoarding - of a plan for “stamp scrip” or “stamped money”

貨幣が退蔵されるのはその価値が保証されている(一定である)ためである(デフレ下ではその価値は高まる)。貨幣の価値が時間が経つにつれて低下する(あるいは貨幣保有にコストがかかる)のがわかっているならば貨幣を退蔵しようという誘因はもはや働かないだろう。一定期間ごとにお金(スタンプ押しに出かけるわずらわしさ、機会費用も含む)を払ってスタンプを押してもらわなければ通用しない貨幣(=スタンプ貨幣)を導入すれば、眠っている(退蔵されている)貨幣も動き出し(=モノや資産の購入に回る)物価や資産価格も上昇することだろう(フィッシャーとスタンプ貨幣の関わりについてはこちら西部忠先生による地域通貨論)も参照。Pavanelli論文でも同じことが触れられてますが)。


スタンプ貨幣の発行はルーズベルト大統領によって禁止されました(理由は上記リンク先をご覧ください)。しかしここで注意すべきはスタンプ貨幣の導入なしにアメリカ経済を救うことはできない、とまではフィッシャーは主張してはいないということです。彼が言いたかったことはつまりはこういうことです。

As we have seen, an essential point in Fisher’s plan was that the increase in demand, while necessary, was inevitably only a first step. To get out of the depression, a substantial rise in prices was also necessary. This point was constantly emphasized by Fisher in his writings from these years:

“The government should have borrowed and spent, thus contributing to reflation and to a higher price level. And every climb in the price level would have lowered the real debts, public and private [...] This would have stimulated business” (1932a, p. 105)

or again:

“An increase of prices means, for the producer, an increase of profits or a wiping out of losses. That in turn means an increase of business activity and a decrease in unemployment. This rise of prices tends to save us from the two great evils of Depression -- bankruptcies and unemployment” (1932, p.10)

どんな手段を使ってでもリフレを実現せよ、ということですね。


他にもいくつか面白い論点(「国際学派」の知見の先取り・マネーサプライのコントロール可能性を高めるための預金準備改革(100%準備率)などなど)はありますが切りがありませんのでここらで終了。